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「介護拒否」に対して介護サービスを提供するという矛盾

介護の基本は自立支援である。つまり、「本人ができることは本人が行い、できないところをサポートする」という考えだ。

しかし現実的にこれは難しい。そもそも「本人ができること」というものが曖昧だ。もちろん、介護サービスを提供するにあたっては本人やご家族からの意向や情報、ADLなどの身体情報、既往歴などから課題分析を行うが、特にサービス提供の初期段階においては実際と想定は大きく異なる。

ご家族は独りでは何もできないと聞いていたが、ご家族が不在だと本人は意外に身の回りのことができることもある。退院時に病院側から「リハビリも順調で身体機能に問題ない」と説明があったのに、いざ自宅でサービスを開始したら独りでトイレに行けない状態になることもある。これらは本人の心理状態や環境変化なども含めて割と普通の話であり、多少の時間をかけながら調整していくことになる。

また、誰もが心身ともに日々変化するものなので、ようやく本人の状態が掴めてきたところで別な要因からサービス内容をその都度見直しせざるを得ないケースだって少なくない。
ちょっと困った話としては、「本人ができること」でも介護サービスを提供する側が善意(自己満足とも言う)でやってしまうこともある。これにより本人に甘えが出てしまったり、介護サービスを家事代行のように誤解してしまう人たちも少なくない。これは介護業界以外にもある話だろうが、お金を受け取ってサービス提供を行うプロフェッショナルならば、対応範囲を明確に示しつつ、対応範囲外のことは無下に「できない」と言わずに別料金対応を提案したり事業所内で対応の可否を検討するのが良いだろう。

さて、ここまでは介護サービスの提供において、介護を受ける側に明確なニーズがある場合の話だった。しかし、介護サービスにおいては介護を要すると明確にも関わらず本人が頑なに断るケースも少なくない。
いわゆる「介護拒否」というものだ。

注:本記事では意図的に「介護拒否」という単語を使うが、これは介護業界に身を置く立場としては”不適切である”ということは明言しておく。これは介護を提供する側の視点であり、またケースによって何をどのように拒否するかは異なる。そして介護に触れる機会の少ない人たちに悪いイメージと誤解を与える単語だと理解いただきたい。

ここで「介護拒否はなぜ起こるのか?」を考えてみたい。

まず、その理由は介護サービスを行う側には分からないことだ。
また、ご家族などの身近な者でも分からないことは多い。
つまり、介護拒否なる状況が生じた場合、本人以外に明確な理由は分からないまま介護サービスを提供せざるを得ないため、結局のところは推測で対応を検討せざるを得なくなる。そして場合によっては「困難事例」という位置づけになってしまうこともあり、事業所や施設によってはサービスの提供を継続できないと判断されることもある。

では、誰ならば介護拒否をする理由が分かるのか?
・・・それは、介護を要する(と周囲が判断している)本人である。

そもそも介護拒否になるのは、本人が介護サービスを「求めていない」「望んでいない」からである。

それは本人が「自分には介護が必要」と理解しているけれど認めたくなくて断る場合もあれば、「自分で何でもできている、介護なんて必要ない」と思っている場合もある。いずれにせよ本人からすれば、介護サービスなんて余計なお世話なのだ。

しかし、ここで問題がある。それは本人が望んでいなくても介護サービスを提供せざるを得ないということだ。
例えば、寝たきりの方に対してオムツ交換をしなければ排泄物がいつまでも残り不衛生であり、本人の健康や環境への悪影響につながるため、本人がオムツ交換を断っても対応せざるを得ない。
例えば、布団を敷いたまま、何日も同じ服を着たまま、ゴミも散乱したまま・・・このような状況を本人に安心できる環境であっても他者や近隣に係る問題にもなるため、定期的に掃除など環境整備を行う必要がある。

このようなケースは社会的・客観的に見れば仕方ないと思われるだろうが、上記でもお伝えしたように本人からすれば「求めてもいない」「望んでいない」ことを強制的に行われている状態であり、この場合の介護サービスはただの押し付けなのだ。

介護拒否へのサービス提供は、ビジネスという視点からも矛盾している。
ビジネスはニーズがあって、モノやサービスを提供するものだ。逆に言えばニーズがないのにサービスを提供することは決してない。ニーズを掘り出すという見方もあるが、それだって消費者やユーザ側にとってニーズが潜在的にもあるからこそ成立する。

例えば、腹ペコの状態で見つけた飲食店に入ったとしよう。こちらは「お腹が減って倒れそうなので何でもいいので食べたい」というとき、そのニーズはグルメ欲を満たすことではなく空腹を満たすことだ。つまり、「この店ですぐ出せるメニュー」を期待するだろう。
しかし、その飲食店の店主が「今日は特別な食材が手に入ったので、それをこれから3時間たっぷり煮込んだ舌がとろけるスープを出したい」と言い始めたらどうだろう? おそらく、その店をとっと出て家に帰ってカップラーメンを食べたほうがマシだと考えるはずだ。

しかし、介護サービスにおいてはこの現象が起きてしまう。つまり、介護をする側によるサービスの押し付けだ。そして、それにより対価として介護報酬や利用料といったお金を受け取ることになる。これは上記のような分かりやすい介護拒否だけではなく、本人が「できる」と思っているけれど、客観的にできていないと判断されるケースに対しても大なり小なり生じる。

また、介護サービスの提供にあたってご家族や支援事業所が集まって話し合う際にも、本人が「いらない」「必要ない」と訴えても、介護支援計画を作らざるを得ないこともある。本人の意思疎通が困難など、本人不在で支援計画を検討せざるを得ない場合もある。自宅で状態を崩して入院し、退院後は自宅に戻らないまま施設入所ということも珍しくない。

ここまで読まれた方の中には、介護サービスに対して(悪い意味で)疑問を抱かれた方もいらっしゃるかもしれない。しかし、本記事では介護サービスに対して問題定義しているわけでも、ましては批判したいわけでもないことを明言しておく。介護サービスを提供する立場として「本人のためなんだから、仕方ないじゃないか!」と逆切れするつもりもない。
「介護拒否に対してサービス提供せざるを得ないこともある」「本人の意思に反して支援計画を作ることもある」という事実を伝えているだけだ。

個人的に介護サービスはビジネスとして成立しにくいとは思ってはいるが、だからと言って業界を抜本的に改革をすべきなんて言うつもりもない。どの業界でもビジネスでもそうだが、白黒つけれないことや曖昧な部分があるからこそ物事が成立していることもある。改善すべきことでも、現状は無理に変えないほうが良いことだってある。現状のあり方でいて欲しい人たちだってたくさんいるだろう。

それにnoteで情報を発信している介護業界に関わる人たち、介護に興味を持っている人たちが、自分達の立ち位置から色々な知見や活動をされている。これはとても心強い。ゆっくりでも良い方向に確かに変化は起きている。

また、冒頭でもお伝えしたように、介護サービスは初期段階から本人の実態に合わせて調整をしていく。徐々にサービスが形になっていくとともに本人とも関係者と信頼関係が構築されていく。
最初は余計なお世話と思っても(思われても)、お互いの受容と共感をもって介護サービスを継続することで本人の生活にとって介護サービスが当たり前になることもある、ということを伝えて本文を終えようと思う。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも感謝。



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