乳房に対する「たわわ」の誤用について

昨日ライブ前に、ゆるい13世(@yuruyuruyuruiyo)くんが話しかけてきて、「「雨だく」という言葉における吉野家の影響」についての仮説を語られた。

その内容はこうだ。
雨にどっと降られてびしょ濡れの状態を「汗だく」になぞらえて「雨だく」と表現する人が増えつつある(実際にTwitterで検索するとたしかにいる)。しかし汗だくの「だく」は「どくどく」と同じ語源をもち、それは管などを液体が通るさまや、脈打って浸潤するさまをあらわしている。なので「汗だく」は意味が通っているのだが、吉野家が「つゆだく」を広めたせいで「液体でヒタヒタになっている、もしくは十分に濡れているさま」に意味が拡大され、そのせいで「雨だく」という言葉が生まれたのではないか。

あんまり親密でないのに、いきなりこういう変な話をしてくる奴は嫌いじゃない。そしてこの話を聞いて、思いだしたことがあった。それは「たわわ」という表現を女性の乳房に用いることのもやもやだ。

少し前に性表現のゾーニングで話題になった『月曜日のたわわ』というマンガ作品があるように、大きな乳房に対して「たわわ」という表現が用いられる例をたくさん見る。「たわわに実った〇〇」のように、肥大した果実などに用いられるため使用されているのだろう。

しかし、たわわという言葉はその語源を「たわむ」にもつ。つまり「たわわに実った」というのは「枝が"たわむほどに"実った」という意味であって、形容しているのは「実ったものを支える部分」である。

古今和歌集にもこのような句がある。

折りて見ば 落ちぞしぬべき 秋萩の 枝もたわわに おける白露

つまり「朝露によってしなった萩」にも用いることができるし、重さがあれば三度豆などの細長い果実が実ったさまに用いてもよい。
逆に、実によってたわむことがないようなアコウジャボチカバといった幹生花をもつ植物や、落花生やジャガイモのように地中にできる作物に対しては本来用いることはできない。「大きく実ったさま」に拡大された意味で広まっているため誤用とは言い切れないが、本来の使い方ではないのだ。

ではその元来の意味において「たわわな乳」という表現を見ると、明らかにおかしいことが分かる。乳房というのは胴体に直接ついているものであって、手や足のように分岐したさきにできるものではなく、たわむものがない。もし「巨乳すぎて重みで腰が曲がったおばあちゃん」がいるならばそれは「たわわ」なのかもしれないが、そのような意味で用いることはないだろう。

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