市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #9
続きです。
T 今日(2021.3.28)は第9章 「ウエスタン・インパクト」とアジアの苦悩を取り扱います。今週はわりと喋ることいっぱいあると思うけど、どうでしょう。
K 大河ドラマとも重なる時代。からゆきさんの話、前に話したことがあったし、教えて欲しい。改めてこの文脈で。
T それでは『からゆきさん』森崎和江の話からしましょうか。明治期以降に九州や中国地方の貧しい農家の人々が出稼ぎに出る先が朝鮮半島に変化した。帝国主義が伸張していくに連れて「娘子軍」と呼ばれる。
K 「娘子軍(じょうしぐん)」、なんて読むのかわからんかったな。簡単に調べただけで。
T 「にゃんこうぐん」とか読んでいたな。帝国主義的に軍が先行して領土を拡大していく流れに随伴して、女子たちも付いていったと。街を作ったら、そこにまず娼閣、売春窟ができて、そこに人が寄ってくる。人が集まる場所に売春宿ができるという機序の中で、女性が先行して街を作るようになって、そこに西日本の貧農の娘たちが人材供給したという話だった。
だからある種人権意識が度外視された働き方を強要されたにも関わらず社会問題にならずにいたのが、戦後に問い直されて批判されたというのが、左翼運動と接続して70年代頃に社会運動になったのが、時代的なからゆきさんを巡る流れだと思いますが、これが敢えてテキストに書かれていることに、あれ阪大わりと左だなというふうに思いましたが。
Y このテキストの書き方からすると、めちゃくちゃ左やなとは思った。日清戦争の書き方も完全に左だと思いました。
T どうしても政治史に注目していると右っぽくなって、民衆史に注目していると左っぽくなるよねという側面はあるんだけど。阪大の先生たちはそういう感じなの?
Y 左が多かった。日本学の先生は特に。昭和天皇を取り上げたときに紹介された本が、『ショーは終っテンノー』貝原浩という画集だった。今は廃盤になっているらしいけど。
T 大学の講義で取り上げるとは思えないくらいキャッチーな本やな。
K ダジャレ?
T 戦前の昭和天皇を批判するみたいな感じか。46年人間宣言。
K そんで阪大が左なんという話は、左なんちゃうん。逆に左じゃない大学ってある?
T 日本で一番左の大学にいたのでなんとも言えないな(笑)
◆東南アジアの女性労働力供給源
K からゆきさんに東南アジアというイメージがなくて、中国や朝鮮半島だと思っていたら、東南アジアにも行っていた。
T テキストでは、出稼ぎの人材供給を、商品を作れない地域が仕方なくやっていたという書き方だったけど。
K ベトナム北部とか。
T そうそう。それって生産性ということを考えると、人が多すぎるだけじゃないのという気はしたけどね。
K 人を突っ込みすぎというか。
T 九州って別に温暖な気候で作物ができないわけでもなく、海の資源もあるから、一定人を食べさせる環境はあったと思うけど、やっぱり出稼ぎにいかないといけないくらいに大量に人を生み出していたんだなと。生産性は相対性でしかなくて、モノはあるけど人が多すぎたということなのかな。
K 男の人がめちゃくちゃ投入されたから、女の人は日本から供給されたという感じ?
T かもね。
K じゃあなんでインドや中国から女性は来なかったのかな。
T それは、綿織物の産業革命前のやり方が、女性労働だったからじゃないの。
K なるほど、インドや中国の人は、絹なり綿なりをやっていたのか。
T そうだと思うけどね。日本の養蚕も女性が担い手だったし。
K 日本はそういうのがあんまりなかったから、ということか。
T なんかそういうふうに読んでいましたけど。
Y インドが女性を送り込めないというのは、宗教的な理由があるんじゃないかな。寡婦になったら殉死するというのが女性の貞潔を守るために。
K ああ、火に飛び込むよな。
T そうなの? ヒンドゥー圏では?
K サティってテキストに出てきたっけ。
Y サティという寡婦殉死という風習がある。未亡人になったら旦那さんの火葬の際に飛び込む。女性の純潔というか、一人の男性にという。
T 二君に仕えずってことね。それってp180に書いてあるな。伝統的な野蛮な風習として改革されていったから、逆に女性を労働供給していきたいという目的のために、サティを禁止したんじゃないの。
Y 改革されていたのか。
K あとは西洋の人権の価値観の押し付けという感じかな。
Y 大反乱が起きて、そのあと緩和されたやろ。
T 緩和されて、その後また寡婦殉死するようになったの?
Y インド帝国を成立させた後に、帝国統治の安定を最優先して、インド社会の伝統を温存する政策を採用するという、ヴィクトリア朝インドの時代。
T p181に「伝統を温存する」とは書いてあるね。
Y これがどこまでを指すかは分からないけど。
K これは多分、ジャーティとかカースト制度のことじゃない?
