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理想の親子関係のカタチとは

以前↓こんな記事を書きました。

その中で

母親は愛をたくさんもって、子どもに接するわけで、それは男女変わらず必要不可欠なこと。
だから、母が愛を放出することは当たり前のベースにある前提なんですが、
実は男子は与えてもらうよりも、与える方が上手だし、得意なんだと思う。

ってことを、私自身、書いたのですが、
これって、男の子に限らず、女の子もそうであって、
そもそも子ども自体がそういう愛の塊なのかもしれないと思いました。

親の愛は無償の愛
って言いますし、そこに異論も反論もないのですが、
実はそこには大きな落とし穴があって、意外と?親の愛は無償ではなく、
愛という名の理想や期待が込められてしまう。
結構エグイ物だったりするのかもしれない。

だからこそ、本当の無償の愛を提供できるのは、子どもなんじゃないかと。

子は親に対しての理想や期待などはなく、まさに子から親への愛こそが
無償の愛と言えるのではないかと思うのです。

きっと、親は自分が注いでるのではなく、実際は注いでいただいている存在であり、その無償の愛に気づくことで、
また親として子どもへ真の無償の愛を返礼することが出来る。

このカタチこそが、理想の親子関係のカタチなのかもしれないと思います。

親だから愛を注がねばならない、親である以上注ぐすべきだとして、
愛情を注ぐと、いつからか、そこには返礼としての理想や期待に変わり、
ここまでしてあげているのに、どうしてこの子はこうなんだろう。
私の気持ちはどうしてくれるんだ、、、
という気持ちになってしまうんだろうなと。

でも、私の笑顔や悲しい顔に一喜一憂する子どもを見ていると
親だけが頑張っている。
親だけが子どもの幸せを望んでいる

ではなくって、

子どもだって、親の幸せを親が子に想う以上に、厄介な期待抜きで
望んてくれているんだなと感じたら、ある意味申し訳なく感じた。

そして、きっとこれに気づいた親が、それぞれの立場でお互いを愛せたら、イヤイヤ期だろうと思春期だろうと、こじらせることなく
関係性を構築できるんだろうなと思いました。

親だけが愛を注いでいるなんて思うのはまず辞めてみる
そこからかな。


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