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女が生まれ、生き、生む意味を問いかける。川上未映子さん「夏物語」

ある日突然「自分」が存在していることを不思議に思ったことはないだろうか。
特に女性は、自分の身体がまた別の「自分」を生む機能を持っていることに戸惑ったことはないだろうか。
私もそういった悩みを抱えながら生きてきた。

10代後半、「生まれてきたくて生まれてきたわけではない」と、今思えば恥ずかしいくらい典型的な反抗期のセリフを両親に投げかけた。生理が何のためにあるのか、授業で学んだものの妊娠や出産は自分には関係ない未知の世界だった。

そして、20代後半、大切な人が夫になり、30歳を迎え不安を抱えつつ新たな「自分」を生んだ。

川上未映子さんの「夏物語」は、主人公の夏子がパートナーなしでの出産を望みつつも子どもを生むことの身勝手さに悩むという話が物語の主軸である。

登場人物たちが「生まれ」「生き」「生む」意味に悩んだ末選んだ人生がリアルに描かれているため、出産についてじっくり考えたい女性や女性の人生観に興味がある人におすすめの本だ。

この記事では、「夏物語」の登場人物たちがどのように「生」に向き合っているか紹介する。(めちゃくちゃネタバレする)
勝手な解釈や個人的な感想がほとんどなので、気になったら実際に読んで違った角度からの解釈や感想を聞かせてほしい。

「生まれてきたこと」を肯定するには

夏子の姪・緑子は母・巻子が豊胸手術に取り憑かれていることを、自分が生まれてきたことが原因だと思い詰めていた。

巻子が豊胸手術の説明を聞きに行きなかなか帰ってこず、深夜に泥酔して登場したタイミングでついに緑子は巻子に自分の出産を後悔しているのではと疑問をぶつける。緑子は巻子に不器用ながらも大事に思われていることを感じ、自分の存在を肯定することができた。

夏子が出会い惹かれていく逢沢はAID(非配偶者間精子提供)によって生まれ、父親と血の繋がりがないことに衝撃を受け病んでいた。父親からの愛情を感じる思い出について話すうちに、自分の存在を肯定できるようになり、家族との関わり方を見直した。

一方、AIDによって生まれ血の繋がりのない父親にひどい性的虐待を受けた逢沢の恋人・善は、自分の存在を肯定できない。子どもを生むことは、自分のような不幸な人間を増やすことになるかもしれなくて身勝手だと主張した。

赤ん坊は、抱き締められることで自分の存在を一体として感じ、自分は愛されていると安心するらしい。

人が「生まれてきたこと」を肯定できるようになるには親からの肯定が必要なのかも知れない。緑子と巻子のやり取り、逢沢の父親との思い出、善の苦しみを読んで、「生まれてきてくれてありがとう」と自分の大切な人に言い続け、ときには抱き締めたいと思った。

男性とどう関わって生きていくべきか

夏子の小説家仲間の遊佐はシングルマザーで、男性と関わらないと決めている。子どもは素晴らしい存在だが、男性とともに生活することは苦痛でしかないとのことだ。

一方で、巻子は豊胸手術に取り憑かれたり元旦那に会いに行ったりと、男性との関わりに執着があるようだった。

元バイト仲間の紺野は、夫婦関係は冷めきっているのに経済的な不安から離婚することはせず、義理の両親と同居し労働力として生きていく選択をした。ギブアンドテイクと割り切っているようだが、彼女の疲れが言葉の節々に滲み出ていた。

夏子はといえば、セックスに嫌悪感があり、子どもが欲しいのに身動きできない状態になっていた。逢沢との子どもを体外受精によって作ると決めてからも、経済的な援助は受けず一人で育てる選択をした。

女性には男性という性が対をなして存在している。男性とどう関わっていくかは「どう生きるか」を考える上で避けられない話題である。物語に出てくる女性たちの価値観はバラバラで、男性との関わり方も全然違う。しかし、すごく悩んだ末の選択だからかどの女性にも驚くほど共感できるのだ。

彼女たちの人生を見ていると、男性との関わり方に決まった正解はないとわかる。自分の心地よさを優先して男性との距離を決めることが生きやすさに繋がるようだ。娘が将来、男性との関わり方について悩むとき、自分の心地よさを優先しな、と言うつもりだ。

子どもを生むことは身勝手か

夏子が素晴らしい小説を書くと信じる女性編集者・仙川は、妊娠や出産に関わることがなくて本当に良かったと言っていた。子どもが欲しいなどと凡庸なことは言わずに小説を書きましょうと夏子を説得し、それから数ヶ月してあっけなく亡くなってしまった。

逢沢は、何十年も前に打ち上げられた宇宙探査機・ボイジャーの話を夏子にした。父親に「辛いときは思い出せ」と言われた話である。地球の音や文明の記録を積んで今も真っ暗な宇宙を飛び続けている。地球も人類も消え去ったとしても、その記録は思い出として生き続ける。

冒頭に述べたが、夏子が子どもを生むことの身勝手さにどう向き合い、生む決断をしたのかが物語の主軸である。明確に説明はされていないが、子どもを持つ機会がなくあっという間に亡くなってしまった仙川の存在や逢沢から聞いた話の影響が大きいと解釈している。

夏子は緑子と巻子のかけ合いから、子どもの自己肯定感には親の肯定がまず必要だと感じたはずだ。身近な人の死から自分もいつ死ぬかわからないと焦り、どうしても自分の子どもに会いたいのであれば、まだ見ぬ我が子を肯定すると決めて生む決断をしたのではないだろうか。

そして、子どもを生むことが親のエゴだということも同時に受け入れているように思う。逢沢のボイジャーの話を聞いて、子どもを生むことがボイジャーを打ち上げることと似ていると感じたのではないだろうか。ボイジャーの飛行には打ち上げた人はとっくに関与していないが、思い出を誰かが再生する可能性を秘めている。

まとめ

川上未映子さんの「夏物語」を出産後に再読したことで、気づいたことがあった。
・自分が生まれたことを肯定できているのは、他者が肯定してくれているから
・男性との関わり方は、自分の心地よさで決めてしまえばいい
・子どもが「生まれてきたこと」を肯定できるよう接していくことが親の責任

生きていると、戸惑い、迷うことがたくさんある。「夏物語」を読んで何層もの女性たちの価値観に触れ、曇っていた視界がクリアになった。「生まれてきたこと」「男性とどう関わり生きていくか」「子どもを生むこと」いずれかのテーマでなんとなく不安を抱えている人にぜひ読んでほしい。大事な一冊になるはずだ。

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本記事は、一度書いた記事をキャリアスクール「Shelikes」で課題として提出し、添削してもらった後、書き直したもの。読みやすくなっていればいいな。記事も、ボイジャーを打ち上げるみたいやな。

(↓書き直す前の記事はこちら)

すべての人が質の良い睡眠を取れますように。

おやすみなさいー。

ご覧くださり、ありがとうございます!