T 分割統治という文脈で言うとそうだよね。
K 階級を分断させて統治する方がやりやすいという意味での、そういう伝統は温存するよな。
T 「サティは18世紀の初めにはほとんど行われなくなった」とWikipediaには書いてあるよ。1830年には禁止法が制定されて、20世紀の初めにはほとんど行われなくなったみたい。
Y 今では一部の村でしかやっていないって、完全に禁止されているけど勝手にやっているのかな。
T インドの綿織物産業がアジア間貿易の中で再逆転したということが書かれていましたよね。P192で。
K タタ財閥によって。
Y 初めて聞いたけど。
T それって19世紀の終わりに逆転している。約半世紀から1世紀弱かかっているけど、再逆転に成功しているのは、これは知らなかったけれど、寡婦殉死にむりやりなぞらえるとしたら、女性が死ななくなって、ちゃんと労働力としてみられるようになったから、生産性の低いやり方だったとしても、伝統的な方法での綿織物産業が続けられていたことによって、再逆転に到達したとみることもできるかな。
K ホンマやな。インドの女性がどうなっていたのか気になったな。
T 女性視点。
K 去年世界史Aでやったけど、教科書レベルでも中国やインドの現地の資本家によって産業が盛り上がってきたという話は出てきていて、書いてあることは話したけど、それは男性の話だったのかなと、からゆきさんの一言があったことで気になったな。各国の女性がどういう状態だったのか。
T 商業を通じて見ていると商人という男性に注目しがちだけど、動き回っていた男に随伴して街を作るに当たって協力していた女性たちという視点は確かに必要。
K 研究したい。
Y 女性の世界史みたいな本があったはず。『WOMEN 女性たちの世界史 大図鑑』かな。
K その手の本は今多いよな。ジェンダーの視点を取り入れたみたいな。
T なんとかから見る世界史、みたいな本は多い。わたしも『商業から読み解く世界史』宮崎正勝という本を買いました。
K 『民族で読み解く世界史』宇山卓栄は最近本屋で見つけて読みたいと思った。イオンで買うか迷った。
T 迷う理由が価格なら買いなさい(笑)
◆銀から金、石炭から石油への転換
T 三角貿易の中で、アヘンと紅茶と綿織物、イギリスからインドへ綿織物、インドから清がアヘン、清からイギリスが紅茶という過程で、中国から銀が大量流出したという話ですけれど、すでにヨーロッパではナポレオン戦争後に、基軸通貨が、銀貨から金貨に転換していたと。
K 確かにあんまり銀って言わなくなる。
T 銀貨は中世からずっと銀が中国に貯められ続けていたけれども、ナポレオン期に金本位に移行した。大航海時代に新大陸で大量の銀が掘り出されて、それがインドや中国に流れ込んだけれども、そうなったことによって、金は絶対量がすごく少なくて、オーストラリアとかアメリカで採れる。ゴールドラッシュの時期に。
K それが理由かな。19世紀やな、ゴールドラッシュは。
T ゴールドラッシュはでも19世紀の後半という気がするけれども、1848年から1908年の間に、世界の金の産出量は約100倍に達したらしい。
K カリフォルニアが1848から1849やね。
Y フォーティナイナーズ。
K オーストラリアはもうちょっと後かな。そうか、ナポレオン以降と考えると、ゴールドラッシュよりもう少し早いな。
T ナポレオン戦争期に紙幣の信用が動揺して、どんどん金に交換されて、大量の金がイングランドから流出しましたと。イギリスが敗北すれば紙幣価値の大暴落が起こるから、それは当然のことで、イギリスはイングランド銀行を守るため、金貨と紙幣の交換を停止する。これはあんまり繋がってないな。
まあイギリスが率先して金本位制に転換して、その後でイギリスの金融や商業が経済をリードして、ポンドが貿易決済に用いられていたので、他のヨーロッパ諸国もどんどん金本位制に転換していったというのが、19世紀の前半にあったと、そこにあとからゴールドラッシュが追いついてきたという感じなのかな。
K なんで金本位制になったか忘れたわ。
Y もともと金が希少価値が高くて、ずっと紙幣の保証だったけど、銀の方が産出量が多いから補助通貨として使われていただけだったんじゃない。
K もともとは金で、アジアと貿易するのには銀がいるから銀で、また金に戻っていったという感じか。
T 銀から金への転換が、ヨーロッパがアジアに対して優位に立って、アジアの伝統産業を潰して世界経済システムに組み入れていったパワーの淵源だったという書き方。あと豆知識的にボーア戦争が日露戦争の直前にあったけど、あれも南アフリカで金が採れることが判明したことで、イギリスがほしがったという話ですよね。
K そうやったな。このころはめっちゃ金やな。
T だからこの頃は金がメインに。
K ほしがるモノが銀から金へと変わっていった。
T その割に銀もまた中国から流出させて、中国の銀納だった税制が崩れて農村に貧困が広がったという感じだね。
K ボーア戦争まで繋がると気持ちいいな。
Y いつ頃から品目が重視され始めたという観点で言うと、石炭から石油への転換っていつだっけ。アメリカの自動車産業のために東南アジアのジャワ島から石油を輸出みたいなことが書いてあって。
T p184のゴム、石油やね。でもこれ20世紀に入ってからやね。自動車の開発って確か、ギリギリ西部劇とかぶってるよねみたいな話をよく言われるけど、19世紀の後半かな。
Y ペリーの乗っていたサスケハナ号も石炭で動いている蒸気船だったと思うけれど。石油が重視され始めたのは、自動車産業が勃興してからというイメージでいいのかな。
K 石油は1870年代以降かな。第二次産業革命が起こってから。
T 第二次産業革命は、1870年代と理解していれば良いのかな。
K ドイツとアメリカが中心となって自動車産業というのはそこからなんやけど。
T 70年代から90年代のアメリカが、マーク・トウェインが金メッキ時代と揶揄したように、カネ塗れ汚職塗れの経済成長の時代に入っていく。
K それ。金ぴか時代とも言う。トム・ソーヤーもそうやな。
T 大陸横断鉄道が建設され、石油産業や鉄鋼業の成長などもあり、短期間にアメリカの工業力はイギリスを抜いて世界の第一位に躍り出ました。西部の開発も急ピッチで進み、1890年にはフロンティアは消滅します。この時代やね。石油が始まるのは。そこの立役者になったのがロックフェラーだったという話かな。スタンダードオイル社を中心に財閥を形成する。
K 石油はそのへんやな。
Y エネルギー革命というフレーズを思い出して、第三次エネルギー革命が石炭から石油への転換で、そのきっかけがダイムラーが1886年に車を売り出したという。
T そこで自動車が普及していくという感じなのか。
K スマート、フォードとか。
T 1870年代はヨーロッパが大不況という時代に入っていったんだね。大不況って世界史でやるんですか。
K そんなにやってないな。
T これもさっきの話に繋がるけれど、銀が大量に入ってくると、銀の価格がヨーロッパでも下落して、それで産業制限というか、生産力が上がらなくなる時代が生じて、イギリスの銀行の余剰資本がアメリカに投資されるという転換が生じた。それでアメリカが発展していったという流れ。
K 大不況、載っているわ。1873年。世界史Bには載っている。そうなんや。
Y ブラックフライデーしか出てこない。
K それは世界恐慌の方やな。
T 金融不況が生じて。
