【前に進み、後ろに戻る】6

うおおおおおおおおおおおおうううううんんんんん!
サイレンの音で飛び起きた。
絶対に遅刻できない派遣の仕事、スマホを確認すると午前4時半過ぎ、よしよし、大丈夫だ。国民保護サイレンの目覚まし効果はてきめん、なんて不安をかき立てる音なんだと、どくどく脈打つ心臓を手のひらで押さえながら、身を起こす。シャワーを浴びて、むちっと肌に張り付くインナー上下を着て、作業用ズボン、ポロシャツを重ね、ボディバッグにはカッターナイフと作業用手袋、財布、ポケットにスマホ、予備のマスクを確認、左手首の内側に向けたGショックは午前5時12分を指していた。十分余裕な時間だ。出かけよう。

自転車を30分ほど漕いで、派遣先の運送会社に着いた。今日はいい人と当たったらいいな、と休憩室で煙草に火をつけると、40がらみのずんぐりしたおじさんが入ってきた。「おはようございます」。軽く腰を浮かせておじぎをしたが、おじさんは自販機でコーヒーを買ってそのまま出て行った。あの人だったら嫌だなと憂鬱になっていたら案の定、そのおじさんにつくことになった。”バイトくん”は俺だけだった。

「もう段取り済んでっから」とぶっきらぼうに声をかけられ、4㌧トラックの助手席に乗り込んだ。まあこういうおじさんも経験上、誠実に対応すれば悪いようにはされない。「よろしくお願いします」と声をかけると、「くそが。遊びじゃねえんだぞ」と毒づかれた。こわ、とさすがに不快感が増しかけたが、おじさんのヘイトの対象は、ダッシュボードに養生テープを俵にして貼り付けられたいくつかのフィギュアだった。たしか、コンビニで今時珍しく缶コーヒーのてっぺんについているアニメのおまけだった。乗り込んだ時に見かけてかわいいですね、なんて言わなくてよかった。言われたことにはハキハキと答えて、余計なことは言わないのが一番。そして現場のスーパーに着いた。

その時まで聞かされていなかったのだが、ATMの機械の交換作業だった。3店舗ほど回ったのだが、見たことがないタイプの台車でトラックから店舗内に運び、古い機械をまたトラックまで持って行く。こういうのが意外に難しいのだ。店舗の中はATMが通りやすいようにはレイアウトが組まれていないし、お客さんもいる、でもおじさんはせかしてくる。入り口の段差にした養生にお客さんをつまずかせてしまった時にはヒヤッとしたし、おじさんには「そんな簡単なこともできねえのか!」とめちゃくちゃ怒鳴られた。なんとか最後の店での交換を終えてトラックに戻った時には、作業量に見合わないほど汗をぐっしょりとかいていた。

やっと帰れる、と助手席で遠くを眺めていたら、トラックは国道沿いのラーメン屋に入った。もう、ちらっと腕時計を見たら、午後1時を回っていた。カウンター席に座っておじさんと同じラーメンを注文すると、「セットにしなくていいのか」なんて言われるから思わず「あ、はい」と返事をして、白飯と餃子もついてきた。ラーメンのみのおじさんを待たせるわけにはいかないと急いで食べ始めたら、意外にもおじさんは穏やかな感じで話しかけてきた。「兄ちゃん、剣道部だったろ」「え、あ、はい。・・・分かるんですか」「返事で分かる。柔道部ならもっと態度悪いしな」。なんか、分かるような分からないような。しかしなんかすごい人なんだなと思った。おじさんはおごってくれた。

タイムカードを切って、自転車をこぎながら、ラーメン店を出た後におじさんが信号待ちでぽつりと言った言葉が脳内で反響していた。「こんな仕事、誰でもできるんだよ」。俺はそれに対する言葉を持ち合わせていなかった。つまらないやつだと思われただろうな。柔道部のやつなら冗談の一つでも言えたのかもしれない。と、大通りに人だかりができていた。今度の市長選挙の候補者が演説をしていた。政治には興味を持たなければ。近くのコンビニの前に灰皿を見つけて、煙草を吸いながら聞いてみた。その候補者の女性は、わりとよく名前を聞くITベンチャーの創立者らしく、当選したあかつきには自ら開発したAIで効率的、合理的な政治をするらしい。もうそんな時代になったのだなと、思わず聞き入ってしまった。おかげで煙草の本数が増えて、喉がすり切れそうになった。投票日は明後日か、帰ってはがきを探さないと、と自転車にまたがると、警備なのか警察官と目が合った。慌てて目をそらしてしまい、逆に怪しくなかったかなとドキドキしながら、逆方向に走り出した。

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