ペペロンチーノと禅と私

「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ」

摩天楼を望む紫煙曇るバーで今夜も着飾った男女が化かし合う。私は魔法の言葉を唱えた。皆が一度は食べたことがある、スパゲッティーの名前だ。イタリア語で”Pasta aglio,olio e peperoncino"、日本ではペペロンチーノの名で広く知られている。
「アーリオはニンニク、オリオは油、そしてペペロンチーノはトウガラシを意味するんだ」
私は何時もの決め台詞を煙を吐くように呟いた。得意気な気持ちを微塵も見せずに言うのがコツだ、多分。
「簡単な料理だけど、オレはこれが本当に好きなんだ。今までに100回は作ってきたと思う。まるで修行僧の様にね」
嘘ではなかった。シンプルを究極に追求したこの一皿は、私の大好きな料理の一つであった。でも何故惹かれるのだろう?ブツブツ呟く私の顔を不思議そうに、そして興味深そうに覗き込む。

ペペロンチーノは極めて単純な料理だ。フライパンに刻んだニンニクとトウガラシを入れ、少し多めのオイルで香りを出す。パスタを茹で始めたら、その茹で汁をフライパンに加える。いわゆる、乳化、という状態を目指す。水と油の相性の悪さはご承知の通りで、これをお互いに馴染ませる工程だ。白濁してトロミがついてきたら、茹で上がる直前のパスタを移し、ソースと絡ませていく。これで完成だ。お好みで、胡椒やチーズをかけても構わない。が、やはりそのまま食べるのをお勧めしたい。後からの味付けが要らない位、塩辛く湯で上げるのがコツだ。

少し緑がかった色気ある器に、パスタを盛り付ける。洗いたてのジーンズと飾り気のない白いTシャツ、小ざっぱりした格好で、気兼ねなく麺をフォークにクルクル巻く。芳ばしい香りが鼻腔を通り抜ける。
「美味い」
料理と同じくらいシンプルで究極の褒め言葉だ。二口、三口と一気にパスタを口に運び、気付いたらニンニクの破片だけが少し残された。余すとこなく丁寧に口に放り込み、台湾産のさっぱりした烏龍茶で締めくくる。
「ご馳走様でした」
幸せな時間が終わった。
「ペペロンチーノって、まるで禅みたいだ」
もしかしたらここに私が惹かれる理由があるのかもしれない。

ペペロンチーノを作ると、禅寺での座禅を思い出す。私は学生時代を京都で過ごした。キャンパスの北側にある禅寺に時間があればよく足を運んだ。お気に入りは夏の、日が傾いた時間だ。参拝客が殆どいない夕暮れ時に、枯山水の庭を眺めながら座る。昼間には考えられない涼しい風が吹き込む縁側に何も考えず只座る。煩い位に鳴いていた蜩の声が次第に小さくなる。早い秋の訪れを予感させる虫の音も聞こえなくなり、周りを静寂が包んでいく。そして無になる。

インドを起源とする禅は、中国を経て、遥か遠く日本において華開いた。鎌倉時代から室町時代にかけての話だ。何も考えずに只座禅する。心を空っぽにして自然の一部になる。何かを考えたら、それは既に余計なものだ。座禅とは「真っ直ぐ」ということらしい。背筋を真っ直ぐすると、身体が真っ直ぐになり、心も真っ直ぐになる。心が真っ直ぐになると全てが真っ直ぐになる。全ての欲から解き放たれ、自然の法理に従う。咲くべき時に華を咲かせ、すべきことをやって、そして黙って去っていく。なるほど、何となく分かったような、分からないような、最高位の御坊様が仰る言葉だ。

海外でも禅に傾倒した人は多い。かの天才スティーブジョブスもそうだった。彼の背景には禅の思想があると言われている。心の深淵まで下りていき、自らの底にあるものを見つめ、そこからモノ作りをした。余計なものを徹底的に省き洗練させていく。彼の思想に基づいて創られたiphoneやipadはまさにシンプルでいて究極。事実、多くの消費者の心を揺さぶる。本物であることの証拠なのだろう。

シンプルでいて究極、故にペペロンチーノに禅の精神を感じたのかもしれない。何百回、何千回とフライパンを振り、自分と対話を続けることで完成度を高めていく。基本を磨き続け、結果的に自然体が高みにあることが究極の姿なのだろう。パスタに限った話ではない。目の前にあるジントニックもそうだ。一見簡単そうに見えて、極めて奥が深い一杯だ。名うてのバーテンダーが、相応の御方が注文するジントニック程緊張するものはない、と教えてくれた。飾らないシンプルなものほど良し悪しが如実に分かる。何事も隠し通すことは出来ない。そう思えたら人生も同じに思えてきた。

ペペロンチーノの様に基本を大事にする人生こそ究極の幸せかもしれない。特別なことは何も必要ない。進学、就職、結婚、子育て、老後。人生の節目において、先人が築いてきた王道を当たり前にこなす。日々を磨き続け、洗練させて、事をなし、去っていく。人と異なることに価値を見出して生きてきた今の私の人生観だ。

妖艶な香りでハッと我に返った。心配そうな表情で私の顔を見つめる眼が隣にあった。
「ごめん、ごめん。実は学生時代を京都で過ごしてね、つい昔の事を思い出してたんだ」
店内の喧騒が戻ってきた私はそのまま言葉を重ねる。
「今度の連休さ、京都に遊びに行かない? 良い風が吹く禅寺があってね……」
私の心の深淵とは裏腹に、欲にまみれた現世での探求は暫く終わりそうにない。

<<終わり>>

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