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モンテッソーリ教育と排泄育児

モンテッソーリ教育は、ひとことでいうなら「自律と自立を育てる教育」だと言えます。

お母さんの「敏感期」より


『お母さんの敏感期』という本はご存じですか?
私は布おむつを通して、排泄育児を深堀りするたびに、
モンテッソーリ教育は排泄育児にも通づると確信します。

一時期はモンテッソーリ教育という言葉だけが、流行り、もてはやされ
本質が度外視されたモンテッソーリが世に出回った感じが私はしています。

言葉はきついですが、見せかけのモンテッソーリが多いので、
それに高いお金を出すのなら、核をついた排泄育児を我が子とすれば、
もはやそれがモンテッソーリ教育の一部になるとも言えるのではないかと。

「自律」も「自立」も、命令や励ましで育つのではなく、心身の必要が満たされたときに、内面からあらわれてくるものなので、モンテッソーリは、まず心身の必要性や必然性をよく観察し、それを満たす方法を生み出しました。

お母さんの「敏感期」

この心身の必要とは、快不快に基づく子どもの欲求だと私は思います。
あれがしたい、これが欲しい。
これも正しい欲求の1つではありますが、人間の土台である欲求は、
快不快に基づくもっと根底なもの。
食う寝る出す。

私はこの出すの快不快に着目して、布おむつ育児や快不快に寄り添う排泄育児を説いています。

この出すという排泄行為の中で、快不快が伴っている状態をよく観察し
快を不快にする。不快を取り除く。
これで心身の必要が満たされるわけなのです。


このサイクルの重要性は👇こちらのコラムに記載しました。

https://note.com/kucca_ocoteco/n/n5662beb25ad4


その方法によって援助された子どもは、「じりつ」していることが特徴となるのです。

お母さんの「敏感期」

自律。
しっかりできる子。
大人の言うことを理解して聞き入れる子

果たしてそうでしょうか?

自分の快不快をまずはしっかりと認識し、どうしたいかを考える。

自立。
なんでも自分で出来る。

ではなく、今どうすればいいのかがわかる、できる。

ではないかと思います。

自立も自律も、土台には、心身の必要が満たされた積み重ねがある。
これが大切だということです。

〇歳になったらおむつがとれる。
とか
大人になってまで排泄できない子いないよね~

の問題でトイトレをどうするかを考えないでほしいです。
排泄の自立を育む時期は、じりつに大事な尊い時期だということを
私はたくさんの人に知ってほしいなと思っています。





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