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「都合の良い親」でいようかな

「都合の良い女」にはなりたくない。
でも「都合の良い親」には、なってもいいかもしれない。

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先日、保育園の帰り。後部座席の娘(2歳)から「ママもパパも嫌い」「おうち帰らない」と言われた。毎日のように「ママ(パパ)だいしゅき」と言ってくれる娘が、突然こんなことを言ったのだ。

正直、動揺した。嫌いという言葉が耳殻をざらざらと撫でつけてきた。人に嫌われてると感じることはある。でも、嫌いと直接言われるのは珍しい。慣れない言葉を、しかも最愛の娘から受け取るべきかどうか、耳が迷っていた。

車を運転中だったので、歩行者の飛び出しやカーブミラーの確認など、頭は必要最低限の指令を出していた。が、娘にどう返事するのかの指令は出せず…。虚しく同じ言葉を繰り返す。

「ママもパパも嫌いなの?」
「おうち帰らないの?」

娘は、ただ「うん」としか言わない。家に着いても、車から降りるのを断固拒否。シートベルトをキツくつかみ「降りない」。なんだかイヤイヤが複雑になってきたなと、軽く思考停止していた。

そのとき、ふと気づいた。私、娘に「ママ(パパ)だいしゅき」って言わせたいわけではない。白状すると、悲しいとも思わなかった。娘への要求はただひとつ、車から降りて家に入ってもらうこと。整理ができると冷静になれた。

すると脊髄反射のスピードで、私の中の「都合の良い女」が出現したのだ。

「も〜う、そんなこと言わないでよっ」
「ママは娘ちゃんが大好きなのにっ」

会ったことはないけれど、キャバ嬢ってこんな感じ?(キャバ嬢を「都合の良い女」だとは思っていません!)

「あっ ドア開けてると虫さんが入ってくるよ〜?降りなくていいの〜う?」

頑として動かなかった娘が「虫さん嫌〜」と車を降りる様子を見ながら、「都合の良い親」でいいのかもしれないと考え始めた私。以前ゴッドマザーの義母が使っていた「親は子どもに片思い」という言葉も、同時に頭に浮かんだ。

そして、言われたときはするんと頭の中の引き出しに入れたその言葉を、取り出してまじまじと眺めてみることにした。

20分以上ゴネて動かなかった娘が家に入り、おにぎりせんべいと牛乳を意気揚々と食べ飲みしている様子を見ながら言葉を反芻していると「ここでいう片思いのメリット・デメリットは?」と内なる声が膨らんできた。

何事もメリット・デメリットを挙げなければ落ち着かない性分。気が散って、残念である。娘の前に座って麦茶を飲みながら、ぼんやり「両思いとか片思いとか」に思いを馳せた。(夜ご飯の準備をしないといけないのに!)(悩みの切り口、高校生かよ!)

で、タイトルからお察しの通り「子どもには片思いでええんや」とはっきり結論が出た。「親は子どもに片思い」「見返りを求めない」という前提は、あった方が良いんじゃないかと思えてきたから。(両思いは両思いでもちろん素晴らしい!アンビリーバボーでファビュラァス!)

最近よく聞く「毒親」「親ガチャ失敗」などの言葉。何の資格もなく試験も受けず子どもから親になったので「自分がそうだったらどうしよう」と震えてしまう。誰かのお墨付きがない状態で命の責任を取るのは、なかなかハードだ。

しかし、親は子どもに片思いであると割り切ってしまえば。見返りを求めない都合の良い親になりきってしまえば。子どもが「毒親」「親ガチャ失敗」と言ってきたとしても「そんなこと言わないでよ〜ん」「ごめんねごめんね〜」と乗り切れる気がする。身軽になれる。明らかなメリットだ。

というか。

普段から「子どもと両思いでいたい」と願わなければ。「愛した分、愛されたい」と望まなければ。いわゆる毒親にはならないんじゃないか。親ガチャ失敗は相対的な評価だから、よその家庭の方に生まれたかったと言われてしまえばそれまでだけど。

というのも。

毒親でもないし、親ガチャ失敗とも思ってないけど、私が私の親に言われて強烈に傷ついた言葉があって。それが父親の「養ってやってるんやから、俺の言うことを聞け」で。親から言われた傷ついた言葉ランキング、未来永劫ダントツ一位なのである。(更新されるな)(ボケてから言われたことはノーカンにするで)

当時は高校生。人の道から外れるようなことをしていたわけではない。もっと別の言い方があったんじゃないかと思うし、自立心が強く支配されるのを最も嫌がる私にとってはキツい言葉だった。私を思っての言葉だったのかもしれないけど、父親が「与えた分、返されたい」ように見えたから。

だからやっぱり「子どもには片思いでええんや」と思う。「お母さんもお父さんも、私のことがよっぽど大事なんやな〜」と子どもを呆れさせるくらいが、ちょうどええんやと。(おもいきり露出する関西弁)

それでも、片思いは辛いかもしれない。成長するにつれ親から離れていく子ども。0歳から2歳に成長するだけでも寂しいと感じるから、絶対に絶対に寂しい。「ママだいしゅき」「ママ遊んで」……。ぜんぶ今だけ。

でも「寂しいからママと一緒にいて」なんて、実際には恥ずかしくて言えないし、娘自身が一緒にいたい人を決められるのが喜ばしいに決まっている。

たとえ どんなにどんなに強く
願ったってもう戻れないけど
遠い君を 見えない君を
想い続けて
君からもらった幸せはずっと
心の中で輝くの

西野カナさん「たとえ どんなに…」より

あれやこれやと考えていると、平成の歌姫が囲みメイクで切ない思いを歌う姿が浮かんできた。もう戻れないけど、もらった幸せを噛み締めながら生きていくってことかい……?

(お後がよろしいようで〜)

麦茶を飲み終えると、前に座っている娘と目が合った。牛乳を飲んだせいで、白い髭ができあがっている。周りに白い髭のおじいちゃんなんていないのに、娘はこの現象を「おじいちゃんになる」と表現していた。

思わず笑いかけると「ママ、だいしゅきだよ〜」。

なんだか急に、泣きそうになった。「好きって言ってほしいとも悲しいとも思わない」とかっこつけて、子どもには片思いでええんやロジックを展開していたのに。「毒親にならないメソッド」をつくりあげて、どやさしていたのに。

私のこと、弄んで。
私のこと、振り回して。
どうせ、都合の良い女なんでしょ?

心の中で、ふざけて悪態をつきつつ。

「自分の子どもに会ってみたい」そんな私の都合で生まれてきた彼女に、返す言葉なんて決まってる。

「も〜うっ ママも大好きだよ。ありがとう」

本当にダメなことは、ダメな理由を説明して止める。そこに「私のため」は一切噛ませない。

とにかく、しばらくは「都合の良い親」でいるつもり。

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