学習参考書の愉悦 第三回『吉岡のなるほど小論文講義10 改訂版』
書くことの動機について
私たちはときに、どうしても文章が書きたくなるものです。その文章はツイッターのつぶやきのようなごく短いものであるかもしれないし、あるいはまとまった量のものになるかもしれない。世の中には、書籍一冊分の「書きたいこと」をいくつも持っている人たちもいるほどです。
私たちのこの「書きたい」という欲求は、いったい何に起因するのでしょうか。
大堀精一『小論文 書き方と考え方』(2018、講談社)には、次のように書かれています。
思っていることを言えないという「感じ」を、私は「異和感」という言葉で表現している(通常は「違和感」と表すのだろうが、私の学生時代にはむしろ「異和感」と書くほうが一般的だった。以来、ずっとこの字を使ってきたので、本書でも「異和感」と表現する)。自分を取り巻くできごとや情報、経験、それらから湧き上がってきた自身の思いが、他者に届くような言葉になりきれていないという異和感。「書く」ということはこの「異和感」から始まる。
現実に取り囲まれて生きている私たちは、常にそれを是とできるわけではありません。時には、それがほんの小さなものであれ我慢できないほど大きなものであれ、「異和感」を覚えることがある。それを世間に表明するために、多くの場合において私たちが選ぶ手段が、文章を書くということです。
では、そのような文章において大切なことは何でしょう。
それは、論理的であるということです。先に引用した『小論文 書き方と考え方』で、著者の大堀さんはこう述べます。
思考の筋道すなわち論理をたどって考えることは、感情的な問題と決して無縁ではない。論理という言葉には感情を捨て去った冷たいもの、相手を打ち負かすものというイメージがつきまといやすいが、決してそうではない。むしろ逆だ。論理を丁寧にたどることで、人は痛みや苦しみの感情を伴う異和感がどこから生じるのかを確認することができる。それによって、物事を考える幅が広まり、いろんなものに対して柔軟に振る舞えるようになる。論理的であるとは、人に優しくなれることなのだ。
論理的に文章を書いて何かを主張すること(またはそのように書かれた文章を読むことも)は人に優しくなるということなのです。では、そのために私たちは、どのような練習をすればよいのでしょうか。
論理とは何か
前回の記事の終わりを思い出してください。私たちは、自分の意見を適切に発信するために、大学入試小論文の参考書を参考にしようとしているのでした。
ただし、いきなり本題に入るまえに、小論文において多く取りざたされる「論理」という用語について、いまいちど確認しておきましょう。
難波博孝『ナンバ先生のやさしくわかる論理の授業-国語科で論理力を育てる-』(2018、明治図書出版)という本があります。その「第1講 論理とは何か?」という章では、「論理」という語の使われ方を3つに分類しています。
論理の意味[1]=事物関係=物事どうしの因果関係
論理の意味[2]=議論的関係=妥当な論拠とその主張との関係
論理の意味[3]=倫理的関係=人としての正しさに基づいた関係
これまでの話の流れに従えば、私たちがここでもっとも重視すべきは、「妥当な論拠とその主張との関係」ということになるでしょう。
さらに難波さんは、同書の「第8講 妥当性と納得はどんな関係?」において、次のような指摘を行っています。少し長くなりますが、重要なところなので引用しておきましょう。
妥当性があるというのは、知的な次元で適切だとする、ということです。学問レベルでいえば、トゥルミンモデルのような論証のモデルに適っているということになるでしょう。また、日常レベルでいえば、妥当な根拠や理由づけに基づいて三段論法に背かずにいるということになるでしょう。
いずれの場合も、裏づけとなる学問の知識や根拠となる事実に妥当性がなければ、その論理や論証自体に妥当性はなくなります。
(中略)
学問レベルでは、学問の成果を侃々諤々と論じることで妥当性がつくられていきます(そして変更もされます)。日常レベルでは、日常的なコミュニケーション(人と人だけではなく、メディアなども通じて)によって何となく、「共有されたと人々が信じる信念」が作られていき、それによって信念が生まれます。
学問のほうが侃々諤々の議論があるので、妥当性が「よりいい」感じがしますが、そうとは限りません。その「妥当性」は、その学問に限っての「妥当性」であり、他の学問や生活場面でも妥当かどうかは、重要ではないからです。
大学に入ると大学生は、レポートなどの形で「学問レベル」の論理に従って文章を書くトレーニングをします。そして学位論文という論文を書くことになる。
では大学入試で課される小論文とは、「学問レベル」の論理的妥当性を測るためのものなのでしょうか。私はそうは思いません。なぜならそれは、大学の学部教育によって教えられるべき能力であり、入学する生徒があらかじめ持っていなくてはならない能力ではないはずだからです。そうではなくて、「日常レベル」の論理的妥当性を測るための試験が、小論文なのではないでしょうか。「学問レベル」と「日常レベル」、両者の論理にはもちろん相違点もありますが、共通点もあるはずです。前者を伸ばしたい大学が後者を身につけている学生を入学させたいと考えるのも、無理はありません。そしてこの求められる論理の階層の違いが、学問的な論文とは違う「小論文」の「小」たる所以なのではないでしょうか。
日常レベルの論理を適切に文章化するために
ここまで、なぜ書きたいと思うのか、論理とは何か、小論文とは何かについて、引用を交えながら私見を述べてきました。
ここで、考えてみてください。「日常レベル」の論理性を担保した文章を書くことは、まさしく日常の生活者であるわれわれにとって重要な課題であるはずです。ならば、そのトレーニングに使われる大学入試小論文の参考書を紐解くことは、さしあたり小論文の試験を受ける予定のない人にとっても有用なのではないでしょうか。というわけで、ここに一冊の参考書を紹介しようと思います。
先に『小論文 書き方と考え方』という書名を挙げました。この本は、書きたいという動機がある、知的にある程度以上成熟した学生にとっては福音書となるでしょう。ただし、書いてある内容はどちらかというと「考え方」に寄っていて、考えることさえできれば、それを適切に文章化できる読者を対象としています。
指導者やある程度文章を書きなれた学生・社会人が読むにはいいのですが、そもそも文章を書くのなんて学校で年に数回書かされる作文のときぐらい、なのに入試で小論文を使わざるをえなくなってしまった、どうしよう……という層の学生には難しすぎるというのが正直なところでしょう。
では、そういう層へ向けた、しかも「このパターンに当てはめて書けばバッチリ!」的な安直な内容ではない参考書はないのでしょうか。
あります。はい。
それが吉岡友治『吉岡のなるほど小論文講義10 改訂版』(2017、桐原書店)です。
目次を確認してみましょう。
第一講 小論文とは何か?
