見出し画像

誰かの役に立ちたい それがお人形であっても。

つい先日、施設で作りたいんですけど、というネンネ人形の問い合わせがあった。minneでこのお人形のキットを販売しているのだけど、このお人形に限って、施設の方々で作られる場合、印つきでカット済みのキットを提供するサービスをしている。

以前ここでも紹介したのだけれど、友達が施設長をしている高齢者施設で、このお人形を利用者の方々が作られたのがきっかけ。

「ネンネちゃんは、ほんまにいいわ」
とその後のネンネちゃんと利用者さんとのことを友達は話してくれた。

「もうみんな抱っこするから、ボロボロやねん。髪の毛も誰か取ってしもうたわ」と笑う。
「アルツハイマーの女性の方がいてな、
その場への不快感が強くて、すぐ帰りたがらはんねん。
だから職員が何か役割を持ってもらおうって、で、ネンネちゃん渡したんやて。
そしたら機嫌ようならはって、抱っこしたり、お布団かけたり、お世話しはるんや。
お人形ってわかってはるねんで。
でもお世話したいねんな。」

この方は、職員さんにしても若い女の子の方が機嫌よく応じられるそうだ。
髪の毛を結んであげたり何かしらしてあげたいらしい。
自分より頼りなさげなものに何かしてあげたい、そんな気持ちが生きていく希望につながるのかもしれない。

先日父が亡くなった。
父もアルツハイマーだった。
母を含めて、周りは父のお世話が大変だったと思う。
私は遠方に住んでいるので、たまに帰る(というかコロナでなかなか帰れなくて去年の11月に2年ぶりに帰ったのだけれど)私は、その大変さより、父との一緒にいる時間が愛おしくて、父に「とーさんといると本当に楽しい」と言った。
すると父は本当に嬉しそうに、そして少し寂しそうに、
「そう言ってくれてるんか、嬉しいのお。
自分といて楽しいっていう人はおらんから」と言ったのだ。
生かされるためにお世話されること、誰の役にも立ててないような気持ち、生きてることでみんな大変な思いをしてること、そんな思いを抱えていることが、どんなに辛くて悲しいことか、老いるということを含めて、私は認知症の父からいろんなことを教えてもらった。

生きてる限り、自分の役割を見つけたいんだよなあ。
その役割の中にこのお人形がいるとしたら、この子は本当に幸せだと思う。

よろしければサポートを願いします!サポートは、手作りを広める活動に使わせていただきます!