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身体の調子と万年筆


今は落ち着いてきているのだが、ここ最近は調子があまり良くなかった。

今日は万年筆の清掃をした話。


調子を整えるとは、どういうことだろう。

調子というのはあらゆることと繋がっているし、伝播する。
心の調子が崩れてきたと思ったら、体の調子もおかしくなってくるし、人間関係もネットの検索結果も撮れる写真も万年筆のインクも、調子が崩れてくる。

調子がいいと、全てがなめらかに動く。なめらかに滞りなく進んでいくと、他の調子もだんだん良くなってくる、予定にゆとりが生まれるから少し挑戦もできるようになってくる。

整えるというとき、いい状態をつくるというより、落ち着かせるといった雰囲気をより強く感じる。周辺の環境を穏やかな状態にして波が起きないようにする。そうして調子が自ずから徐々に回復していくように促す、養生することが、調子を整えることなのかもしれない。

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私はここ最近、自分自身がこれからどうすればいいのかわからなくなっていた。悩んだとて解決するものではないのだが、悩まずにはいられなかった。

そうしていつの間にか、万年筆のインクは乾いて文字がかけなくなっていた。

私は性格的に普段からネガティブよりの思考でストレスへの耐性も無い。そのため、一度崩れ始めると修復なんてことが非常に難しく時間がかかる。
動く気力がなくなって何もできなくなるのだが、そうなっても思考だけは巡っているので「動いてないとか生産性なさすぎるな、無価値かもしれん」「生産性で人の価値を測るんじゃないよ」「動かないと調子は回復しないからなにかしないと」「それができないからこうなっているのでは」「こんな事考えているくらいならさっさと動けよ」と言った具合に脳内で喧嘩が起こる。喧嘩もしなくなると、生きていることが面倒だと思う様になる。

この状態が暫く続くといづれ限界を迎えてメンタルの揺り戻しがおこり、吹っ切れたポジティブ思考になる、超短期的に。
この期間にどれだけ調子を取り戻せるかで、その後しばらくの調子が決まってくる。調子に乗ると再び底まで落ちるので、穏やかさが肝要、経験則。


心の調子が回復してきたときは、万年筆が教えてくれる。

インクの乾いた万年筆をもう一度使うには、バラして水につけて固まったインクを溶かさないといけない。時々水を変えながら2,3日かけて、ようやくインクを入れる準備ができる。ここまでできると、調子はかなり良くなっている。
水にインクが溶け出してグラスの底に溜まっていく、その光景を眺めていると不思議と落ち着いてくるし、作業中は他のことを何も考えていないから頭を抱えて唸ることもない。

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ただ目の前にあることに集中するのは非常にいい。熱中できる趣味があるとやりやすいと感じる、世話する、観察する、ぼんやり、ぼちぼち、続けていく。それが何よりも薬になると思う。人に話すってのもあると思うが、弱っていると相談相手を盲信したり依存したりしやすくなると思うので相手選びが難しい。

インクを入れるとなにかを書きたくなる、ただ入れたインクの色やにじみ、匂い、ペン先が紙と擦れるザラザラとした質感を感じたくて、ペンを持つ。

書き始めて紙が汚れてくると、書きたいことが出てくるようになる。


気がつくと、いつの間にか、いい調子になっている。

手を動かすことはいい。今、この眼の前に集中することができる。悩みだしたら散歩に行くのがいい、ぼーっと考えていると、思いもよらない出会いがあったりする。私は散歩しながら考えていると、椅子で揺れているときよりも思考の組み立てがなめらかになると感じる。深みが無いときもあるが、案外ストンと落ちる解が出てきたりするから面白い。

紙とペンを持って出歩けば、その場で書いてしまえばいい。椅子になる場所を探しながら街を散策するのも、結構楽しい。ただの公園が、自由で時間無制限のガーデンカフェに見えてくる、そう見たいだけ説もある、椅子がほしい、あれば神、そんな感じ。

前回書いた記事が、10日ほど前に半分くらい書いてあったんだけど放置してあって、さっき読み返してからもう半分書いて出した。

この記事も数日前にある程度書いていたんだけど、同じく放置していて、今追加分を書いている。当初書いていたときはまだ調子が若干狂っていて、散歩について書いているところとなんとなくテンションの違いがあるなと思っている。

でもまあ、調子がよくなったので、いいではないですか。


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