K この頃列強の経済は不況期に入り、特に1873年に始まった不況はイギリスに深刻な影響を与え、大不況と呼ばれている。各国保護関税制度で自国の産業を保護し、それぞれに工業化を進めて、ドイツとアメリカはこの頃から重工業と化学工業を主とする第二次産業革命を成功させつつある。
T それでアメリカに余剰資本の投資が進んだと。
K 帝国主義の時代に余剰資本をつぎ込むという話は出てくるけど、なんで資本が余剰しているかについてはほったらかしにしていたな。
T 国内産業が停滞していたという話やな。スエズ運河とかそんな感じやもんね。
K そう、そういうの。植民地に余剰資本を。植民地の意義は三つあって、資源の供給源、モノを売る市場、余剰資本の投下先、というのは言っていたけど、資本の説明が面倒だしそっとしておいた。そういう背景か。
T 泳ぎ続けていないと死んでしまう金融家たちがいっぱいいるからな。
K 大不況は大事やな。
T スエズ運河は詰まっているし。いまちょっとタイムリーな話題だけど(笑)
K 詰まったよな、日本の船で。
Y 愛媛県の船で。
K タイムリーで笑った。
T あれは世界経済というか、エジプトも綿花生産地で、アメリカ南北戦争期って、南北戦争という戦争自体がそもそも南部の綿花供給州とそれ以外の州の争いだった訳だけど、綿花の価格が大高騰すると。南部州からの供給がなくなったから。エジプトはその大高騰期にすごく景気がよくなって、その費用を頼みにしてスエズ運河を建設したけれども、南北戦争終了後に綿花価格が暴落して、その目算が外れた。だから売りに出そうと言うことで、スエズ運河株式を売りに出したときに手を挙げたのが、フランス人とつくったんやんな最初は。
K レセップスやな。
T レセップスがエジプト総督と仲良かったんやっけ。で、一緒にスエズ運河の建設をしたけれど、じゃあ買ったのはなんでイギリスだったのかというのが、フランスがちょうどそのとき普仏戦争の後で疲弊していたので、買い付ける余裕がなかった。
K 運やなもう。
T イギリスも別に必ずしも余裕があった訳ではないけれども、ディズレーリ首相が議会に相談せずにロスチャイルドから独断で400万ポンドの資金を借り入れてスエズ運河株を一気に購入した。ロスチャイルドから抵当を求められてディズレーリは即座に「イギリスを抵当にする」と答えたと言われています、と。
K めちゃくちゃやな。
T その時代の植民地経営は。でもイギリスというシーパワーの国は、ランドパワーがないから、スエズ運河の重要性はフランスやロシアよりも強かった、優先すべきものだったということなのかな。
K インドに繋がるしな。
Y ディズレーリがその買収を強行したのに一つ説があって、イギリスに対しての愛国心を彼は全く持っていない。ディズレーリ自体がユダヤ人だからというのがある。ディズレーリをアルファベットで書いたときに、D/israeli、イスラエルとなる。
K それは知らなかった。だからロスチャイルドとぽーんと繋がるんやな。
T ホンマやな。ロスチャイルドとディズレーリってそういう繋がりか。
Y だから「イギリスを抵当に入れる」というのも速攻で言える。予備校の時に世界史の先生に教えて貰った。
T 陰謀論とか好きな人だったの?
K でもそれ覚えやすいな。ディズレーリの知名度が自分の中で一気に上がった。
T ディズレーリの名言で「必要であるならイギリスの首都をインドに移しても構わない」というのもあるけど、そういう発言もイギリスに拘ってない感じがあって、ユダヤ的。
K お父さんがイタリア系ユダヤ人、アイザック・デ・イズレーリ。母も同じくユダヤ人。
Y 授業の役に立てば。
◆帝国主義とは、何なのでしょうね
Y 今回のテーマが帝国主義じゃないですか。ぼくこの言葉にずっと違和感を覚えていて、それについて聞いて貰ってもいいですか。
T はい。お願いします。
Y まずもって帝国って何だというのをずっと考えていて、言ってみれば皇帝が治める国というのが昔からのヨーロッパ的な史観で言ったら。だからドイツ帝国は許せるんですけど、イギリスの帝国主義って言うと、お前は王国やろとずっと思ってしまって。米帝国主義ってよく右翼も左翼も言いますけど、アメリカには国王すらいないけどなと思っているんですよね。帝国主義の帝国というのは、いわゆるインペリアルという意味での帝国ではなく、他の意味合いで使われる言葉なのかな。
T ヴィクトリア女王はインド皇帝になっているよね。植民地の皇帝になるということかな。脊髄で言ったけど。
K 脊髄で言うなら、インドはもともとムガル皇帝がいたから、ムガル皇帝の座にヴィクトリアがついたと捉えたら、皇帝やな。
Y じゃあ皇帝という称号の定義は何だと。ヨーロッパでは皇帝を名乗れるのは神聖ローマ皇帝だけだった。教皇からキリスト教圏を守る王の中の王だという意味で皇帝という扱いをされていた。中国も東アジア地区の国王の中の王だという意味で皇帝を名乗ったというところまでは分かる。ムガルは何の皇帝なの。
K ムガルはモンゴル。
Y モンゴルの皇帝か。
K モンゴルの皇帝の子孫だったんじゃないっけ。ムガル皇帝の最初の人。
Y バーブル。
T パーニーパットね。
K あの人はモンゴル皇帝の子孫である事を、権威付けに使っていたと思うんやけど。
T 権威付けの話は先週もありましたよね。
K ムガルもティムールもそうやな。
T そう考えると、教皇から与えられるものが皇帝だというのは、ちょっと西洋史観っぽい感じがするな。
K Yは神聖ローマ帝国やもんな。そこのこだわりが。
Y 神聖ローマ帝国第一主義だから、基本的に他の国が帝国を名乗るのは許さない。だから中国が皇帝を名乗るのはいいし、日本が天皇で、大日本帝国になるのも分かる。神道という宗教の権威を持っている世俗君主ということで。大韓帝国はおい待てと。
K 大韓帝国は、清の朝貢国から独立したという思いの表れやと思う。中国皇帝の冊封体制の一部だった国家ではなくなったことの意思表明。
Y 意思表明で大韓帝国を名乗る。
K アジアで国王を名乗ってしまうと、中国皇帝の属国の一エリアの王という意味になってしまうから、東アジアで朝貢体制から脱したことを表明するには、皇帝を名乗っておかないとあかんというのはある。
Y 冊封からの脱却。
K そういう意味。Y的には許せないかも知れないけど。
T 中国と対等になるという意味での皇帝という言葉遣いということね。
K 主権国家体制やねんぞと。冊封体制ではなく。
T ロシア皇帝はどうですか。ツァーリは。
K ロシア皇帝はビザンツ皇帝の姪と結婚してツァーリを名乗り出すから、遡ると東ローマ帝国の継承者としてのロシア皇帝。これはY的にOKということね。
Y うん。ロシアはモスクワ正教会の権威を持っているから。
T 宗教的に権威づけられている世俗の君主を皇帝と定義したいということか。
Y そう考えている。もしくはイギリスだと、色々な地域の国王を兼ねるグレートブリテン島本土とインド、オーストラリアなんかを合わせて統治するというのが皇帝の、王の中の王というイメージだから。
T コモンウェルスね。そういう理解で良いんじゃないの。中国の話も聞いて整合的に理解できたけど、諸国があるけれども、それを統べているのがひとつの本国なのだという構造のことを帝国という。
Y アメリカの帝国主義は。
T その定義だとアメリカの帝国主義も、フィリピンとか中国の門戸開放とか、ハワイとかアラスカとかの属国があって、アメリカはそれを州に組み込んでいったから帝国っぽくないけど、もともとから植民地を持っていたし、そういう意味では諸国があってその上に本国があるという構造は守っている。という脊髄理解を。
