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スピーチコンテストで大失敗したときのこと。

そういえば、明らかに失敗した時の話ってあまりしたことがない気がする。
隠しているわけではなくて、なかなかこんな話をする機会もないので、ちょっと書いておきたいなと思います。

高校のとき、英語系の部活に入っていたので、嫌でもスピーチコンテストに出ないといけませんでした。
高2のとき、ありがたいことに校内大会で1位をつけて頂き(とはいえこの時も色々あったけれど割愛)、京都府北部大会→府下大会→近畿大会(これは書類審査だったので特になにもしてない)→全国大会と進んだのだが、北部大会のとき事件(?)が起きました…。

スピーチも終盤、もうあと2段落くらいというところで、思いっきり内容が飛んでしまったのです(ちなみに内容は校内大会~全国まで全部同じ)。
スピーチは時間制限があり、一定の時間を越えるとカードがあげられるのですが、真っ白な頭でそのカードがあげられるのを見たことはいまでも覚えています。
なんとなくこんな内容だった気がする、みたいなのを適当にでっち上げているうちにフレーズが戻ってきて、とりあえず最後まで言うことはできたものの、かなりショックで絶望的な気持ちでした。とはいえそんな顔をしていたら周りの子達にも気を遣わせるので、やってしまった~という感じで苦笑いしてました😂
ちなみに北部大会は出場者が同じ年の女の子たちばかりだったのでかなり和気藹々としていました。始まる前に皆で談笑していたくらい和やかで、だからこそ皆に気を遣わせてはいけない!と謎にヘラヘラしていた気が。笑

審査の間、出場者の皆でゲームをしたりするのですが、ショックでそれどころではないという気持ちと、終わったことだから仕方ないという気持ちの両方がいったりきたりしていました。

そして結果発表の時間になりました。
とはいえミスったし上位には残ってないだろうと思っていたので、特に緊張することもなく聞いていたら、なんと府下大会進出者の最後に、自分の名前が呼ばれました。まず自分が選ばれることはありえないし、もう関係ないと思っていたので、驚きのあまり涙まで出てしまいました。未だに、なんで残してくれたのかわからないものの、明らかに失敗していたにもかかわらず誰かが何かを期待してくれていたんだと思うと、10年以上経った今でも、少し勇気が出るような、そんな気がします。

この経験のおかげで、なにをやるにしても、飽きるまでやっておくことが自分にとっては大切なんだなということを学んだかなと考えています。失敗ばかりの人生のなか、特に分かりやすい失敗はこのスピコンと受験でした。その両方とも、気の緩みというか、一定のレベルまで量的に足りていなかったから失敗したんだと、自分のなかでは分析してたりします。「ここまでやっておけばもう失敗してもいい」というレベルまでやっておかないと、私の場合は結局悲惨なことになる、ということが今のところ一番の学びかな、と思います。

だからなのか、今でも仕事やプライベート関わらず、人前でなにかやるときは、必ずその数日前に失敗する夢を見ます。そして、その夢を見るということは、頭から離れていない=気にして準備をしている、ということなので、大抵どうにかなってきました(多分)。なので逆に、目覚めはものすごく悪いけれども、そんな夢を見ると、とりあえず悲惨なことにはならないかな、と少し安心します。

もともと緊張しいなうえに、自分のことが嫌いな時期も長かった(今も別にそんな好きではないけれど、一時期よりはなにも思わなくなりました)ので、人前に出ることから離れていた時期もあったのですが、5年ほど前からありがたいことにまたそういった機会を頂くことが増えました。その度に、このスピーチコンテストのことを思い出し教訓にしています。当時は本当に恥ずかしくて悲しくて絶望的な気持ちだったけれど、あの経験は結果として人生においてとても大きな学びになったと思っています。

目下5月までは、舞踊を飽きるまでやることが一番の目標になっています。がんばらないと…!


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