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学習参考書の愉悦 第一回 伊藤和夫『ビジュアル英文解釈』

 英文を読むということは、いったいどういうことなのでしょうか。言いかえれば、英文を読むとき、我々は頭をどのように働かせている、あるいは働かせるべきなのでしょうか。
 この問いを徹底的に考えぬいた男がいます。彼はまた、それをどのような方法で学生に教授するか、教室での講義だけではなく、参考書の場合はどうかについても、生涯をかけて向き合い続けました。還暦を迎える年、彼は後年「英文解釈の参考書の金字塔」と称されることになる参考書を生み出します。

 男の名前を伊藤和夫、参考書の名を『ビジュアル英文解釈』といいます。

著者・伊藤和夫について

 伊藤和夫(1927-1997)。元・駿台予備学校英語科講師、同主任。「書いた原稿1万ページ、売れた本1000万冊、教え子100万人」とも言われ、「受験英語の神様」と称されるビッグネームです。

 なお、駿台では講師に「~師」という敬称をつけて呼ぶことが習わしとなっているようなのですが、私が駿台に通ったことがない、氏はすでに故人であるという二点を鑑みて、この記事では敬称略でお呼びさせていただきます。

 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部西洋哲学科に入学。卒業後は横浜の山手英学院、のちに駿台予備学校に移籍し、数多くの生徒を教え、そして数多くの著作を世に遺しました。

 文法というルールを道具に、英文の構造を徹底して理論的に読み解いていく。「与えられた英文は『こういう意味らしい、たぶんこういう意味だろう』ではなく、英語である以上『これ以外の解釈はあり得ない』とする自信を持った読み方ができるようになること」(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈Part I』1987、駿台文庫)を目標とした伊藤の方法論は「構文主義」と呼ばれ、その後の予備校(むろん、特に駿台)で教えられる英語に多大な影響を与えました。
 もしもこれを読んで「英文は文法的に解釈しなければいけないなんて、そんな当たり前のこと、何をいまさら」と思われるのであれば、それはまさに、あなたが「伊藤以後」の英語学習者であることの証左にほかならないのです。
「伊藤以前」の英文解釈の参考書の主流といえば、例えば「〈too...to~〉とあったら〈…すぎて~できない〉と訳せ」というような、英文という記号を日本文という記号に変換するために“注意すべき表現”の羅列に終始しているものでした。伊藤の頭には、このような教授法に対する強烈な問題意識がありました。「いいかい。訳せたから読めたんじゃない。読めてるから、必要な場合には訳せるんだ」(『ビジュアル英文解釈Part I』)という言葉にも、その意識はあらわれています。
 教壇に立ちはじめたころのことを、伊藤は次のように述懐しています。

 私がこの英文はこう読む、この問題の答えはこうなると教えても、学生は満足しません。当然です。彼らが実際の試験で直面する問題は、今教えられている問題ではないのですから、その問題の答えを教えても無意味です。どうしても、それによって次の問題も解けるだろうという希望を与えなければ、予備校の学生は満足しないのです。
 反面、これとは逆に、私の内部には、ある英文を読む時、この英文の意味は自分の考える以外にないけれども、しかし、なぜそう言えるのだろうか、自分が結果としてのみ受けとめているものが、英文法の勉強をすることで整理され自覚されるのではないだろうか、という疑問や予感のようなものが(…)あったのも事実であります。
(伊藤和夫『予備校の英語』1997、研究社)

 さらに、伊藤はこうも述べます。

 英文を読んでいて、時々自分の読み方に違和感を感じる、先へ進めなくなるのはなぜでしょうか。それは、実は「読む」というのは英文を「内容」から考えると同時に「形」からも考えるという二重の作業だからだと思います。ただ英語を読み慣れた者にとっては、「形」を考えること、つまり、英文が正しい約束に従っているかどうかを確認することは無意識の世界で行われているために、それが行きづまらないかぎり、意識の表面に浮かんでこないのであります。
 ここから一見奇妙な結論が生まれます。英語を読む力があればあるほど、誤解や錯覚の可能性は少ないわけでありますから、英語を「形」から意識的にとらえてみることが少ない、つまり、自分がどういう約束に従って読んでいるのかを意識する機会は少ないことになります。
(『予備校の英語』)

 伊藤のした仕事は、英語が読める人が無意識のうちに処理してしまっている「形」の約束ごとを、ほとんど余すことなく意識的な作業として暴きだしてみせたこと、と要約できるでしょう。