Y なるほど。ありがとうございます。
K Yが言っている帝国と帝国主義の帝国は、日本語は一緒だけれども違うものとして理解した方が良い気はします。帝国主義政策は経済の話になってくるから、経済的に色々な国を本国が統合していくので、帝国っぽいから帝国主義と言っているだけで、政治的思想的に皇帝になりたいと思っている訳ではない。
T 帝国っぽいから帝国。帝国的な構造を取っているから帝国主義という比喩として理解すればよい。それは分かりやすいな。そういう意味では神聖ローマ帝国に一定のオマージュを捧げているということやな。諸侯の上に皇帝が立つという構造を。
K そうやな、言葉上の権威を使わせて貰っている。
Y 国名の後ろに付く帝国とか連邦とかを気にするタイプで。
K 気にするやろうな。専攻的に。
T それで言うと朝鮮民主主義人民共和国とかどないやねんという気はするけど(笑)
K あれはどうするの(笑)
Y あれはただ単に大韓帝国の皇帝がいなくなったから共和国を名乗るのは許す。
T 民主的なプロセスによって朝鮮労働党が政権を取って、そのトップが彼なだけということね。
Y デモクラシーの訳語ではない、彼らの中である「朝鮮民主主義」という新しい宗教。
あと今回のテキストの中で勉強になったのはイギリスがマレー半島の小国を次々と征服し保護国化していったことで、マラヤ連邦ができたから、それが今マレーシアの後ろが「連邦」になっている理由。なんであそこが連邦なのかはずっと考えていて、ようやく繋がりました。
T この時代の話が今の国の政体に影響を及ぼしているというのはそうですね。タイのコラムはありましたよね。シャムか。
K タイ面白かったな。
T 連邦国家的なものが元々ここでもあって、それがある時期に強力なリーダーシップで束ねられたということで、マレーシアはイギリスが主導したけれども、タイは列強の力に対抗するために自分たちで束ねたとう違いはあるけれども、この時期に束ねたという意味では共通しているかな。それは日本もそうだよなと思っていた。幕府はあったけれども、「単線的なタイ人の歴史などが王室主導で作り出された」というのは、まさしく日本の皇国史観ですよねという気はしました。
K そやな。これは一緒やな。西洋と接触して見られた、東アジアあるあるやな。
T わりとYは政治体制に興味があるということね。
Y 卒論のテーマがそういうのやから。
K 趣味も入っていると思うけど(笑)
◆なぜインドシナはフランスのものになったのか
T 東南アジアについては、政治体制じゃないけれどもお二人の意見を聞きたいテーマがあって、イギリスがマレーをとります。フランスがそれに遅れてインドシナをとりますという感じだけど、「イギリスはなぜインドシナをとらなかったのか」、そして「なぜフランスがインドシナをとったのか」の二つ。産業がある地に進んでいくと考えると、イギリスだってインドシナをとれたよね。
Y かすかな記憶だけど、イギリスがインドシナを取らなかった理由は分からないけれど、フランスが取った理由は、プラッシーの戦いでイギリスとフランスが戦って、フランスがインドから排除されたと。残った軍隊がそのままインドシナ方面に出て行ったという話は聞いたことがある。
T 軍事的にフロンティアを求めていくというのは一つそうかもね。産業的には個人的に一つ仮説があって、インドシナの産業って何なんというのがテキストに書いてあって。
Y 北部は終わっていると書いてあったな(笑)
T p184で、コメの話をしていますよね。「各植民地の経済は一対一で宗主国と結びついたのではなかった」とあるので、フランスやイギリスに必ずしもコメを送ったという話ではないかも知れないけれども、ただ、フランスってコメ食ですよね。実は。
Y へえ。
K そうなん。
T ジャポニカ米を炊いて食べるんじゃなくて、インディカ米を茹でて食べる。「フランス コメ」で検索すると、フランス人が結構コメを食べるのが分かる。
K ああ、それで。
T それがイギリスとフランスの違いだったのかなという。
Y フランスパンが固いから毎日食べられないから。
T そういうこと(笑)ブレックファーストできない。
K なんでやろ。スペインもコメ食べるよな。
T パエリヤ。
K うん。パエリヤのイメージで言っているけど。イタリアもリゾットあるし。いつから食べているのか知らんけど。フランスのコメは意外と美味しい。
Y ライン川があるし、水田もできるわな。
T 小麦じゃなくてコメを育てたということかな。稲作プランテーションがインドシナで作られたというのが、他のアジア間のやりとりだけでなく、フランス自身がそれを欲しかったというのはあったのかな。「イギリスがなぜインドシナをほしがらなかったのか」ということの一つの解答になっているのかなと。
K 別にコメに興味がなかったと。なるほど、考えたことなかったな。
T なぜイギリスのような強欲な連中がインドシナには手を伸ばさなかったのかということ。違和感があるよね。
K 予めフランスと取り決めるにしても、どっちがどっちに行くってのを決めるもんな。
Y それアフリカであったな。なんとか事件。
K ファショダ事件。ぶつかるやつな。
T その前段で、ベルリン会議でアフリカ分割しているよね。いまK先生が念頭に置いていたのはそっちでしょ。
K ベルリン会議である程度方向性を決める。
T 先に方向性を決めて、分捕り合いをして、ファショダでぶつかったらまた考えるという。
K 東南アジアはそんなんあったんかな。この国はここに進出しようみたいな。でもアフリカと違って、大航海時代にみんなめちゃくちゃに辿り着いて支配して行っているから、イギリスとフランスはわりと遅れているはずだから、残っていたところに乗り込んで行った感じかな。
T 東南アジアはアジア優位の時代に諸侯がいて王がいた。アフリカは無主の地とかベルリン会議で言って、無主物先占だから、西洋法は。先に取った者が、自分の物にする。そういう理屈で分け取りしていった。東南アジアは既に秩序があるから、分け取りはできずに、人脈を築けた方が属国していくという、そういう違いがあった。
K 東南アジアに対する眼差しは、始めは「貿易の相手方」だった。それが貿易よりもプランテーションに変わっていった。アフリカは貿易をしようというよりも、奴隷も含めた「資源の確保先」という眼差しで分割が始まっていく。でもお米説は面白いな。
T お米説はちょっと自信あるよ。論文とか読んでないけど。
K あとは桃木さんの本ででも裏がとれたら。ベトナム史ご専門の。
T 高校生に調べさせてよ。「なぜイギリスはベトナムに行かなかったのか。」
K そういうの考えるの好きな人いるで。
Y 受験に集中させてあげて(笑)
K 2年生ならいけるな。地理選択者に世界史Aを教えているから、詳しいかも。
T 是非若い知見を。マラッカ海峡は元々オランダで。
K ポルトガルで、その次オランダで。
T ナポレオン戦争期にオランダが弱体化して、イギリスがパクったみたいな感じかな。スエズ運河もディズレーリ事案でイギリスが取って。
K イギリスが西側を取りたかった理由は、インドから繋げたかったというのはあるかも。地図を見て、インド、ビルマまで同じ色で、セイロンも。
T マレーから北上するルートと、インドから来るルートを合体させることに専心したということか。そういう政治力学はあるよね。経済的利益だけじゃなくて。
K シャムが邪魔やけど。
T シャムが防波堤になったと言うこと?
