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自分って、たいしたことない

この数日、
「自分ってろくでもない奴だよね」という気づきがあった。

自分ってろくでもないし、たいした奴でもない。
そう気づいたとたん、
とてもとても楽になったんだ。
そんな
「たいしたことない奴」である自分を
そのままでうんと愛おしく感じた。

それまでの私は、
今よりも少しでもましな奴になろうって思って
色々やってたんだな。
今よりも純粋で、キラキラしてて、汚れが浄化されていて…
「今の自分」を認めてあげられなかったから、
できないと落ち込んだり誰かと比べたり
周りにいるステキな人達と自分は違う、交流しちゃいけないんじゃないかとまで
思ったこともあった。

ヨガのせんせとしてもそうだった。
せんせとしてみんなの前に座ったとき、
自分のろくでもない部分
(今日は元気がありません、カップラーメン昨日食べました、夫とけんかしてイライラしとります…)
はなるべくなるべく見せないようにして
キラキラと凛としたクリアで汚れのない私…を
背筋をピンとのばして
無理に繕っていたの。
だからね、なんとなく
「嘘をついてるような感じ」がずっとあったんだ。
居心地が悪かった。

今、自分のままで皆さんの前に立てている。
うまくいってないこと
体調がいまいち
心がいまいち
そういったことも隠さずにそのままにしている。
(さすがに暗いとかイライラしてるとかをそのまま見せたりはしてませんよ。)
なんというか、そういう自分も排除しないで
一緒にいさせてあげながら、ヨガをしている。
そうすると、ヨガが終わったころにはスッキリしていたり。
別にしていなくても、いいし。

これはヨガの仕事以外でもそうだった気がする。
プライベートでも誰かと関わっているとき
自分の大したことない、ろくでもない部分は隠していた気がする、無意識に。
だから誰といてもうっすらと緊張していた。

自分がろくでもない奴だ、たいしたことない奴だ、
と認められてとてもうれしい。
人とのかかわりも変わってゆきそう。

今学んで実践しているバクティヨガも
一歩進んで二歩下がるみたいな、ゆるいゆるいものだ。
でもね、前みたいに
二歩下がったときに落ち込んだりしなくなった。

「神さまは、今の私をすでに100%愛してくれている」
そうバクティの先生は教えてくれた。

こんなろくでもない私
感謝とかできない私
自分が楽しいと神さまのことすぐ忘れちゃう私
欲に振り回されてる私
エゴの声が内側からいっぱい聞こえる

あぁ、それでいいんだ。

そんな私を愛おしく思い、
静かに眺めている内側の意識がある。

そんな私を愛おしく思い、
にこにこと静かに眺めている神さまがいる。

そのことに気付いた。

バクティヨガをやるのは
最初は「今よりもましな自分になりたい」が理由だったかもしれない

今は
「今の自分と仲良くなること」
そして神さまに愛されていること
愛されているから、私も愛したいということ。

それができないときの自分も愛してあげたい。

だってすでに愛されているんだから。

神さまに愛されてる自分を
自分が愛さないって失礼でしょ!
神さまなめるな 笑

今のまんまで、
ろくでもない私を。

ろくでもないあなたも。
愛せるようになりたい。


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