プレイ時間が長いほど「良いゲーム」なのか?

 ゲームほど小さなコストで長く楽しめる娯楽商品はそうそうない。作り手の意思通りに一様に再生される他のコンテンツと異なり、ゲームはコンピュータの力を借りて多様な状況を生み出す。1つのゲームに何百時間も費やすプレイヤーも珍しくない。
 多くのゲーム開発者が細心の注意を払い、自分の作ったゲームを長く遊んでもらえるよう腐心する。収集アイテムを散りばめる、2周目に追加要素を入れるなど、プレイ時間を伸ばすアイディアは数え切れない。やり込み要素やご褒美の充実は、ゲーム文化が培ってきた技術の結晶と言えるだろう。

 だが、「長く遊んでほしい」という作り手のもてなしは、時に「ずっと遊んでほしい」という欲にすり替わる。一度のソフト開発で永久にプレイヤーを惹きつけることができたら、どんなに楽か。
 本記事ではゲームにありがちな「引き伸ばし」について語っていく。僕が個人的に遊んだソフトをいくつか例に出しているが、個別にゲームを批判したい訳ではないので名前は伏せている。少し話が曖昧に聞こえるかもしれないが、あくまでゲーム全般に共通する問題を提示することが目的なのでご理解いただきたい。

アップデートの限界

 現代のゲーム開発はソフト発売後も続く。アップデートにより問題を修正したり、新たなコンテンツを追加したりすることが容易になった。
 話題性を保ちたい開発側と、同じゲームで長く遊びたいプレイヤー側の都合は概ね一致している。1つのソフトが役割を終えるタイミングは明確ではなくなった。

 僕が以前遊んでいたとある対戦ゲームは継続的なアップデートを売りにしていて、武器やステージなどが段階的に追加されていった。新要素によって遊びの幅が広がり、最初はプレイヤーからの評判も上々だったと記憶している。
 しかし何度もアップデートを繰り返せばアイディアは枯渇し、マンネリ化する。開発側が新要素の追加を告知するたび、徐々にプレイヤー側の反応は薄くなっていった。初期の手応えが良かったからこそ、同じ手法に依存してしまうのではないか。

 古参のプレイヤーの中には「追加要素なんかいいからバランス調整を」といった声も目立っていた。どうせアップデートするならあれもこれもと、要望は増える一方である。
 同じ作品を遊び続ければ新鮮な魅力は失われ、美点に隠されていた弱点が目に付くようになる。付き合いの長いプレイヤーほど、細かい粗探しを始めてしまうものだ。

 ゲームに飽きが来たら、本来プレイヤーは自然と離れていく。だが、なまじ開発者が話題性を維持しようとすると、惰性で続けてしまうプレイヤーも増える。一本のソフトで済ませられるならその方が安上がりだからだ。
 継続的に多くのプレイヤーが遊んでいるという状況が、ゲームの価値を錯覚させる。プレイ時間を伸ばしたぶんだけ評価が高まる訳ではない。

 ゲームの土台となるシステムが固まった時点で、そこから生み出せる価値の総量は自ずと決まる。要素の追加を延々繰り返せば最後は水増しになる。開発者が考えるべきはシステムの限界を引き出すことであり、限界を超えることではない。

密度の低いゲーム

 ゲームのテンポをどう設計するかは、ゲームデザインにおいて重要な部分である。演出による硬直時間を調整したり、レベルアップするまでの経験値の量を変えてみたり。構成要素が全く同じでも、テンポが変われば感触は激変する。
 ゲーム開発者はプレイヤーがすぐに飽きてしまうことを恐れる。ついついゲームのテンポを落として、プレイヤーを長く拘束しようと考えがちだ。

 例としてとあるスローライフ系のゲームを挙げよう。ゆったりとした仮想生活を楽しんで欲しいのか、そのソフトはあらゆる仕様が「のんびり」していた。まず主人公の移動が遅く、何をするにも時間がかかる。
 他のキャラクターと仲良くなるために何度も話しかけて同じセリフを見る必要があったり、イベントを進めるための手順が全体的に長い。様々なパラメータの変化量が小さく、なかなか進行が感じられない作りになっている。