K シャムは別にイギリスともフランスとも両方関わるんでみたいなスタンスやから、敵としているわけじゃないけど。
Y モノを運ぶなら陸路じゃなくて海路で良いから、マレーの先端までとっていれば、シャムがそこまで重要というわけではないだろうけど。
T シンガポールの政治的眼差しが西を向いていたというのはあるでしょうね。でもインドシナをとれば、中国と繋がるよね。
K せやな。
T でもインドの方が、インド軍がイギリス軍の主体って書いてあったもんね。
K ビルマでも頑張って北に行ったら中国の内地とは繋がるし。
T そういう意味ではビルマが要衝すぎて、ベトナムの優先度が低かったということか。
K 片っぽくらいフランスにやっとこかみたな。
T そういうバランス感覚もあったかもね。
Y フランスの東南アジア植民地はインドシナしかないもんな。
◆中国、太平天国
K そう考えると、中国分割も南の方をフランスに分割しているし、セットで見ると。
Y アヘン戦争、アロー戦争。
T このあたりはイギリスむちゃくちゃやってくれたなという章ですけどね。
K ここは秋田先生が書いた章だと思う。
T 息吹を感じる?
K イギリス帝国主義の先生なので。影響を感じる章ですね。
T イギリスがめちゃくちゃやっている片方で、ロシアがランドパワーで押し寄せてきているのもあって、ロシア抜け目ねえなという感じはする。8月8日を思い出しますね。
Y 対日参戦を。
K このあたりはグレートゲーム。イギリスとロシアが覇権争いをしていましたという。そのへんに触れている一言かなと思いました。
T 中国を分割する列強の絵。ビゴー画。
K ちょっと絵が古い気がする。現代イラストレーターの再現かと思った。
Y わたしの記憶だと後ろで中国人がわーってやっている絵じゃなかったっけ。
K これやろ。
Y それそれ、そっちのイメージがあった。
K 列強による中国分割の風刺画。
T 中国の章で意外だったのは、太平天国がキリスト教の影響を受けているって、わたし知らなかったです。
K あ、ホンマ?
T 洪秀全自体がわりとトンデモキャラというのを今回初めて知った。
K この人は科挙に落ちまくっている。中国の制度がいらんくなってきて、キリスト教にハマってんな。
T 夢のお告げで「お前は挙兵しなさい」みたいな。
K 神の声を聞いちゃう系の。科挙に落ちすぎておかしくなったんやと思う。
T 中国人一定の割合でおかしくなるよね。そいつらが社会に影響を及ぼす。
K 科挙に受からせとけばこんなことにはならなかったのに。
T ホンマやな。
Y ただ太平天国のスローガンが「滅満興漢」じゃないですか。科挙なんて漢民族の文化なのに。
T だから滅満興漢でいいんじゃないの?
Y 落ちまくって恨みを持っている、オレが何で受からないんだという。
T 落ちているのに興漢しようというのが不自然ということ?
K 満州に支配されているのがいらんということやろ? 満州人の開いている科挙がいらん。
T そうそう。満人が登用されてオレが落ちたということじゃないの。満人枠をやめろと。
K 満州人の皇帝、トップに据えられている中国をやめて、もとの漢人の王朝に戻したいということやろ。
T いや、ぼくはそこまで考えていないと思った。単に満州人が科挙に受かっている枠が消えれば、オレが入れる、ってとこまでしか考えていないと思う。
K 視野せまっ。洪秀全の視野、意外と狭い説。
T 体制を変革することまで洪秀全のビジョンにあったと思う?
K あったんちゃうんかな。実際ミニ共同体をやっていた。
T コミューンみたいなやつ?
K 滅満興漢を掲げて、太平天国というコミューンを作っている。その中では弁髪も止めて、キリスト教の教えに従って男女平等を唱えて、纏足とか、満州人による悪しき風習を止めさせて、そんなことが脅威だったから、潰すのに必死になったという。
Y 天朝田畝制度懐かしい。
T 天朝田畝制度って何?
K 土地を農民にちゃんと与えるみたいな。
T 班田収授みたいなの? 公地公民とか。
K えらい古いな。未実施やけど、コミューン内で清朝よりもマシな政治をしようとした。男女の別なく土地を均分する。
T こんなん班田収授やん。
K 一言でいうと。
Y 女性まで入っているのはすごいな。
K すごい。たぶん纏足を止めさせたのは農業をさせるために不便だから。労働力として使うために止めさせた。
T 質問ですけど、p188の「人口急増による周辺地域の生態系破壊による社会不安定」って具体的に何を指しているんですか?
