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循環、選択、死のにおい

気付くと夕暮れの田園に一人立っていた。
太陽はちょうど山の向こうへ沈み、忘れ形見のような弱々しい明かりが山のシルエットを強調している。


ここは故郷だ。
あれ?東京へ戻ったのになんで帰って来てるんだろう。

…ああそうだ。
夜ごはんを食べに来たんだ。


財布の中には千円札が四枚。
お気に入りのマスタードカラーの財布。
そうそうこれはクリエイター作品でそこそこ高かったんだ。
本革だから使い込むほど手に馴染む。

なのに四千円しか入っていないのは少し面白いな。
黄色の財布と言えば金運が良さそうだけど。


街灯すら無い冬の田園はひた寒い。
山を滑り落ちてきた風が容赦無く露出した肉を突き刺す。

北へ少し歩くと飲食店街があった。
早く店に入って温かい物を食べなくては。


路地に足を踏み入れて違和感に気付く。
誰もいない。
店はどれもハリボテのようで奥行きが無く建築の理論を無視している。
喩えるなら「飛び出す絵本」のようだった。
そしてどの店も尽く「CLOSE」の看板がドアに掛かっている。

それでも「飲食店街なのだから入れる店があるはずだ」という考えが歩を進めさせた。

中華料理屋、カフェ、パン屋、カレーショップ、ラーメン屋にバル。

「OPEN」の店が見付からない。
しかし店の中に「影」を見付けた。

尽くが「CLOSE」、なのに店の中では「影」が揺れている。
どの店にも人は居らず影だけが居た。


なるほど、肉体がある者お断りって事か。
時間的にも場所的にも迷い込んじゃったのかな。
とりあえずこの路地を抜けないとまずい。
来た道を戻るのはもっとまずい。

進むしかない。


進むほど店の中の影の存在が濃くなり「影が生きている」ような振る舞いが当たり前になっていく。
さっきまで静まり返っていた路地に多くの聴き取れない話し声が響く。

ここでは自分が異物であるのだと思い知る。
肉体がある事を責められかねない、身をひそめるようにコソコソと先へ進む。


ふと、少し先に懐かしい人物を見付けた。
自分が昔バイトをしていた中華料理屋の店長だった。

美味しいと人気の店で店長はカンボジアの孤児たちの里親をしているような心の温かい人。
バイトを辞めてからも何回か食べに行き、私に気付くと

元気にしているか、仕事は順調か、彼氏がいないならいい人紹介するぞ、コーヒー淹れるからちょっと待ってろ、アイスも食べていけ

嬉しそうにサービスをしてくれる。
私が来て嬉しいという気持ちがとても伝わってくる。


店長、店長。
やっと人間を見付けた、知ってる人を見付けた。

でも声を出すと影に気付かれてしまう。
走る事も出来ない。

店長は私に気付かず先へ歩いて行ってしまう。
なんとか追うのが精一杯だった。


店長の後を追ううちに路地の終わりが見えた。
ここは知ってる、この先の大きな道路を渡ると店長のお店がある。

もう少し、もう少し…


やっと路地を抜けると広い庭のある家があった。
ここは知らない。

路地を抜けられた安堵も束の間、その庭の異様さに慄く。


沢山の犬、無数の犬、全部同じ種類の犬が庭中にいる。
まろ眉と垂れ耳が愛らしいけれど獣の臭いと別の臭いが鼻を突いた。


死骸が
犬の死骸が何体もそのまま放置されている。

まだ新しいもの、朽ちかけているもの。

そのすぐ横を前を後ろを同じ見た目の犬たちが走り回っていた。


ダメだここは、早く店長を…


「可愛いでしょう」

急に後ろから声が聞こえ、思わず振り返る。

女性?男性?

人の形をした黒い塊…影だ。

影が指を指す先には仔犬が二匹。
ヨタヨタと歩きながら時折くぅ、くぅと鳴いている。


「ほら、可愛いのがふたぁつあるよ。動いてるよ。可愛いでしょう」


産まれて間もない無垢な仔犬、視線をずらせば朽ちかけの死骸。

生と死が同時に存在している世界の縮図のような庭。
そして影に見付かってしまった事実が心音を加速させる。


店長、声が出ない。
後ろ姿はもう遠い。


終わった。

倒れるように視界が暗転し、
目が覚めた。


動きづらい、頭が痛い。
全身がゾクゾクする。

熱を出してうなされていたらしい。

冷えたジャスミン茶が喉を刺激する。
慣れないホテル暮らし、バスタブに湯を張る事さえ億劫だ。

まるで監禁されているようなネガティブな感覚も熱のせいにして、天井を仰ぐ事しか出来ない。

風邪薬くらい常備しておくべきだと反省し、忘れないうちに夢の内容を綴る。

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