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孤独の泡と青い炎

 かつて好きだった女性に演奏会にぜひ来てと言われて二つ返事で席を取り置いてもらう私、ちょろさが頭上を突き抜けて銀河まで届いてしまいそう。なぜなのか昔好きだった男性のことは全くなんとも思わないが、昔好きだった女性のことは今思い出してもすてきだったと思うし今会ってもなんて魅力的なんだと思う。この違いは何か? 単に恋人という関係に一度なったかどうかの差だろうか。

 ずっと大好きなサシャ・スローンが初来日公演をするとInstagramで見て、やったーと思いながら会場のキャパを調べたら600人だった。焦って、チケットを先行購入できるよくわからない何かのシステムのアカウントを新規登録する。普段ドームとかスタジアムのライブにばかり行っているからライブハウスで行なわれるそれに少し緊張している。いやまずはチケットを取らないことには。最新アルバム「Me Again」は悲しみと孤独にとっぷり沈む彼女らしい叙情はそのままに、シンプルな音で寄り添ってくれるようにあたたかくて泣きたくなる、本当に良い音楽です。

I'm not angry anymore for what you did
But who does that to a kid?
I won't blame you for the person I've become
But you made it hard to trust someone
 あなたがしたことにはもう怒ってない
 けど普通子どもにあんなことする?
 私がこんな風に育ったのをあなたのせいにするわけじゃない
 でもきっとあなたのせいで人を信じることが難しい

Sasha Alex Sloan - Highlights

 私はまだ父に対して怒っている。サシャのようには歌えないけど彼女の歌声を聞いていると果てしない孤独の底に青い炎を感じる。

 孤独を愛する者として挙げられる好きな場所はいくつもあれど、欠かせないのは美術館だ。図書館や映画館やクラシック演奏会時のホールなども似ているけれど、これらに赴いて目の前の絵画や本や映画や音楽に対峙しているとき、その場にいる個人個人は果てしなく孤独な泡にぞれぞれ包まれているが、同時に、対峙するものの向こう側に人の息遣いを感じている。息遣いに呼応するように歴史に思いを馳せたり、物語にのめり込んだり、作者の生涯に触れたりしながら、私達は泡の中でそれぞれ自分自身と向き合っている。

 キッテルセン「アスケラッドとオオカミ」をこの目で見られる幸せで今年一番楽しみにしていた展示、北欧の神秘展に行ってきた。森や湖や雪そのものが息づき人間と共存しているようでいて、描かれ方には深い畏怖と尊厳があり、緻密な筆遣いで現れる空気は透明で重く、重く、キャンパスと向き合い立っていると自分自身をマクロな視点で省みてしまい、雄大な自然の前で人間はなんと浅はかなのかと静かに思ったのでした。歴史を学ぶとナショナリズムを全否定しそうになるけれど、大陸を意識しながら確立されていった三国の文化や芸術に触れるとその組織体のあり方にまで思考が及び、やはり社会が……社会のありようが。他者(人間だけでなく自然を含む)に対してまず持つべきものは敬意である。
 美術館には毎年年間10回以上は行く生活をしているし今年でいうと6箇所目だけれど、こんなにも郷愁と羨望に没入できる展示は初めてだった。そしてたくさん自分のことも考えた。

キッテルセン「アスケラッドとオオカミ」

 写真だと真っ黒になってしまっていかんね。

 私達を包むそれぞれの泡が海面に向かって上昇していってやがて壊れる。でもその日は願っていても逃げていてもいつかは必ず来るのだから、今は頭上の海面を羨むのもほどほどにして自分と現実を直視していく。

浅い眠りで手を伸ばす下から見る海面のあまそうなこと

suiu(加藤み子)

Yeah, you know I love you more than anyone else
But it's hard for me to love you when you won't love yourself
 あなたを愛してるけど
 あなたがあなた自身を愛さない限り
 私もあなたを愛するのが難しいよ

Sasha Alex Sloan - Oxygen Mask

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