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No Pandemic StoriesだったらBTSと出会えなかったから

Permission to Dance、良い曲だよね。日々を彩る。BEを最近は良く聴きます。音楽は気持ちに寄り添ってくれる。

リアルタイムだからこそ


IN THE SOOPを観た。同世代の彼らが持て余している様子が滲みる。途中RMは同級生のホソクにこうこぼす。

「本当なら今頃ツアーの真っ最中だった」
「なにもすることがないなんて引退後みたいだ」
「休むのにも才能が必要だよな」

どうしようもなくて、苦しみに胸がぎゅっとなる。

私は海外旅行に行くのが好きなほうだけど、1年中世界中を飛び回り、ツアーをし、世界中のARMYやインタビュアーや街並みと出逢うことに比べればとてつもなく些細なことだ。それでも辛いのだから、彼らにとってはその苦しみはいかほどだろう。

気持ちはメンバーで一緒みたいだ。途中テテもグクにこう話す。

「VliveでARMYと話して、その時は楽しい」「でも一人でベッドに戻ると虚しくなるんだ」「オンラインの交流はあくまで一時的なものだ」「早くライブがしたい、愛されているという自信が欲しい」

根源的な寂しさを曝け出すことができる、そんなテテの強さ、環境にも驚嘆したのだけどそれは別の機会として。

 世界中の状況は皆等しくて、気軽に苦しいとも言えない。友人ともなかなか会えないからこそ、会ったときは苦しさの共有よりも、楽しく過ごしたい。そんななかで”正直辛い”という率直な気持ちが訊ける状況は私にとって救いだった。そしてIn the SOOPでメンバーが思い思いに葛藤しながらも楽しんでいる様子は、Blue&Grayのように優しく寄り添ってくれるものだった。

出会いのワクワクは共通

私がBTSを好きになったのはつい最近のことで、それまでアイドルに微塵も興味がなかったのに不思議だし、きっとこの異例の環境は無関係ではないと思う。どんなきっかけであれ、We are IDOL、とRMが伝える言葉の重みを知れてよかったなと心から思う。彼らは持て余す負の感情を、音楽や映像を通じて共に背負い、時にかき消してくれる。

歳が近いアーティストのファンになると、楽しいよ。と以前父に教えてもらったことを思いだした。寄り添う、共感する、という点で年齢が近いと考えることや感じることが自分の人生とリンクするから、楽曲が身体に合うことが多い。と。

一方で知れば知るほど、彼らが2019以前に葛藤し、乗り越え、成長してきた過程を一緒に歩いていないことは大きいとも感じた。

ただ人と出会うってそういうことだったなあと思い出して。

今まで交わったことのない人生が交わる期待と不安の混ざり合う、心拍数が上がる瞬間。もっと知りたくて、なぜ前から知らなかったんだろう?と思うこと。推しに出会うのにちょうどいいはない、出会った瞬間はいつでも遅い。と最近聞いた言葉が頭に浮かぶ。

時代を共に歩く

 将来私たちは、2020年は世界的に大きな変革期で、でも日常は続いていたよ。って伝えていくことになるんだと思う。信じられないほどの非日常のなかに続いていく日常の姿。戦争を知らずに育った私は、この世界の片隅に、を思い出した。過去そんなに恐ろしいことがあったのか、そして、ほとんどの人は変わらず生活を続けていたのか、と思ったこと。
日常を続けていくために失った戻らないたくさんの娯楽たち。海外旅行、大人数での交流、ライブ、気軽に友人と会うこと…。変わっていく暮らしの中で、この時間を無駄にしたくなくて、無駄だと思いたくなくて、新しくひとり暮らしに踏み切って、新しい趣味を始めた。そんな時に出会ったBTSも同じ。この暮らしだから出会い、救われ、そして必要不可欠になった存在。間違ってもこの未曾有の危機に感謝なんてしないけれど、我慢が続いてひたすら疲弊していく中で、BTSというグループと出会って、共に抗って進んで苦しみを分かち合って、私は間違いなく救われたんだよ。と伝えたい。

SF風に考えれば違う世界線があったり、最終的には出会う運命に調整されたりいろんな考え方があるけれど、この世界線に生きる私はいまここにいるだけなので、精一杯、未来を見据えて毎日過ごしたい。

過去を知らない人と今、出会って、交わって、日々を共に歩む。
そして彼らと新しい時代を創っていく。

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