可燃ゴミに熨斗がついていた日
細切れの睡眠を繰り返し、朝になった。4時とか5時とか、やや明るいのに静かな朝には、ひとりで生きているような気になる。騒々しい生活が夢か、いまこのときが夢か。
寝るのがもったいなくて、noteを読む。人の書いた文章を読むのは、楽しい。毎日のように、誰かの世界でまどろんでいる。
短い睡眠のあと、いつも通りの日常が始まる。今日は、可燃ゴミを出す日。食卓を片付けながらゴミをまとめようとすると、違和感が視界に入ってきた。ゴミ袋に、熨斗がついている……?
もちろん、そんなわけない。熨斗が、破られもせず畳まれもせず、そのままゴミ袋の内側に張り付いていたのだ。だから何という話なのだが、可燃ゴミに「御祝 松田」が、不釣り合いでおかしかった。
「御祝 松田」は個人情報とまでは言えないけれど、私なら畳んで捨てる。夫は、気にしない。人との違いを感じるのが共同生活だ。私は、夫より細かく、こだわりの多い人間なのかもしれない。
そこで、熨斗のついたゴミ袋の絵でも描こうと思いつく。誰も必要としない絵。役に立つことが至高とされる厳しい世の中で、役に立たないものは癒しだ。誰だって何だって、役に立たなくても在っていいのだ。
思考を巡らせながら、大学病院へ向かう。下の子にとある特徴が見られ、下半身に運動障害をもたらす「二分脊椎症」を疑っていた。最悪の場合、彼女は一生おむつを手放せないかもしれない。車の中で、そんな暗い想像に支配される。
病院は、母校の附属病院だ。土の匂いが漂うだだっぴろいキャンパスに到着すると、干からびたミミズや潰れた銀杏の実が視界に入ってくる。それどころじゃないのに、さすがに懐かしい。私は毎日通っていた、ここに。
肝心の診察では、二分脊椎症を心配する必要はありませんと言われた。検査すらせず、あっけなく。安心すると、学生時代に思いを馳せる余裕がやってきた。
これまで、学生時代について書いたことはない。どこかにスポットライトを当てると、他の思い出は影になってかすんでしまうんじゃないかとためらっていたのだ。でも、書かなければいつか忘れてしまうだろう。
数年ぶりに母校を訪問して、古い宝箱を開けるような、不安と期待が入り混じった気持ちになった。
車窓から行きつけだった居酒屋を確認して、うちに帰る。母が出迎えてくれた。(病気を否定できて)よかったねと言い合い、穏やかな空気が流れる。
自然と、おすすめの本の話になった。人と本を貸し借りしあうのは楽しい。短い時間で読める、『妻が椎茸だったころ』(講談社/中島京子)をすすめた。
母は「妻が椎茸?」と不思議そうで興味ありげな表情で、パラパラと本をめくりはじめた。そして何のためらいもなく、私のつけたドッグイヤーを元に戻す。
おぉ?それは、気になったページを読み返せるように、私がつけた折れ込みだよ。戻さないで……。
きっと母はドッグイヤーをつける習慣を知らないのだろう。綺麗に、傷つけず本を読む人だから。一方の私は、マーカーを引いたりメモを取ったり、落ち着きのない読み方をする人だ。
ここでも、人との違いを見せつけられた。私は本を扱うことに関して、母より大雑把でこだわりのない人間なのかもしれない。
誰かより細かくて、誰かより大雑把で。こだわりがあるようで、ない。特徴をとらえているようで、とらえられていない。不思議だ。
とか、うだうだと考えられるのは、心配事が取り去られたから。これからも無駄にぐるぐる考えていられるよう、みんな健康でいてほしい。
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可燃ゴミに熨斗がついていた日。