子安信仰って?

最近、子安観音像の修復を請け負った。文化財の修復は作業と同じくらい調査をする。仏像や所蔵寺院の来歴、素材、修復履歴などなど。すべての作業に根拠を求めるということだ。そんなことで、子安信仰についてもしらべてみた。

子安信仰とは子授け、出産、子育てなど子供と母親の健やかな健康と生活をいのる信仰である。子安信仰の歴史は古く、平安時代にはその原型となる信仰があったようだが一部の貴族が知っているだけ。今のような信仰の形になるのは、江戸時代になってからといえる。「今のような」と書いたが、私達の多くは子安信仰を知らないが、鬼子母神といえば、聞き覚えのある人がいるかも知れない。「おそれ入谷の鬼子母神」である。子安信仰は、きまった仏や神がいるわけではない。前出の鬼子母神はその中でも、メジャーな仏であるが、ほかにも子育て地蔵やコノハナサクヤヒメ、慈母観音や子授けイチョウ、安産岩などその姿はさまざま。これはもともとあった民族信仰に仏教や道教、陰陽師など他の信仰がMIXされた結果である。実際、女性にとって出産は多くの危険と喜びをもたらす。そのため、出産を手伝う産婆、特に手練の産婆が子安信仰の神となるケースもみられる。実際にたすけを乞う存在なのだから至極納得だが、死後、極楽に往生するために祈る仏教とは随分とかけ離れている対象とも思う。

出産は女性にとって大変なことである。医療が発達し、清潔な環境を確保できる現代であっても、多くの危険をともない、命を落とすこともある。少し前の日本では、もっと大変なことだっただろう。だから、女性は祈り、助言を求めた。いまでも地方に行くと子安講として、この信仰は残っている。「講」とは信仰で結びついた集団行為で、富士講や伊勢講など江戸時代には多くの「講」が存在した。単なる信仰ではなく、地域のコミュニケーションツールとして機能してのだろう。子安講は月に一度、十九夜講などといって、地域の女性たちが寺院などに集まり、鬼子母神や地蔵を前に読経、おしゃべりをしながら出産や子育ての相談をしていたようだ。その中には、産後ウツや子育てウツの女性を日常から隔離し、クールダウンの期間をつくるシステムを持っていた子安講もあったようだ。最近聞いた子安講はおばあちゃんたちが月に一回、近所のファミレスに集まって、おしゃべりする会になっているようだ。お寺でもないし、お経も読まないが、集まっておしゃべりすることだけが残ったようだが、信仰とはそんなものである。

今日見たネット記事に「女性は、共感とねぎらいでストレスを半減させることができる」云々と載っていた。子安講は子授けや出産、子育てへの不安やストレスを女性同士で月に1度共有する。しゃべり、嘆き、お茶を飲む。お菓子をつまんで、またしゃべる。きっと子安信仰とは女性たちの息抜きシステムだったのではないだろうか。もちろん、上記のライフイベントには多くの深刻な事態もある。不安で心が壊れることも、体調が思わしくなくなることも、小さな命が目前で消えてしまうことも。そんな時でも、一人で悩まず、村の女達が彼女をたすけ、励まし、元気になることを祈ったのだろう。以前読んだ本に「病めるときも健やかなるときも、馬鹿笑いできる女友達は優秀なセイフティネットである」とかいてあった。子安講をしらべながら、この一文をなんども思い出した。お預かりした子安観音像の前でも、たくさんの女性が泣いたり笑ったりしたのだろう。

後日談として、今回修復する子安観音像はご住職の奥様のつよい希望があったらしい。なんでも、数年前、近所で子安堂の上棟式があり、餅まきがおこなわれるというので、子どもたちを連れて参加したそうだ。屋根から餅がまかれ、子どもたちは大喜び、残るは親餅なる直径30センチほどの大きなお餅を、普通なら上から落とすだけなのだが、何を思ったのか上の人が円盤投げのようにその餅を投げてしまった。餅はスピードをあげ、グングン奥さんの方に飛んでくる。こうなるとお餅も凶器である。子どもたちをかばったと同時に、餅が腕を直撃。ポッキリと折れたそうだ。もちろん餅じゃない、奥さんの腕がである。実は、今回お預かりしている子安観音像は永年の安置で左腕がない。そのため、奥様はどうしても腕を直してあげたかったようだ。優しい顔の子安観音だけど、怖いような、怖くないような。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?