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ヤングケアラー? 私のことだ!(新しい言葉を知って、膝を叩いた私)その5

 
 ゆりかごを揺らしながら? そこで、子供が泣いたらどうするのだ? 頭の中で、早く文章にしてちょうだい、と飛びかっていた言葉たちが霧散していってしまうではないか。
 人の仕事をバカにするにも、ほどがある。子育てに関しても、そんな片手間でやるべきことではないだろう。何を言いたくて、どういう反応をすれば満足なのか。自分の仕事の方が、高尚だと暗に言いたいのかもしれない。
 けれども私はこの時、
「子供を産まない本当の理由は、別にあるから」
 と皮肉めいたことを考えていたので、いつもよりは衝撃は少なくて済んだ。
 このように、母から色々とひどい言葉を不用意に投げつけられてきたけれど、
「えばんなよ」
 は、かなりの頻度でリフレインしてくる。
 たとえば私は異常に調理が、早い。帰宅し、何の下ごしらえもしていない状況から30分足らずで夕食の用意をしてしまう。
 これは、そのヤングケアラーだった頃、後ろから追い立てられるようにして、食事の支度をしていた癖が抜けないからだ。とりあえず作るだけ作って、片づけは後回し、というやり方。
 次男が、
「え~!? 帰って来て、それから作ったの? いくら何でも早すぎるだろ」
 ととても驚きつつ、
「ま、うまいからいいんだけど」
 とつけ加えてくれた時は、本当に嬉しかった。
 そして、こんな時、
「えばんなよ」
 が耳の奥で、甦るのである。
 今、手早く食事の用意ができるのは、あの時の経験のお陰、だなんて思わない。100%思わない。
 あんな嫌な思いをしなくたって。家族のために心をこめて料理できる方法は、いくらでもある。
 あのままヤングケアラーとして、長期間過ごしていたら、私は絶対に壊れていた。本当にぎりぎりのところで、やりくりしていたと思う。
 大学生になった後も、家にいる時はその役目を担ったけれど、飲み会やその他で遅く帰ることも多くなった。
 帰宅して、玄関のドアを開ける。
 低い下駄箱の上に現れた丼ものの器が2つ伏せてある。
またか。
   母は、まだ帰っておらず、私がいなければ父と弟は、なすすべもなく出前を取るのだ。毎回このようなことを繰り返していたら、身体にも悪いし、何とか対策しようとは思わないのか。
   私は、その器を見る度、とてつもなく悲しくなったものだ。私さえ早く帰って夕食の支度をしていたら、こんなことにはならないのかもしれない。
 けれども、私は知っていたのだ。それをしたら、私の未来はないことを。
弟のことを考えると、チクッと胸のあたりが痛くなる。晴信は、こんな状況をどう思っていたのか。私が不在の時は、
「飯は、どうするんだろうな~」
 という父のあのイヤ~な呟きを一人で受けとめていたのか。
 どちらが出前を取ろうと言いだし、電話をしたのか。今のように、ネットで選び放題、注文もスマホで簡単に、などという時代ではないのだ。3,4店の選択肢から、消去法で選ぶしかない。まったく「ハレ」の要素などどこにもない。
 ああ、考えるだけで、心が泡立つ。そこに居合わせることを想像するのも、嫌だ。なぜこんな暗い状況に甘んじていたのか。
 もう亡くなって久しい父だけれど、父も相当におかしかったのだと思う。
「割れ鍋に綴じ蓋」
 まさに、父と母は、この関係。                                             カウンセラーの川波先生が言っていて、目から鱗だった言葉。
 結婚した女性が母のような性質の場合、たいていは離婚されてしまうのだけれど、唯一添い遂げられるパターンは、配偶者が無関心、無気力なキャラクターの人間だけだそう。
 まさに、我が家のこと。
 お互いがお互いの悪口を、子供に言い、家族として機能していないのに、改善しようとは露ほども思わない。
 子供を管理して、パニック障害まで発症させているというのに、何も気づかず教師として、自分の子供もきちんとしつけていると大きな誤解をしている。
 噴飯ものだ。
 

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