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人間1回目!?

先日、人間1回目だからという言葉を目にした。人間を経験するのが1回目だから、まだ人間の躾がなっていないとかいうもの。

最初に断りを入れておきます。今回のnoteはかなり暴論だと思われる方がいると思います。宗教は確かに心の拠り所になるのは分かりますし、否定はしていません。

人間1回目という言葉は輪廻転生に付随した考え方から派生したものだと考える事が出来ます。コレに対する考えを述べるには宗教に関して否定的な言葉も決して無いとは言いきれませんし、不愉快に思われる方も絶対いるはずです。

けれど、敬虔な仏教徒がヒトに向かって人間1回目と言うとは思えません。幼い頃に火の鳥を読んで、火の鳥で日本史を勉強したつもりになったひとりの男のしょうもない考えだと思ってお読みください。

wrap(元気回復行動プラン)をご存知だろうか。アメリカのメアリー エレン コープランドさんが鬱でしんどい時に同じ症状がある人でも社会生活を行えているのは何故か!?という疑問から統計をとり、集約し形にしたものである。

まぁ詳しくはまたの機会に語るとして、wrapのファシリテーター養成講座に参加した時に、たまたま一緒になった方が生まれ変わりの話を始め、輪廻転生の議論になった事があった。その人はインドにも滞在した事がある本格派。こちらの知識は火の鳥の太陽編なのである。

宗教とは人が作り出したものであり、元々は地の神として山や海などが信仰の対象であった。人々は自然災害を恐れ、鎮めるために祈りを捧げたりモノを供えたりしていた。

この信仰の発生はわかりやすい。まだ科学の発達していない頃に、超人類的な力を神の力と思ってしまうのは無理もない。ただ、自然災害は理不尽であるが人に従わないと言う意味では平等であった。

ココへ政治の力が加わり始める。

統治するには人間の秩序を基盤とした宗教の方が良い。理不尽な自然災害は人を従わせるためのルールとしては取り入れにくい。神が人を作り、人を頂点とした世界の中で生きていくために神に祈り、良い行いをする。なんて、人間本意の考えなんだろう。

宇宙規模で発生した生物は人間を頂点としてるはずもなく、地球が猫ならば人間は蚤か蟎である。増え続けた蚤は文化を作り、猫の体表を支配した。その蚤の世界は猫が死ねば滅びるのである。

この世は苦痛の連続であり、極楽浄土へ行くために徳を積み様々な生物を経験しながら修行を続ける。

それって楽しいの!?

でも、ディズニーの話に出てくるような〜よく分からない天からの授かりものみたいな力よりは理解できる。

そんな苦痛ばかり与えてくる神に仕えていい事ありますか!?

でも、1回だけ神に感謝した事がある。

スペインで朝の4時に迷子になった時、周りには活動している人が皆無。これは野垂れ死に確定案件か!?助けて神様!!キリストの神でもイスラムの神でもいいから〜って思ったら、清掃員のおじさんが!!!

その時はありがとう!神様!って思ったよ。

でもね、神様。あなたの所為で苦しめられてる人が何億人と居るのよ!?解放してあげてよ。

人間1回目とか言うアホも言われるアホも居るのよ。

アホの事を神様の所為にされても!?

え!?人間を作ったのがそもそも神様なんでしょ!?

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