 それでも僕がそのゲームを遊び続けたのは、新たな要素が段階的に解放されていく充実感があったからだ。できることが増え続け、イベントが定期的に起こり刺激を与えてくれる。開発者の目指す方向性は理解できた。
 中途半端なところで終わりたくないので仕方なく進める...という経験はゲーマーなら誰しもあるのではないか。何度も中だるみを感じつつ、断続的にやってくる面白さの波に引っ張られながら一周目を終えた。総合的な満足度は高いが、もう十分という気持ちでいっぱいだ。
 そのゲームには様々な分岐があって、何周もしないと全てを味わい尽くすことはできない。開発者が作り込んだ要素の内、一体何割ほどを堪能できたのだろうか。

 似たような例として、自由度の高い探索系のゲームを挙げよう。僕の遊んだあるゲームは広大な世界が特徴で、複雑に枝分かれするフィールドを自由に歩き回ることができた。景観も美しく、未踏の領域に突入する緊張感も鋭かった。
 徐々に行ける範囲が増える喜びを大事にしているのは伝わってきたが、余りにも広すぎる。ある程度ワープポイントが用意されているものの、イベントを進めるたびに単調な移動は避けられない。進行の手がかりを探すために、同じ場所を何度もうろうろすることもあった。

 デザインの限界か、後半のフィールドに行くほど見た目の新鮮味も薄れていった。新しい領域に突入するたび「まだ続くのか」と落胆してしまうのは、ストーリーの全貌が中々見えないからだろう。
 開発者が精魂込めて作ったフィールドが、かえって遊びの邪魔になるのはやるせない。最初からマップを3〜4割削って、もっと密度の高いゲームとして設計されていたらどう感じたか。結局、僕がそのゲームをクリアすることはなかった。

 ゲームのテンポは開発者の指ひとつで決まる。繰り返しも容易なゲームの世界では、極端な引き伸ばしも可能だ。プレイヤーにテンポの決定権を譲る開発者は意外に少ない。
 情感をゆっくり味わって欲しい、世界の広さを自分の足で確かめて欲しい...ゲームに豊かな実在感を与えるため、あえてテンポを落とすべき時もある。ただしそれは、プレイヤーをゲームの中に引き入れるための導入に過ぎない。作品の方向性を十分に伝えた後は、プレイヤーの好きにさせればいい。

 もし上記2つのゲームがもっと柔軟に作られていたら、僕はきっと周回プレイに挑戦していただろう。様々な分岐を堪能しつつ、一周目とは違った効率重視のプレイも楽しめる。ゲームを最小化することで、逆にプレイ時間が伸びる可能性すらある、と開発者は認識すべきだ。

ゲームには寿命がある

 いつからだったか、ネットでこんな言葉を聞くようになった。「きっちり終わってくれるゲームが欲しい」。一本のわかりやすいストーリーや軸があって、程よい時間で全てを堪能できる。そんなキリのいいゲームが求められている、と解釈している。
 娯楽の溢れかえった現代において、多くのゲーム開発者がプレイヤーの時間を占有しようとしのぎを削る。自由に娯楽を選択したい消費者が、その意欲を好意的に受け止めるとは限らない。

 一度クリアしたらそれきりのゲームは、ボリューム不足との批判を浴びることもある。その世界にもうちょっと浸りたいプレイヤーの気持ちを汲み取り、程よいやり込み要素を付けるのは効果的だ。
 各ゲームに見合った適切なプレイ時間を、適切な密度で提供するのが開発者の仕事だ。プレイヤーがゲームに飽きることを過度に恐れる必要はない。

 ゲームに満足してすっきりと終えることができたプレイヤーは、そのソフトに良い思い出を持ってくれる。それこそが最高の評価であり、開発者は次回作を売るチャンスを得たということだ。目先の利益に溺れず、プレイヤーと信頼関係を維持できるゲームデザイナーでありたい。

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