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壁のエール - 日記

起きたのは11時半を迎える頃だった。
昨夜はうっかり悲しみの中に入り込んでしまい、遅くまで眠れなかった。休日といえど、この時間に起きるのは遅すぎた。昨夜の悲しみを引きずったまま、わたしは下の階に降り、水を一杯飲んで洗面所へ向かった。
何時に起きても、どんな気分でも、わたしの朝起きた時の習慣は変わらず、水を一杯飲んで、トイレに行き、歯を磨いて冷たい水で顔を洗うことだった。

洗面所に行く途中、尿意を感じて先にトイレに行くことにした。随分長く寝室にいたので、膀胱のキャパシティを超えていたようだ。
トイレに入ると、遠くの方から歌声が聞こえた。高い音で、ゆっくりとした明るい曲調だった。壁の方から聞こえている。隣人が鼻歌を歌っている。

数ヶ月前に引っ越してきたこの家は、二階建ての戸建て住宅を縦に半分割ってできた、二戸のみのアパートだった。わたしは一号室に入居し、二号室の隣人は既にこの家に住んでいた。
地元の戸建て住宅専門の建築会社がオーナーで、こだわり抜いた家を体験してほしいという思いから、自社で建てたアパートを貸し出していた。
木造で全室換気システムが働いており、冬でも暖かいというのがこだわりだった。洗面所や風呂場、階段まで無垢材だった。一年中エアコンをつけっぱなしにしろ、ドレーンの掃除をしろなどという賃貸者の責務を逸脱した依頼もあった。自社が建てる家への自信が、機能性を欠かせ荒々しい態度になっていた。それを除けば、良い家だった。

引っ越してすぐ、二号室に挨拶に行った。
甘いものが嫌いでも、美味しく食べられるほどの銘菓を一箱。そして笑顔。インターホンを押すと、かなり長い間返事がなかった。留守にしていると思い去ろうとすると、ようやくインターホンから声が出てきた。女性のか細い、はい、という声だった。夜もさしかかる夕方に知らない人間が笑顔で玄関に立っているというのは、女性にとっては少し怖いことだろう。笑顔のまま、引っ越してきた一号室の住人だと伝え、玄関口で挨拶したいという旨を伝えた。
出てきた女性は三十代半ばで、少し神経質そうな、知的な雰囲気があった。着ている部屋着はパジャマに近く、雰囲気とギャップがあった。幼児がいて、産休をとっているキャリアウーマン。引っ越し作業中、子供の声が聞こえたことはなかったが、そんな偏見で納得した。
短く挨拶し合った。銘菓を渡そうとすると、やんわりと強めに断られた。わたしは甘いものを全く食べないので、持って帰ると捨てるしかなかった。もう一度渡そうとする。断られた。何も言わず、何か気をつけることはありますか、と聞いた。この家は良い家だけど、隣の音がよく聞こえるんです、と女性は言った。何も聞こえたことはなかったですがと言うと、彼女は、いえ、聞こえるんですと言った。わたし達ではなくあなた達が気をつけるんだ、と忠告されているようだった。気をつけますと笑顔で言って、銘菓を渡した。今度は観念して受け取り、じゃあ、と高そうなウェットティッシュを家の中から出した。貸し借りを嫌っているようだった。笑顔で受け取った。彼女に会ったのはこれが最初で最後だった。

壁が薄く隣人の生活音が聞こえやすいということは引っ越してすぐ実感した。階段の足音がよく響く。気にしたことがなかったので、この家の悪い部分には含まれなかった。
男性の話し声が聞こえたことがあった。この家は広く、田舎では賃料が高い。一人暮らしで住む家ではなかった。夫婦で住んでいるのだろう。
ただ、隣人らはあまり会話が多くないようだ。一週間に二、三度、男性の普通の話し声が聞こえるくらいだった。
どの部屋で喋っているかは想像に容易かった。部屋の間取りが鏡写しになっているのだろう。つまりトイレの横は壁を挟んで隣人の家のトイレだった。

わたしはトイレの中で鼻歌を聞く。鼻歌は高く、優雅だった。何の曲か考えるが、自分のライブラリにない。というより、歌い手がメロディを正しく追えていない気がした。つまり下手だった。
高い音から、女性を想像させた。でも、挨拶の時に出てきた女性とイメージがかなり違った。トイレの中で鼻歌を歌うような人には見えなかった。この数ヶ月、壁越しに彼女の声を聞いたことはなく、壁越しの生活で彼女はかなり物静かな女性であるという人物像ができていた。この鼻歌はそれと全く異なっていた。
この声はまだ見ぬ子供の声ではないかという仮説を立てた。
都会に近く、自然が多い。この辺りは子育てがしやすい場所として子供が多くいた。女性の三十代半ばという見た目から、幼児がいるかもしれない、と第一印象で感じたが、幼児ではなく高学年の小学生であれば、生活中の静かさにも、トイレの中の音を外した鼻歌にもおおよそ説明がつくと思った。だが、その子供は見たことがない。

トイレの中で鼻歌を聞いていると、隣人としての立場を確認するような、きっぱりと線を引いたあの時の引っ越しの挨拶が夢だったように思えてきた。トイレの中の鼻歌は、緊張も人の間にある線も何もない。本来他者では入り込めないパーソナルスペースに入っている気がした。何だか申し訳なさを感じた。わたしとしても用を足している途中で席を立てない。不可抗力に入ってしまっていた。

わたしの何の音が気づかせたのかわからないが、鼻歌は急に止まった。隣人もまたわたしのパーソナルスペースに入っていることを知り、自分のパーソナルスペースに穴が開いていることに気がついて急いで閉じたのだった。わたしは足早にトイレを出た。
洗面所に行き、冷たい水で顔を洗う。私の中の悲しみの尾はすでに途切れていた。


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