K 「湖江熟すれば天下足る」の時代に、本来農業に不向きな土地まで開発していった結果、飢饉が発生しやすくなったということを言いたいんやと思うけどよく分からん。
T 単に開発していきましたっていう話か。森を切り開いて田んぼにしたっていうこと。
K でもそう書いてないから、遠回しだから気になるよな。
T 公害とかあったのかな。工業地帯、でもそれにはちょっと早いよね。
Y 川の流れを変えたとか。
T それは農業やね。農業レベルでの生態系破壊に留まるのか、工業レベルでの生態系破壊があったのかどうか。
K この頃の中国の工業はまだ絹織物とか焼き物とかだから、陶磁器は周りの生態系を破壊するのかな。
Y 川の流れ、土地に水を送るために灌漑したせいで、川自体が枯れてしまう、アラル海。
K アラル海は凄いことになっているよね。
Y アラル海はそれで小さくなってしまっている。
K 二つに割られたしな。
T 灌漑による枯渇と言えばアラル海ですね。
K 明、清代の産業は陶磁器、絹織物、綿織物だから、破壊しそうなイメージはあまりない。また他の先生に聞いておきます。
◆内地旅行権と不平等条約
T 中国は日本との対比が色濃く出ている気がして、関税自主権を与えない不平等条約は、日本や中国に限らずどの国に対しても押し付けていると思うけれど、p187に「外国人に内地旅行権を認めた」という、内地旅行権というワードが出てくる。実は日本は内地旅行権を認めていない。横浜から一定の範囲はよいけれど、それ以上奥は行ってはいけないという感じにして、だから一番奥地の八王子が栄えたみたいなのもあるけど。横浜から一番奥までいけるのが八王子だった。
K そうやったんや。
T それが清の急進的な分け取りと、日本が一定の余裕を与えられたことの一つの違いで、なんで日本は清のように分け取りされなかったのか、どう思いますか。単に時間というか、大きい港がなくて、西洋からの心理的距離感があったというのも大きかったのかなという気はしたけれども。どういう要因が中国と日本の命運を分けたと思いますか。
Y アメリカにとってはメリットのある地域だったけど、ヨーロッパからすると極東というくらいだから、端っこまで行く必要がない。東南アジアは貿易の拠点にできるけれど、ということでイギリスとかには魅力的な地域ではなかった。アメリカは捕鯨の給油地、対岸として、という認識です。
K 日本にヨーロッパ人は何の魅力も感じていないのかなと思ったけど。何がある? 資源か市場か投資先で考えると、資源はないし、市場規模もそんなにないから。中国は三億人いたって書いていたから。
T 中国の三億人に比べると遜色はあるけれど、江戸だって百万人都市で人口は一定あったよね。
Y パリより栄えていた。
K 魅力はあったんかな。
T 単に市場価値がないだけなら、プランテーション先にするという発想もあるし。それを妨げたのが、政治体制がある程度しっかりしていたからかな。
K 国民性の違いで言ったら識字率は高かった。すでに教育水準が高かったことでやりにくさを感じたとか。
Y キリスト教も浸透していなかったし。
T イギリスにおいては薩英戦争や下関砲撃は本国では不評で「イギリスの力と利害を超えた無謀な冒険」とみなされたらしくて、日本に行くのは中国に行くのと少し違う見方をされているんだよね。なんでそう評価される余地があったんだろう。関税自主権の剥奪は押し付けるけど、条約の他の項目ではちょっと配慮している感じがあるよね。清の状況と比べるならば。
K どう見られていたのか。
T ガリバー旅行記の国か。
K ややこしそうな国と思われていたのか。ガリバー旅行記には踏み絵のシステムがある国として出てくる。
T キリスト教に対する排除的な側面がデフォルメされている。
K ガリバー旅行記をちゃんと読んだわけではないけど、スウィフトはイギリス人で、イギリス人の感覚がそうだったのか。
T p189で「同時期のイギリスはインドの大反乱の鎮圧や中国での第二次アヘン戦争など軍事的に余裕がなく、日本の開国では新興のアジア太平洋国家を目指すアメリカが主導権を発揮した点が特徴である」とこれはさっきYが言っていたように、アメリカにとっての利益が大きい土地柄だったからアメリカが主導したところはあるのだと思うけれど。
K タイミング的なラッキーもあった。アメリカにとっても従来は捕鯨のための燃料供給地として開国したということを強調してきたけど、今はアメリカが中国を取りそびれたから、仕方なく日本を開国させたという捉え方も強くて、中国の分割に参加できていない。
T ずっと門戸開放って言っているもんな。
K そうそう、あとから門戸開放って言っているのは、君らで取り合うな、ビジネスチャンスは平等にせよというのは、アメリカも入れてくれと言っているだけだから。
T でもあれはフロンティアが消滅したあとやもんな。
K 本当は中国に行きたかったけど。
T 19世紀の中盤の段階でアメリカが帝国主義にシフトしているのかというと、そこまでなのかな。
K そうやな。帝国主義は70年代以降の第二次産業革命とセットという感じやな。
T だとすると南北戦争の直前であったこの日米修好通商条約が控えめな条項なのは、まだ帝国主義的な発想がアメリカになかったということなのかな。
K せやな、アメリカはまだ国内がごちゃごちゃしているから、海外植民地をいっぱい作っていくのは、どうしたらいいか分からないところがあったかも知れない。
Y フロンティアの消滅が1890年で、門戸開放宣言は1899年だから、その理論は確かに当たっている。
T 条項について、治外法権と関税自主権という二つをよく言われるけれど、治外法権というのは領事裁判権だけじゃなくて、行政適用の問題でもあったというのが、法学部的な視点でいうと。
K そういうの聞きたいな。
T 政府が新しく作った法律を国内に適用するのが行政権の適用だけど、租界や外国人居留地においては新しい法律が適用できないというのが治外法権の本質だと。逆に言うと、租界や外国人居留地においては、行政権自体を公使館が担っていたと。
でも行政権って拡大しますよね。夜警国家で安全だけを考えるのが行政の役割だったらそれでも良いわけだけど、だんだんと行政需要が高まって、郵便とか、水道インフラ、下水インフラ、そこまで当時は到達していなかったかもしれないけれど、生活に必要に行政の適用に関しても公使館が担うのは人的リソース的に不可能で、だとすると行政権の適用は日本の行政に服していた方が外国人側にとってもメリットがあったというところから条約改正の交渉が、そこを立脚点にしてスタートしていったところがあったみたい。
外国人の不始末を外国人がつける領事裁判権ではなく、行政権の適用が治外法権の本質だった。だから治外法権の方が早くに撤廃することができたというストーリーになる。そういう意味で言うと関税自主権は1911年までかかっているから、日本だって中国と同じ条件での不平等条約だった訳だけど。そこまで差はなかったのか。
