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常により良くあれ

普段の生活の中で、ルーティーン的な動きというものがたくさんあります。

いつもの時間に、いつものように、いつもの事を、いつものペースで、いつも通りに行動している時、身体が勝手に動いているのではないですか?
体が何をするか覚えていて、自然に動けているとき、そのことを考えながらというよりも、何も考えることなく、動けているのではないでしょうか。「いつものことだから、いつものように、同じようにやればいい」と、そう思ってやっていませんか?
そのことに疑問を感じたことはありませんか?

いつもの道

「いつもこうやっているけれど、このやり方であっているのだろうか」、「いつもこの道を通るけれど、もっと早く着く行き方はないのだろうか」、「どうしてこれはここになければいけないんだろうか」、「こうすればもっとうまくいくんじゃないだろうか」、「きっとこうなっているからだ」、「次はこうやってみよう」、「待っている間に、こうやっておこう」「この方が絶対楽だから」

私はいつも、何をする時にも、こんな風に考えています。

ひとつのことについて、「絶対それしかない」、というものはないと思っています。
そこにたどり着く道は、決して一つではないはずです。
ですから、「結果が同じならそれでいい」というわけではないのです。
常に別の道を模索し続けるのです。

それは、もっと楽をしたいからです。

楽したい

たどり着ける道は、常に変わっていきます。
いつも同じ道がそこにあるわけではないのです。
以前はその道が最善だったかもしれませんが、今は最悪の道かもしれないのです。
常に自問自答し、より良い道を探りながら進んでいかなければいけないのです。

より良い道を

新しいより良い道が見つかった時の喜びは格別です。

改善や発明は、楽をするためのものです。

人間は日に日に老いていきます。
老化のスピードよりも速く、楽にする方法を見つけなければ、どんどん同じ仕事がつらくなっていきます。
それは退化しているということです。

進化する道を死ぬまで探し続けましょう。そこに引退の文字はありません。

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