直読直解

 伊藤和夫の方法論を端的にあらわす言葉として、「直読直解」があります。これは「文の先頭から『読むに従って考える』」「英文を左から右へ、上から下へ、1度読むだけで、ピリオドまで来たときにはすべてが終わっている」(いずれも、伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』1995、駿台文庫)といったフレーズで言いあらわされることもあります。

 伊藤は、言語がまず何よりも音声的なものであることを根拠に、絵画を鑑賞するように英文を「眺める」のではなく、音楽を聴くときのように時間に従って解釈していくことが何よりも重要だと考えたのでした。 たとえば『ビジュアル英文解釈』の冒頭部分で、次のような二つの英文が紹介されています。

(1)The house stood on a hill.
(2)In the house stood a man.

 この二つの英文を読みはじめたとき、(1)の英文では冒頭のthe houseを主語とみて後ろに動詞が出てくることを期待するのに対し、(2)の英文では「前置詞のついた名詞は文の主語になることができない」というルールに従って、後ろには主語となる別の名詞が出てくることを期待しながら読んでいくことになるはずだ、というのです。

 このように、絶えず後続する形についての予測を立て、予測が誤っていたら立ち止まって修正する。この「予測と修正」という作業を細かに繰り返すことで、いわゆる返り読みをせずに英文の意味をとらえていくこと。これこそ伊藤が学生に身につけさせんとした英文を読む力でした。

『英文解釈教室』

 伊藤和夫による英文解釈の参考書は、『ビジュアル英文解釈』だけではありません。「ビジュアル」をさかのぼること10年、研究社より出版された『英文解釈教室』は「ビジュアル」出版時点ですでに著名な参考書でしたし、同書には今でも多くの“ファン”がいます。『英文解釈教室』を仕上げれば(それには相応の前提学力と相当の根気が必要ではあるものの)大学入試の英文で読めないものはなくなる、と言われていたのです。

 それなのになぜ、伊藤は新たに『ビジュアル英文教室』を執筆したのか。それは、次のような問題意識があったからです。

 『解釈教室』の執筆当時、筆者は従来の参考書と異なった総合的視点と説明の論理的方法を発見したという喜びまたは思いこみに夢中で、研究論文を書くことと、学生向けの参考書を書くことのちがいがわかっていなかった。従来から重要とされてきた構文や、その存在に気づかれていなかった構文のいかに多くが「新しい」観点により統一的体系的に説明できるかを誇示することに熱中するあまり、それが果たして学生に必要であるかどうかに思いいたらなかったのである。
(『予備校の英語』)

 また、「解釈教室」と「ビジュアル」の違いについて、伊藤はこのような比喩でも説明しています。

 「解釈教室」には、英語構文の「見本市」というか、「博覧会」のような所がある。アメリカ館は見るが、ドイツ館は飛ばすというように、自分の都合でパビリオンを選んでも、それなりの効果はあるんだ。ところが、「ビジュアル」は全体がひとつの巨大な生産のシステムまたはプロセスなんだ。入口から入った君たちは、順路に従って見学する「観衆」じゃない。僕の意図に合わせて、あっちで曲げられたり、こっちで引きのばされたりしてきたえられてゆく、生産の素材そのものだ。「出口」から出てくるときには、英語が読めるような「製品」に変身しているんだよ。
(『伊藤和夫の英語学習法』)

『ビジュアル英文解釈』

 さて、以上のような思想で編まれたのが、『ビジュアル英文解釈』です(ここまで長かったですね。もうしばらく続きます)。

 本書は、『ビジュアル英文解釈Part I』が1987年、『ビジュアル英文解釈Part II』が1988年に、いずれも駿台文庫から出版された、上下巻式の英文解釈の参考書です。

 英語学参になじみのない読者のために少し補足をしておくと、一口に「英語」というと扱うべき技能が多すぎるため、英文の構成要素やその編まれ方についての規則を学ぶ英文法(タイトルに総合英語と冠されている本が多いです)の参考書、4択や穴埋め、整序といった文法問題に習熟するための問題集、まとまった量の英文を読むための長文読解の参考書・問題集、英作文用、リスニング用……と技能によって専門の参考書が数多く出版されています。
 その中で英文解釈とは、大文字からピリオドまで、ひとつの文の意味を文法的に正確にとらえる作業、またその練習のことを言います。

