【前に進み、後ろに戻る】4

朝、目が覚めると、スマホに山ほど着信が入っていた。何度か、悪夢を見て目が覚めて、その間に着信音が鳴っていたのも聞いた気がする。やれやれ。と、声に出してみても独り。シャワーを浴びて、その前にタバコを1本吸って、歯を磨いて洗濯機を回して、意を決して電話した。店長はまだ来ていなかった。朝のシフトのおじいさんが出て、優しくもあきれた声で俺を責めた。罪悪感は抱いていたからひたすら謝った。店長が2時間後に出勤するから、顔を出した方がいい、と助言までしてくれた。そうしよう。

スマホの通知画面にはニュース速報もあった。AIが、位置情報や過去の閲覧とか検索履歴から興味がありそうなトピックを選んでくれるおかげで興味がなさそうなニュースは目にしなくなってしまうからあまりすきではない。例の河原での事件だった。あの女性は俺と同い年で、無職だったそうだ。警察は殺人事件の線で捜査を進めているらしい。つまり、彼女が空高くから降ってきたという事実はまだ警察は知らないということではないのだろうか。俺が持っている情報はもしかしたら、真相究明に役立つかもしれない。警察に言うべきだろうか。でも、そうしたらまず容疑者にされるだろう。マスコミに漏れればネットで特定されて社会的な死を迎えることになるだろう。いや、俺みたいなやつはすでにこの社会でいてもいなくても関係のない存在なのだろうが。ああ、本当に嫌になる。くらっときて、そのまま床に横たわる。ぱんぱんに本が詰まってはち切れそうな本棚が視界に入った。これだけが俺の生きる糧だ、今のところは。空っぽの自分を満たすように本を読み漁るのが好きだった。ミチミチの本棚が自分を映す鏡のように思えて、落ち込んだ時はこの本棚を見つめるのが癖になっていた。身長より高い、180センチ、幅は1メートルくらいか。下から順に、美術展の図録とか大判の漫画、ハードカバー、新書、文庫本、と棚の高さを変えて並べている。本の前には小物もごちゃごちゃと並べているから本を取り出すときにはそれらをどかさないといけないのだが、時計が目に入って、そろそろ店に出かけないといけない時間になっていることに気が付いた。急いで、少しきれいめな服に着替えた。もういいや、辞めると言ってしまおう。登録している派遣の仕事でカレンダーを埋めればとりあえずなんとかなるだろう。

自転車をこぎながら考えた。彼女は自殺だったんじゃないかな。飛び降りたんだ。どこかから。あのあたりに高いビルはあっただろうか。風にあおられて飛ばされてきたのかも。いや、警察が殺人事件と言うのなら、遺書は見つかっていないということか。靴は履いていたっけ?俺が考えて分かるなら警察はいらないよな。ただ、降ってきたんだ、彼女は。その情報だけ俺の方が一歩先を行っているし、もし容疑者にされてしまったらそれを証言したらなんとかなるんじゃないかな。顔をなでる風が俺をそんなふうに、能天気にさせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?