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98㎏から75㎏を目指すバンドマンの復活日記 その1 はじまり

メジャーデブー前夜

スムルースが活動を休止したのは、2016年の4月。
それから5年が経ち、当時80㎏だったボクの体重は98㎏まで増えてしまった。
休止前でもすでにデブ業界でいうと幕下、序の口レベルだったわけだけど、今や大関といってもいいくらいの貫録を手にしてしまっている。

横綱たちの金言によると「100㎏を超えるにはデブの才能がいる」とのこと。

この1年半は95㎏からピタリとも動かなかったので、その才能とやらはなかったのかもしれないと陽気に受け取っていたわけだが・・・むしろ、どうせ太るならば人生で100㎏になる経験も悪くはないかも~という奇妙なデブへの積極性があったような、なかったような・・・

というタイミングで、スムルースの再始動が決まった。

しばらく計っていなかった体重もこれを機に計ってみると98㎏になっていた。

誰が言ったか、メジャーデブー。

ある晩、「スムルース」について考えた。2004年にキングレコードからデビュー。2008年にヤマハに移籍。
売れそうなバンドといわれ続けて、そこまでは売れず、とはいえフェスやテレビ、ラジオではそこそこ活躍した。
ボクがギランバレー症候群という難病にかかり、いったんバンドは休止となる。

難病は奇跡的な回復を見せて完治したが、もはや再活動する気力はなくなり、家族との生活を一番に考えるようになった。
2016年に休止。
ボクは、デザイン会社をつくって現在は大阪府高槻市のいち経営者として、穏やかな生活をしていたわけだが、再始動が決まる。
ファンはスムルースのことを覚えているのだろうか・・・。

夢はかたちを変えて

復活にあたり、SNSやグッズの販売からファンの声がたくさん聞こえてきた(休止中も「RINGO DOROU」の名前でグッズの販売は続けていた)。

「早く会いたい」
「あの曲が聴きたい」
「3人のステージが見たい」

復活を望む声は、素直にうれしかった。
武道館でライブをするようなバンドになるのが夢だったが、今や夢はかたちを変えて、ただ昔みたいにバンドでライブをすることに移行した。

そこでようやく気付くわけなんだけども・・・

この、鏡の前のオッサンは誰だ?

太っているだけではない。
慢性の倦怠感、むくみ、カサカサの肌、痛風、寝不足、オジサンの髪型、首のところにあるぷにぷに・・・

鏡の前で、もう一度思った。

この、鏡の前のオッサンは誰だ?

あ!ワシか?

自分の人生を振り返ったことなど基本なかったのだが、youtubeの動画や昔のアルバムなどを聞き返す。
何とも言えない気持ちになった。
もしこの状態でステージに上がれば、1曲も歌えないどころか体力が限界になるだろう。
たとえるなら朝一番からスマートフォンの充電が5%の状態で1日の生活に挑むようなものだ。

植田健一がやってくる

自分のベスト体重は73㎏。
この時が一番キレがあり、モテた(当社比)。

と、考えると98㎏の体というのは、25㎏のオーバー

2リットルのペットボトル6本入りの段ボールケース2つ分!
e-Statという国の統計サイトを見てみると7歳の全国平均が24.1㎏なので、小学校低学年の子どもぶん体にしょって生活をしているようなものだ。

これは、ドラゴンボールの亀仙人が背負っている甲羅とほぼ同じなわけで、もしかすると、この錘がなくなったとき、修行の結果かめはめ波でも打てるようになるのかもしれないわけだ。いや、そんなわけはないが。とにかくやったろうじゃん。

「やったろうじゃん」

なぜか関東の言葉で目覚めたわけだが、今まで数々のダイエットに失敗し続けてきたボク。

もう、嫁も社員も自分もまったく誰も信じてもらえるような状況ではない。

ラストチャンス。
もう人の手を借りてダイエットを成功させるしかない。
誰か、限界まで詰めてくれるような鬼はいないだろうか…

うーむ。うーむ。うーむ。

心当たりはひとりいる。
というか、その鬼ひとりしか心当たりはない。
が、しかし、彼も忙しいだろうし、スーパーストイックだがパーソナルトレーニングのプロというわけでもない。
普通なら断られるであろう。

その人間とは、20年来のミュージシャン仲間

植田健一

鬼である。
鬼の後輩。

というこで、連絡を取ってみた。

このリアルタイムで進んでいく話は、懐の深い鬼とのやりとりからはじまるのである。
以下、経過はこちらの動画で

ここから始まる、リアルタイムのダイエット企画。

この場所では、個人的な内面を中心に44のオッサンが挑む25㎏ダイエットの記録を楽しんでもらえたらと思う。

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