『ビジュアル英文解釈』が世に出たのはもう30年もまえのことであるにも関わらず、本書はいまだに増刷を重ねています。定期的に学習指導要領が改定され、大学入試も様変わりしていく中で、これは驚異的なロングセラーと言えるのではないでしょうか。
 もちろん、他教科に比べて英語と国語は指導要領の影響を受けにくい(例えば数学では、行列が教科書に入ったり消えたりするたびに参考書も新しくならざるを得ない)という事情はありますが、それにしても、これはすごいことです。

 内容を見ていきましょう。
 全体を貫く思想は、先に紹介した通りです。頭から順に取り組んでいけば「直読直解」が可能になるように綿密に計算された配列。随所に張り巡らされた復習事項へのリンク。そのひとつひとつに取り組んでいけば、必ずや「英語が読める自分」に変身していることでしょう。

 各課では、まず「焦点」としてその課ではじめて学ぶルールが提示されます。続いて課題となる英文が示されます。続いて復習事項も含めたその英文の解説。「大意」としてスムーズに書き直された全訳が示されたあとに、I先生とR君、G君(Part IIからはWさんも)の会話という形で、紙面で疑似的な「質疑応答」がなされます。
 今でこそこうした生徒と先生の問答型の参考書も増えていますが、当時としては画期的だったのではないでしょうか。思わずうなってしまうのは、彼ら「生徒」たちの絶妙な視点です。下手な書き手が書いた「生徒」はものわかりがよくなりすぎるというか、単に「先生」の口上に合いの手を入れるだけの存在になってしまって読んでいる学生に「なんとなく親しみやすいかも」以上の印象をもたらさないものですが、この本に登場する「生徒」たちは違います。わかっていないことのわかっていなさ具合が絶妙で、ちゃんと「先生」の対立者になっている。その澱みともいえる箇所が、読者の理解の手助けになっているのです。

 使用効果はいわずもがなでしょう。ただ読んでいれば済む本ではなく、頭をフル稼働させながらでないと読み進めるのが困難な本ではありますが、その分、やり通したときには相当な力がついているはずです。
 ただ、やはり30年まえの本とあって、現代から見れば「欠点」になってしまうところもいくつかあります。たとえば課題となる英文が別冊になっていないので、ページを何度もあっちこっちとめくりながら読まなければならないところ、単色刷りで文字のレイアウトも決して読みやすいとは言えないこと、英語学習において音声面がいまほど重要視されていなかったころの本なので付属CDやDL音声がないこと。
 内容の面では非常に優れた本なのですが、取り組みやすさという点では「余計なストレス」がかかってしまう本であると言わざるを得ません。

 この本をもしも現役の高校生が受験勉強のために使うのであれば、個別指導の学習塾や家庭教師など、「解説の解説」をしてくれてかつ学習ペースを管理してくれる指導者がいる環境を推奨します。
 英語学習にやる気が出てきた、もともと文章を読むのが苦痛でないタイプの大人にはいい本でしょうね。私も、指導する立場になってから読んだので面白く読めましたが、学生時代に出会っていたとして、果たして最後まで読み通せたかどうか。
 これを読んでいるみなさんには、そうですねえ……とりあえず、書店に足を運んで「はしがき」を読んでみるだけの価値はあります、とだけ。

 「ビジュアル」からさらに数年、『英文解釈教室』の質の高さと『ビジュアル英文解釈』のわかりやすさを兼ね備えた名著と言われる『ルールとパターンの英文解釈』(伊藤和夫、1994、研究社)が出版されます。ごく最近(2018年4月)新装版として復刊したんですが、私、これはまだ読めてないんですよねえ。……誰か贈ってくれませんか(笑)?
 ――最後に、『英文解釈教室』あとがきにある、伊藤の言葉を引用しておきましょう。

 本書の説く思考法が諸君の無意識の世界に完全に沈み、諸君が本書のことを忘れ去ることができたとき、「直読直解」の理想は達成されたのであり、本書は諸君のための役割を果たし終えたことになるであろう。
(伊藤和夫『英文解釈教室』1978、研究社)


 ところで、じゃあ日本語で書かれた文章を読むときに、我々が無意識下で従っているルールって何なんでしょうか。そのヒントは、現代文読解の参考書にありそうです。
 今回はロングセラーを紹介したので、次回は新しめの本を紹介してみることにします。

筆者紹介
.原井 (Twitter: @Ebisu_PaPa58)
平成元年生まれ。21世紀生まれの生徒たちの生年月日にちょくちょくびびる塾講師。週末はだいたい本屋の学参コーナーに行く。ビールと焼酎があればだいたい幸せ。

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