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生きる

ここ数年、写真投稿サイト「flickr」を、よく見ます。
欧米でよく利用されているサービスで、比較的高齢者の利用も多いのか古い写真も多くアップされています。そして従軍カメラマンなどの個人所有写真もアップされたりしており、そのコレクションからは、当時の様々な様子が垣間見られるのです。

冬のソウル郊外を歩く、紳士。これは1946年に撮影されたものだそうで、都市部の撮影が多い昔の写真としては珍しく、70年以上も前の朝鮮半島の近郊農地の風景が見られます。

Korean Road, January 1946

https://www.flickr.com/photos/dok1/4774477571/

見ていくと、いろいろな写真があります。従軍カメラマンとしての戦場・駐留地の撮影だけでなく、移動の道中を撮影していたり市民の様子なども結構撮られています。

そして、その中には「心ざわつく」ようなものも、あります。

Seoul Sidewalk -October 1945

https://www.flickr.com/photos/dok1/4353730125/

この写真は1945年にソウル市内東大門付近の市街地で撮られたもので、服装からすると夏場か秋口。写真のキャプションは「私が韓国に到着した直後の1945年10月、私はこれを東大門近くのどこかで撮った」と始まります。恐らく日本の敗戦で日本人が引き揚げ、米国軍が進駐し暫定統治を始めた頃で、市民生活などの視察・撮影をしていたのでしょうか。写真には「近くの路上で売られている商品」とのメモ書きがあるとのことで、子供たちが生活費を稼ぐため、路上で販売していたものでしょう。
そして、その販売しているもの。日本人なら「これは…」と、心ざわつくかも知れません。恐らくこれは、雛人形。敗戦後あわてて引き揚げた日本人が現地に残していったものか、それとも現地民にも雛飾りを「推奨(という名目での半強制)」とかでもあって「もう要らない」となったのか、状況は分かりませんが「雛人形が路上で乱雑に売られる」状況は、なんとも「人形さんが忍びない…」と思ってしまったりもします。

しかし、これは、生きていく、生き抜くためには「必要な行動」だったのでしょう。手持ち品で不要なものは、混乱を極める社会情勢下では「売って現金化」したいでしょうし、消え去った人たちが残した「無主のモノ」を「取得し糧に変える」のも、生き抜くうえで必要な行為だったのだろうと、思います。文化が違えば、価値観も美的感覚も、違うもの。それが雛人形であれ何であれ。

文化の違い、美的感覚の違いと言えば、この写真も心ざわつき、その背景を、いろいろと考えてしまうものでした。

Sailors on Shore Leave

https://www.flickr.com/photos/dok1/2557204984/

これも1945年に、ソウルで撮られた写真。恐らく米軍の兵士か、関係者かが、日本の着物を羽織って闊歩するカット。着付けも何もかもメチャクチャですが、屈託のない笑顔でエキゾチックな体験を楽しむ彼ら。しかし、そこは朝鮮半島。わずか2ヶ月前まで日本人が「進出」し暮らしていた地。そしてその2ヶ月の間に状況が激変し、引き揚げることとなった地。彼らはこの着物を、どうやって手に入れたのか。
日本人が「残して」いったもの。これを、現地の人がどうするか。それは、生きていくため、命をつなぐため、「活用」することを、責められようか。そしてそんな背景を恐らく知らず、朝鮮半島の首都で和装を楽しむ「あたらしい駐留者」。理屈は分かるが、心のざわつきが収まるまで、しばらくの時間が、かかりました。

生きる。それは、厳しく、残酷で、尊いもの。
ああ、やっぱりうまくまとめられない。けれど、生きることは、そういうものなんだと、あのときを思い出したりも、しました。

生きる。本当に、重いことです。そして、それぞれに、大切なものです。

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