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生きづらさの理解 認知してからの記録

人の話の意味がわからない。私がいままでずっと悩んできたことである。このことを明確に認知していたわけではない。話をきちんと理解できなくて引き起こる状況に昔から苦しい思いをしてきた。

ここ最近、プライベートでも仕事でも辛いことが多すぎて、私は発達障害かもしれないと思い始めてから、「人の話がわからない」という具体的な症状を意識し始めた。調べれば調べるほど、発達障害の特徴に私のそれが合致していて、昔から感じていた生き辛さに説明がつく。発達障害の特徴の一つに「人の話の意味がわからない」という症状がある。


例えば、友達の会話についていけない。大学の友人たちとは、30代半ばに差し掛かる今でもランチなどをさせてもらっている。だけど、みんなの話についていけない。話している言葉はわかるんだけど、ただ話の流れを追っているだけで、なんのことを言っているのか解らないことがある。それに遭遇した途端にそれに囚われて、わからない話の理解に思考を集中させるものだから、後の話にはついていけない。ふと、話を振られれば、「そうだよね、うん。そう思う。」みたいな、曖昧な返事、もしくは、少し前に終わっている会話の内容を持ち出してみたりして、とんちんかんな状況になる。本当にみんな優しいから、それでも冷たい視線を送るのではなく、だれかがフォローして私が気まずくないようにしてくれる。思い出しても情けないやらありがたいやらで涙がでてくる。


あとは、重要な説明がわからなかったりする。大学入学したあとの履修の進め方、ものを購入したときや契約したときの細かい説明、入社の手続き等、体系的に理解できないから、すごく戸惑う。誰かに聞いたり、相手に聞き直したりして、やっと普通の理解を得られる。それならばまだ良いが、きちんと理解していないことすらわからないときは、あとから不測の事態が起きてから大慌て、、、こんなこと言われてたっけ。となる。


そして、目下の悩みは仕事。上司の説明がわかない。話を理解しながら聞くということができなくて、説明のあとで話の趣旨が捉えられない。言葉だけを追って暗記するような聞き方しかできないのだ。言葉は理解できるんだけど、大筋がわからない。


今までは漠然と「私は飲み込みが悪いから人一倍頑張らなければいけない。頑張ればそのうち追いつけるはず。少しでも成長したい。」と前を向いてきた。社会人になって10年以上...ここにきて、なんだかおかしいよね。この年でこの理解力。これは、私の脳が異常なのでは。発達障害なのでは。という考えが少しずつ大きくなってきて、現在ほぼ確信に変わった。

冒頭で述べたように、調べれば調べるほど、発達障害以外考えられないと思うようになる。と同時に、とてつもなく深い絶望につつまれたような感覚に陥った。
幼い子供2人を抱えて、それでも生きていかなければいけなくて、会社に何が何でもしがみついて、稼いでいかなければならない。

利益貢献ができない。障害があり辛いのでやめます。なんてとてもできない。だからといって、発達障害だったら頑張り続けて私に変化が起きるのかどうかもわからない。致命的な理解力のなさはどうにか改善するのだろうか。そんなメソッドがあるのだろうか。

私は本当に発達障害なのだろうか。

「発達障害である」という気付きを得てからの私自身の考えやその変化などを綴っていこうと思っている。

それが、生き辛さからの脱却につながる気がするから。



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