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20221223 夢を記録していたら逆に、、、?

ar_tk4さん、市街地の画像お借りします。写っているものも、色調もなんか私が普段見ている夢の感じに似ています。

昨日から今朝にかけて見た夢は、知り合いが出るわ人は死ぬわで完全に悪夢だった。グロテスクかつ知り合いが死ぬので詳細は書かない。

最近、悪夢を見る回数が増えている感じがする。
もしくは、記録して初めて悪夢の確率の高さに気付いたのかもしれない。

夢を記録していてついた習慣がある。朝起きてから少しの間、見た夢を夜この時間に日記に書けるように頭で整理することだ。

しかしこれはなかなか難しい。
夢の内容は極めて荒唐無稽で、容易に言語化できるような内容ではない。現実の出来事でも文章に起こすのには工夫というか表現の推敲がつきものなのに、いわんや夢においてもや。

結果、せっかく支離滅裂な夢を見ていながら、整理しようとすると無意識に辻褄合わせが始まってしまう。朝見た夢を夜に書くものだから、文章に起こすと平易なエピソードに丸められてしまう。

努力しても、この癖は直せないだろう。
私も普段は何らかの論理に従って生活している。何を考える・何を覚えるにしても関連することがらと切り離して覚えることはできない。

例えば
1.お湯を沸かす
2.グラスにティーバッグを入れる
3.お湯を注ぐ
4.紅茶を飲む

と行動する場合、2をしている以上、4で飲むのは必ず紅茶である。お湯でなければ、オレンジジュースでもない。おなじく1をしている以上、3の行動で1を回収しなくては意味がない。
しかし、3を放棄し急に犬を投げ飛ばし空を飛び、オレンジジュースをがぶ飲みして180度開脚を決めるのが夢なのだ。


目覚めてからの私は、これを振り返り2をしていなかったことにするか、4をしていなかったことにするかして「覚えやすい話」にすり替えてしまう。
そして、犬を投げ飛ばすまでのいきさつを補完し一息おいて空を飛び、安全に着地してからオレンジジュースを飲むのだ。180度開脚の話は、カットだ。

私の脳では、論理的に破綻している「いつの間にか犬投げ空飛びオレンジジュースがぶ飲み開脚」の話を加工なしの生データで保存することはできない。
これはどうしようもない。

夢の記録習慣が、かえって記録内容の改ざんを助長している状況である。

これを防ぐため、夢の記録から心理を解明しようとした学者は、論理の飛躍まで記録するため完全に寝起きの被験者から話を聞く、あるいはただ時系列に沿って箇条書きにするなどして記録したのだとか。

そう考えると、夢の記録はやっぱり朝イチで動画記録がいいかもしれない。

寝よう。


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