K 今の説明で、日本が近代化を急いだ理由が分かった。郵便制度とか色々と整えていかないと、整えていくことによって治外法権が解消できるかもしれないと考えて急いだ面もある。
T もちろんそうですね。だから民法もそうですね。近代的な西欧に倣った民法典が整備されたから、ようやく司法権を日本に返して大丈夫と解釈されたので、法整備が条約改正交渉において一番重要なファクターだったというのは法学部的にはまず教えられる。
K それ今日聞けてよかった。浅い授業程度の話だったら「外国に一人前の国と認めて貰うために近代化しました」という教え方をしてしまうんやけど。というよりかは、いまの説明がしっくりくる。
T まあそういう説明でも、意味するところは合っているよね。
K あとそれでいうと、中体西用ではあかんかったんやなと。中国の失敗も理解しやすい。西洋技術は導入したけれども、国の政治体制はずっと踏み込まないまま辛亥革命まで言ってしまって、その結果ああなってしまったけれども、日本は行政にしっかり切り込んでいって、そのことによって条約改正もできたから、その差は大きかったんだなと。
T ただ条約改正に際して、内地旅行権を人質にとったというか、内地旅行を認めていくからその代わりに領事裁判権を撤廃してくれという交渉の仕方をしていた時期も、井上馨とか青木周蔵の時期にはあったみたいで、内地解放を守れたのはよかった、内地旅行権を制限できたのは、あらゆる面で日本にとってラッキーだった気はする。
K せやな、最初から認めていたらそれをカードにできないもんね。
T なんで内地旅行権を西洋はほしがらなかったのかな。やっぱり生麦事件があって、斬られると思ったのかな。
Y おれもそれは思った。
T でも時系列が逆やんな。生麦事件は62年。やっぱりガリバーか。
K 物騒やと思われていたのかな。あとは旅行するほど広くないと思ったのかな。
T それは、強欲な商人たちは色々な市場を求めていくでしょ。
Y 日本に着手したのがアメリカからだったから、アメリカに内地旅行権を求める発想がなかったのかも。アメリカの条約にイギリスとフランスが追いついて来ているから。
T か、逆か。清国は奥が深いから内地旅行権を認めてもらわないと市場がないように感じたけれど、日本は地理的に細長いから港さえ押さえればそれで良いと思われたということか。
K うんうん。そんな気がした。旅行するほどじゃない。広さ的に。
T 旅行するほどじゃないというのはそういう意味か。
◆バリ島、分割統治
T 雑談っぽくなるけど、p185の新しい民族文化というコラムあるじゃん。
Y バリ島の舞踊。
T ここで言われているのって、ショービジネス化することによって、伝統が、形を変えてではあるけれども生き残るということであって、タイムリーだと思ったのは、Yさんが島根県をフィールドにされると。
K そうなん。
Y 仕事で島根県をまわることになりました。
T 去年(2020年)の2月に石見地方を旅行して、石見神楽を観たんですけど、石見神楽は今でもショービジネスとして成立している。多くの伝統芸能が保存会とか文化的な支援政策によって成り立っているのと対照的に、石見神楽はビジネスとして今に残存しているのが特徴的ですけれども、それを思い出した。このコラム。
K それは肯定的に捉えているということやな。わたしはこのコラム読んで、もとの姿が、本来の在り方が改変されて喪われたと思っちゃうんやけど。
T 確かに、石見神楽も張り子のオロチは大阪万博向けに作った技術で、伝統ではないんだけど、ただそれが動態保存されている限りにおいては、それは良いんじゃないかな。ら抜き言葉もそうだけど、伝統が変わっていくのが嫌がる人もいるけれど、動態的に動いていくなら別にいいじゃんとぼくは思うので。
K ゼロになって文献上の存在になるよりかは、ということか。
Y 島根はその傾向は強いと思う。もともと出雲国と石見国があって、西側の石見国は全く産業もなくて、日本に誇れる物もない。島根のイメージがある宍道湖も出雲大社も、東の出雲国の周辺だから。せめて石見神楽だけで西側の人たちのプライドを保っていると感じているな。この間一週間くらい行って、西と東でそれぞれにプライドを感じている。
T 医者はそういうのに敏感よね。
K 石見銀山もあるのにな。
Y 石見銀山はもう閉山している。観光地だから。
K 世界史選択者としては、世界に誇る地名やんな。
T 地元エリートと関わる仕事に就けるのはうらやましい。
K 色々と島根情報を教えて欲しい。
T あらゆる章で島根への言及を義務化しましょうか。
K 島根との関わり。今回はクリアしたもんな。
Y 大和と島根はそういう関係ですから。
K わたしそんなん見に行った。去年、出雲と大和みたいな、東京の上野の国立博物館で、出張で東京に行けたからせっかく見に行ったら、奈良で見られる展示ばっかりやった(笑)
T 阿修羅とか出張しとったな。
K めっちゃ奈良で見られるやんという(笑)
T あと最後に分割統治の話をしたいと思って。掘り下げる感じではないんだけど、『ジパング』かわぐちかいじという漫画があって。知ってる?
Y 知ってる。
T 海上自衛隊のイージス艦が1940年代にタイムスリップして太平洋戦争に突入していく話やねんけど。
K そんなん無双するんちゃうん。
T 一隻で無双できたのは最初の局面だけで、だんだん相手国が「あれイージス艦何なんあれ?」みたいな感じで対抗されてきて、それだけ聞いたらネタっぽいけど、結構政治的にもリアリティがあって面白いのよ。
K 読もうかな。43巻あるのか。
Y ワスプ撃沈というタイトルの章がある。
T あのワスプって、White Anglo-Saxon Protestantって意味?
Y 空母名やけど。『沈黙の艦隊』かわぐちかいじも面白いよね。
T 『沈黙の艦隊』も面白い。
K そんなんばっかり書いている漫画家なのか。
T 冷戦期を知るのにすごくよい教材だと思う。
Y 書き方が、意欲を高めてくれる書き方になっているから。
K 何の意欲? 右翼の意欲?(笑)
Y オレも頑張ろうという。
T 『沈黙の艦隊』は、序盤は北極海海戦とか男の子系なんやけど、だんだんアメリカに突入していく感じがワクワクする。
K アニメ化もされてるやん。
T それで『ジパング』では、アッツ島から撤退するシーンが描かれています。史実ではアッツ島は、初めて守備隊が玉砕する場所なのだけど、そこから部隊を引き上げさせるというミッションに自衛隊がつく。すげぇ自衛隊っぽい、って思いながら読むんやけど。
K 玉砕させない。
T そうそう、玉砕させないというミッションを成し遂げて、それで余った戦力をもっと世界規模でインド洋に進出させようという展開になっていく。そこでインド空軍と交戦するんだけど、そのインド空軍のキャラが、めっちゃ分割統治なんだよね。
K と、いいますと?
