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もう、咲いてしまえばいいと思う。

桜はきっと、散ることなんか考えない。
人に上を向かせるために、
咲いてるのかもしれないけど。

いつか、夫も仕事を引退して、
わたしももっと、シワシワになって、
体も心も丸ぁるくなってきたら、
沖縄から北海道まで、
桜前線と一緒に、日本中を旅したいという夢がある。

なにもかも、ぜんぶのステージが
ひとつ上がるこの季節。

気合の雄叫びを上げる代わりに、
冬から覚めた新しい空気を、
思いっきり吸い込むことが好きだった。

「今年は、悠長に、外の空気を吸い込みすぎちゃ、危ないね」と、夫に言うと、

「じゃあ、桜の絵を描いて、おうち遊びしようよ」と、言って

家でずっと眠らせていた、
100色鉛筆を引っ張り出してきた。

色鉛筆ながら、
自分の思い描く「桜」の色を出すために、
「薄紅梅」や「石竹色」というピンクの仲間の色たちを重ね合わせていく夫の姿に、

昔、仕事で出逢った、
デザイナーの彼の話しを重ね合わせていた。

「世界に飛び出せば、
ここにはない “色” に 出会えると思って、
イタリアに行ったんです。

だけど、ちがった。

自分の描きたい“青”を探しても、
空の色があるわけじゃないし、
水の色があるわけじゃなかった。

どこまで行ったって 同んなじで。

基本となる青に、少しづつ少しづつ、
白や黄色を足して作る。

やっと、描き上げた絵を見渡したとき、
最後に使った色たちは、
ぜんぶ、自分で作った色でした☺️」

約3年かかったという、
海と空が描かれた、その絵は、
ある映画に使われ、
彼の絵と一緒に、彼は、
一瞬で、美術界になくてはならない存在になった。

それから、色んな場所で、色んな場面で、
彼の絵を見るようになってから、

その度に、あの日話してくれた「自分で作る色」の話しを思い出してしまう。

ありふれた色があるのに、
なかなか出来上がらない絵があるように、

音符と楽器の組み合わせが無限にあるのに、
なかなか響かない音楽もあったりするんだと思う。

人の日常でだって、
ひらがな、カタカナ、漢字にローマ字…

あふれる言葉がありながら、
通じ合えないことばかりで。

それでも、やっと、
気持ちを繋げたときに使った言葉は、

使い回されてきた決め台詞じゃなくて、
流行りに作られたキラキラした言葉じゃなくて、
自分のじゃない物語に出てきた言葉なんかじゃ、もちろんない。

社交辞令で終わらせなかった言葉だけが、
人生になっていくんだろうな。

時には「沈黙」という言葉を、
一緒に分かち合ったりすることもだろうし、
時には「止まる」という言葉が「動詞」だということに、救われることもある。

令和になって、なんだか分かんないけど、自分の在り方みたいなのを、ずっと問われてる気がしとるやろ?って聞きたくなる人たちのそばを通り過ぎる。
(街でも画面の世界でも。)

測り方が人によって違っちゃうような
「在り方」とか「正しさ」のそばで 息苦しくしてるより、

そんなときは、できるだけ、
いつも、夢のそばにいればいいと思う。

その場所が、
どんなに遠くに見えたって、
今いる場所が1番近くなんだって。

そう気付いた人が作った言葉が、
「急がば回れ」とか「大器晩成」とかなんじゃないのかな。

自分で作った色は、
最初は信じられなくて、
真っ白の画用紙の真ん中に「ドン!」と、
筆を下ろすことが怖いかもしれない。

そりゃ、そうだよね。汚したくないもん。

そんな感じで、
人生だって同んなじようなものなんだろうな。

試し書きも出来ない、
誰かのじゃない、自分の物語だから、
「ドン!」と、慣れない一歩を踏み出すことが怖いときもある。

だけど、誰を主人公にしても、
物語は続いてしまうんだと気付いた人から、
「ドン!」と踏み出して、走り回ってる。

少し先に行っちゃって、
姿が小さくなったとき、
「大丈夫ー?」って聞いたら、きっと。
「もう、慣れた!」って、こっちを振り返っては、笑っとるんよ。

才能があるから生まれた絵なんて、音楽なんて、文章なんて、記録なんて、何ひとつもないんだろうな。

それはぜんぶ、誰かの「諦めなかった」数だ。

諦めたいと思った数は、
それでも誰かが「諦めなかった」数、だよね。

それぞれが、
さまざまな決断をしていった この冬のことを。
長くてあっという間だったこの2020年のことを。
いつか、みんなが、嬉し涙にして、誇りと呼んで、
決断をしていく世代に伝えていかなきゃいけないような気がしてる。

朝、出しっぱなしの色鉛筆のそばで、
本日のスーツを選ぶ夫は、
「このワイシャツと、このネクタイの組み合わせ、どう?」と聞いてきたもんだけど、

いつもと何がちがうと?だなんて、聞けなくて、

「今まで見た中で、1番かっこよく見える組み合わせやで♩」と、言ってみると、

「行ってきます!」のリズムとトーンが、
お弁当を開ける前に歌う歌のように、弾んでいた。

リビングに戻ってTVをつけた。
桜が咲いただけでニュースになるこの国は、
ほんとに優しい人たちで
いっぱいなんだろうなと思った。

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Instagram @kubotakazuko

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