3.まだ数日だけど

自分は発達障害なのではないかと疑い始めて数日。
日常の多くのアクションにぎこちなさが帯びる。

普通にしているだけで、今私、なにかずれている?という自問自答。

同時に、諦めみたいな感覚もある。
なにか、まずかったなと思った瞬間、やっぱり障害を抱えている私だからしょうがない、と考える。以前ならば、そこで焦り、自分にがっかりし、落ち込んでいた。「失敗してしょうがない」なんて考えたらなんの成長もないし、自分に甘すぎる、という思考だった。それが、ここ最近はしょうがないと開き直り、割とと淡々としていられる。

どう考えるのが正解かなんて分からないし、どんな結果をもって正解なのかも今は考えがまとまらない。

これからどうしたらいいんだろう。困難が多すぎるよ。と目の前に立ちはだかる巨大な壁を感じた今日。「前途多難」という言葉が頭の中に浮かび続ける。今までは、何事も努力すればいつか大丈夫になると思っていた。だけど、私が発達障害ならば、私のこの性質は変え難く努力云々の話ではない。仕事の難易度は上がっていくばっかりなのに私は変われず、価値提供ができず、いつか見放されるのではという恐怖が押し寄せてくる。全く大丈夫ではない。前途多難すぎる。

自分を受け入れて、障害とうまく付き合っていくというのがよい方法であると、ネットにはかかれている。
まずは、仕事ができないならば、できないなりの工夫をすること。
そして、自分の性質を周りにアピールし、サポートしてもらうこと。
前者は今からでも始められる。後者は中々の勇気がいる。仕事においては私と同ポジションにつく人間がもうすぐ産休から戻ってくる。発達障害のカミングアウトをしようものなら、すぐさま私の仕事は彼女のものとなるだろう。そして、私はやっかいものとして価値提供どころか負の存在として暗黙の認定をうけるのかもしれない。こんな考えが頭をぐるぐるとしていて、表現し難い大きな恐怖が心を蝕む。

一方でこんなことも考える。自分を発達障害だと認め、予測される「ずれた振る舞いや言動」に最大限布石を打ちながら仕事をすすめることで、ただ努力と思って仕事をしていたときと変わらぬ、もしくはそれ以上のパフォーマンスができるのではないか。
これは仕事以外でも同じことで、自分を受け入れるということがあらゆる場面でまず大事になってくるのではないか。

本当に受け入れられるかは、まだ時間がかかりそうだけど、焦る必要はない。じっくりと自分と向き合ってきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?