言葉は、誰かの世界の一部

先月末、ずっと好きだった人に会えた。

少し難しそうな本をよく読んでいた人で、その人自身も最近は小説を書いているらしいと聞いていた。読んでいる本と同じように、少し難しい文章を書く人で、計算されたような文章だったけれど、その言葉の裏には強い意志と優しさがあったと思う。私は、彼の書く文章が好きだった。

ある日、そんな彼が「あなたの書く文章が好きです。なんだか、心が温かくなるっていうか。」と言ってくれた。

いつもは考えて考えて書いているんだろうなぁと思う、堅い言葉を使う彼が、こんなにも柔らかい、簡単な言葉で私の文章を好きだと言ってくれたことは、きっと一生忘れられない。

さて、先月そんな彼にあった。彼が書いた小説が載った本を、読んでほしい、私も読みたい、そんな流れからだったと思う。

少し背が高くなっていたような気がする。声も、低くなっていた。タバコも吸うようになっていて、でも不思議と嫌な気分にはならなかった。初めてこんなに近くで、二人で話をした。

「あなたにだから、これを読んでもらいたいなって思った」
あの人は、私がほしい言葉を知り尽くしているのかもしれない。一生、彼には敵わない気がする。

彼の書いた小説は、やっぱり素敵だった。伝えたいメッセージも、その表現方法も、私はただただ、好きとしか言えなかった。

彼の紡ぎ出す言葉たちは、彼の世界の一部だ。彼がどんなことを考えて、どんなことを伝えたいのか。それを、彼自身の言葉で紡ぎ出す。彼の世界を、覗き見ることを許されたと思うと、それだけで少しの優越感と、嬉しさと、恥ずかしさと、少しの希望が、ぐちゃぐちゃになって私を襲う。何も考えられなくなって、ただただ、あの甘酸っぱさだけが残った。

私の紡ぎだしてきた言葉たちだって、私の世界の一部だ。いつか私の世界も、あの人に見てもらいたいなぁ。

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