原点に、かえって。
2019年2月5日。新年、明けましておめでとうございます。
旧正月(旧暦の元旦)は、雲ひとつない快晴で始まりました。
なんだか朝から、気持ちが良く…。
中華圏や韓国、そして東南アジアなど、伝統行事は旧暦で行うところが大半。ということで個人的に、二度目の迎春を祝ってみました。
どうやら日・韓・中とも、正月には何かしらで餅を食べる風習があるようなので(中華圏は餃子だという話もありますが南部ではそれほど一般的ではないようで)、日本の餅で、韓国のトックッ(餅雑煮)を、鶏ガラと白葱の中華風スープで仕上げてみました。新年あけましてセーボンマニマニ新年快楽。国家間では色々とありますが、市民同士では、うまくやって、楽しく過ごせますように。
それにしても、天気がいい。冬なのに午後も晴れてる。これは、来いということか、あの場所に…。
なんだか、来ないといけない気がして、やって来ましたこの山裾に。この神社に。
この山裾の、小さな神社。子供の頃、そしてうら若き頃、ときどき自転車で「遠征」した場所。
校区も、いわゆる昔の集落としても、「となり」の場所。なので子供の時代は冒険の場所として、うら若き頃は、ひとりになれる場所と、して。
何かあると、この杜にきて、知った人が誰もいない中で、想いに、耽っていました。そして、煮詰まったら、ここを、登っていました。
播州平野と呼ばれることもあるこの地、実質的には平野などほとんどなく、扇状地と小さな山々で構成された旧リアス式海岸だった場所。遠浅だった海辺は土砂の堆積で遠くなり、昔は岬だったり島だったりした場所が、山となり今に至ります。
そして、ここが海辺だったことを示すものが、この山の尾根に、残されています。
観濤處。うねる波を、観る処。
この刻字は、姫路藩の儒学者永根文峰が書いた「観濤処」の文字を家老の河合寸翁がここに刻ませたもので、天保七年に完成したものだそう。昔まだ、この山の麓近くまで海が迫り、また沖合まで見通しの良かったこの尾根は、播磨灘の力強い波のうねりを見るに絶好の場所と評されていたようです。
今は雑木や下草も茂り、少々見通しが悪くなっていますが、そして海辺は塩田開発などで遠ざかり、潮のうねりを観ることは出来なくなりましたが、ここに見えているのは、私の暮らす「場所」そのもの。そこを、少し離れた「となりまち」の、少し高い「やまのうえ」から、見る。いや、そこに行くことが、リセットのきっかけのような、そんな「儀式」の場と、なっていました。いやなこと、悲しいこと、そして時には嬉しさを、ここに立つことで、俯瞰しながら咀嚼し、消化していきました。
新年にあたり、どうにも、改めて、ここに立ちたくなったのです。
それは、これからの再スタートを、決意したくなったから、でしょうか…。
ふと見れば、山つつじが、もう花を咲かせていました。
なるほど、もう、春が、始まったのですね。
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