T インド人の将校が出てきて、現地エリートなわけ。イギリスに留学して、イギリスの教育を受けて、インドに帰ってきて、インド軍の幹部になっていると。
K ガンディーやな。
T ガンディーもそうか。彼は対抗系の人材になっていったけど。その将校は「大英帝国のエアフォースに敵対している日本の軍は私たちの敵である」と自然と口にできる人物として描かれている。分割統治と聞くと彼のことを思い出す。文字にすると単純だけど、それを構造的に高校生は理解できるのかなといったら、漫画は役に立つのかな。分割統治をどこまで想像できるのか。
K それは分割統治を「現地エリートvs現地の貧民」という形で捉えていると思うけど、高校の歴史だとイスラムとヒンドゥーを分割統治したという感じだから、ちょっと違うな。横と縦みたいな。
T 横と縦やな。横も当然あったんだろうけど、縦の方が根深い気はする。
K 実際はそうかも。どうしても教科書の単語としてはガンディーとジンナーとか人物を出しながら、分離独立しましたという話にも繋げやすかったりするから。主流派対決という話をしてしまうけれど。
T バングラデシュ、パキスタンね。
K 縦の分割もあるよな。
Y 西アジアの国で、ジズヤとかあったじゃないですか。
K ジズヤ、ハラージュはムスリム圏一般にあるね。
Y 改宗したら免除みたいな。
T 確かにそれは似ているね。
Y あれは何朝だっけ?
K イスラム全般やね。
T 最初はアッバース朝? ウマイヤ朝か。
K アッバース朝から。
Y 改宗したら免除されるのは最初から?
K 最初じゃない。最初はアラブ人至上主義だったけど、途中からアラブ人以外の人種も税さえ納めれば同じ取り扱いにするという話になった。あれはでも分割統治というか、カネさえ払えば文化を否定しないという文脈で、Yの言っているジズヤの廃止する復活するというのはムガル帝国の話かな。
Y ムガル帝国か。
K ムガル帝国は3代アクバルの時にジズヤを廃止して、6代アウラングゼーブで復活させた。よくカエラングゼーブって言っていたヤツね。
T 5代シャージャハーンの息子やもんな。タージマハルの。
K そんな小説借りたな。
T 『イモータル』萩耿介やな。
Y はいはい、ありがとう。
K ジズヤの廃止と復活で宗派対立を引き起こした。もともと南アジアは色々な宗教が発生している地域だから、本来宗教対立はあんまりなかったらしくて、適当に棲み分けが成り立っていたらしいけれど、その対立を激化させたのがイギリスだと言われている。分割統治がなければそこまで対立はしていなかったらしい。
T 分割統治はどちらかというとそういう負の側面の方が強調されると言うことか。
K そうやな。
T 高校生に教えるならそっちの方が良いか、確かに。縦の分割は働かないと分からないよな。半沢直樹を観て、東京セントラル証券のプロパーの人と銀行の人が争っているのを観て、何も分からないよな(笑)
K 紹介だけして、大人になってから確認してくれても良いけど。
Y 今の高校生は、YouTubeで解説している漫画動画とかがウケてるよな。
K みんなYouTubeで勉強しているな。確かに。
Y サティとかからゆきさんとかは漫画動画で解説してくれている。
T からゆきさんを? へえ。
K ファクトチェックは大丈夫なんかな? YouTuberの人ってピンキリで、予備校講師がやっているやつとかは良いけど、オリラジのあっちゃんは間違っている時があるらしいから、どういう人が発信しているのかよく考えてからみなさいとだけは言っている。言い間違えしてもあの人らは君らに責任とらんよという。それを理解して無料動画を楽しみやと。ただからゆきさんは授業で言いにくいから、無料動画で勉強してくれたらよいかな。
T 授業で言いにくいというのもそもそもどうなんという感じもするけど。
K 切り込んでいこか。近現代史は一個一個の物言いに気を遣う。でも触れないのもヘンだから、慰安婦問題でも教師の思いは語らないけれど、教科書に書いている事実の意味は言って、あとは色々な考えに触れてくださいという。
T 歴史認識は難しいな。
K 大学の方が議論しやすいやろうな。高校は学習指導要領という縛りもあるし。ホンマは知っておいて欲しいけど、ちょっとこれはというのは。クレーム付けてくる人は年に何回かはあって、アメリカ大統領選の時、政経の試験問題に、2学期の期末だから12月に入ってからの問題に「アメリカ大統領選で当選が確実とされている民主党候補者の名前を答えなさい」みたいな問題を出して、クレームが来た。
T その試験問題もどうかと思ったけど。時事過ぎて政経の試験と馴染まないようにも思うけど。遊び心やったかもしれんけど。
Y そうやな。
K 時事問題は、何月から何月に起こった出来事を何点分とか宣言した上で少し出題している。教科書の内容だけだったらみんな100点とるから。
Y 「確実」は言い過ぎたかな。
K だからからゆきさんとかもちょっと慎重になる。
Y おれらのときはそんなんなかったけどな。
K そやろ。むしろ大橋先生のあの感じがウケてたもんな。
Y 高校一年生のとき、外国人労働者についての発表をさせられて。総合か何か。
T 全然覚えていない。
K 人権ホームルームとかかな。
Y 一列で一班に分かれて発表して、おれが男女混合のグループだった。男女で分かれて、それぞれ外国人労働者の話をした。プラザ合意の話をして、ブラザー合意って何ですかみたいな質問をいただいた。
T プラザ合意と外国人労働者はどう関係あるの?
Y お雇い外国人の話をしていたかな。
T お雇い外国人は19世紀やな。
Y そのときの報酬がいくらで、その金額は三条実美と同レベルとか。
K 外国人労働者と聞くと賃金安めの人たちのイメージだけど、ちょっと違う切り口で。
T どちらかというと高度人材の話をしていたわけね。
Y Iさんが従軍慰安婦について話していた記憶はある。
T Iさんは左だったのか。
K なんとなく知りたかったことを調べただけじゃないの(笑)でも高校一年生にしてはヘビーなテーマやな。
【終】
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