第二講 文章表現に気をつける
第三講 ポイントとサポート
第四講 課題文付き問題の対策
第五講 課題文の要約の方法
第六講 複数の課題文の処理方法
第七講 統計資料を「読む」
第八講 複数の統計資料を活用する
第九講 ビジュアル課題の読解と解釈
第十講 対立を超えて、レベルアップする
補講 志望理由書・自己申告書の書き方
第一講から第三講が理論編、それ以降が実践編といったところでしょうか。
入試と縁のなくなってしまった一般の人々にもっとも参考になるのは、理論編の三講でしょう。たとえば第二講では、表現を簡潔にするために、使わない方がよい表現が列挙されています。そのような表現をカットするだけでも、ずいぶんと文章がシェイプアップして見えるものです(意見を述べる文や議論の中での発言は、なるたけ簡潔な方が望ましいです。一方、このようなエッセイ寄りの文章では、いくらかの冗長性も必要ですから、この記事だって“そのように”書いてます。このかっこ書きも含めて)。
あるいは第三講。ここでは「ポイント/サポートの関係」を軸に文章を書くという、論理的な文章の大原則が説明されています。「文章にはポイントとサポートの二つの部分があって、ポイントという筆者の言いたいことを、サポートの部分が支えている」「文章のポイント=ポイント(言いたいこと)←サポート(理由・対比・例示など)」という具合。
思えば私たちの日常やネット上の発言は、ポイントだけを述べてサポートがない言いっぱなしの主張や、サポートだけを示してポイントを察してもらおうという曖昧な主張であふれています。それは自分の主張は説明不足であっても相手に通じるはずだという思い上がりであり、聞き手や読み手への思いやりの欠如ではないでしょうか(論理とは優しさだということを、この文章の冒頭でも確認しました)。
実践編の七(+α)講も、題材としては大学入試小論文の問題を扱っているわけですけれども、抽象化すれば充分に日常生活の思考と主張のトレーニングとして使えるはずです。
入試参考書として
上記のあたりが『吉岡のなるほど小論文講義10 改訂版』を一般人が読む利点です。
とはいえ本書は大学受験参考書。受験生にとってどうなのよ、を云々せずに済ませることはできないでしょう。
まず断っておくと、これは本当に現代文あるいは小論文の苦手な(字を読むなんてことがそもそもイヤ、原稿用紙の使い方だってよくわかんない)生徒向けの参考書ではありません。原稿用紙の使い方のまとめも載っていないし、264ページというのはそれなりのボリュームです。
まあ、ただ、そもそもそのような層は入試で小論文なんてあんまり使わないんですけどね。
とはいえその編がアヤシイ生徒が、AO入試なんかを受けるのに志望理由書が必要だということになったら、本書の「補講」の章は大いに参考になるでしょう。その場合、これまで何度も述べてきたように、指導者にガイドしてもらいながら取り組むということになるんでしょうけれど。
自力で取り組むのであれば、それなりに偏差値の高い生徒さんが、後期試験なんかで小論文が必要になってきたときに対策用に使うのがもっとも“ハマる”パターンなんじゃないかと予想します。
ところで、今回紹介した『吉岡のなるほど小論文10』ですが、『ビジュアル英文解釈』、『高校現代文をひとつひとつわかりやすく。』と同じく、解説部分が講師と生徒の会話文で書かれてるんですよね。私が持っている参考書の中で別に多数派ってわけではない形式なんですけれど、はからずもそうなってしまいました。この形式は、読みやすいと思う人も多数いる反面、もっと簡潔に書いてくれって感じる人も出てきてしまうんですよね……まあ、そんなのどんな書き方についても言えてしまうことなんですけれど。
てなこって、次回は会話調じゃない参考書について書きますよ。日本語の文章の構成については読み・書き両面から参考書を紹介したということで、次回は英語の長文読解の読みの理論について書かれたものを取り上げたいと思います。パラグラフリーディング――とは、ちょっと違います。
筆者紹介
.原井 (Twitter: @Ebisu_PaPa58)
平成元年生まれ。21世紀生まれの生徒たちの生年月日にちょくちょくびびる塾講師。週末はだいたい本屋の学参コーナーに行く。ビールと焼酎があればだいたい幸せ。
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