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【第2話】通信販売の落とし穴|特定商取引法ストーリー

 女子大生2年の夏はコンビニのバイトと地下アイドルグループの追っかけで終わろうとしている。後悔はない。秋川唯は洗った後の長い髪をヘアクリップで留めて、部屋のベッドに腰かけながら動画サイトで推しの同性アイドルグループの公演を眺めていた。
「やっぱりQギャルのアヤちゃんカワイイ。メイクもナチュラルで神。」
そう呟きながらアヤちゃんのSNS投稿をチェックするのは日課だ。スマートフォンのタップを続けていると新たなライン着信が入った。送信者は南希望だ。
「唯ちゃん、久しぶり~」
「希望先輩! 今日の仕事は終わりですか?」
「終わって、今は家だよ」
「最近は地下アイドルの公演に行ってます?」
「前ほどじゃないけど、それなりに行ってるよ」
「さすがです、先輩 社会人になってもドル・オタは健在ですね」
「まあね 唯ちゃんはアヤちゃん推しだったよね?」
「そうですー 今もSNSをチェックしてました」
「なら、今日アヤちゃんが推していたリップは買わないと」
「え? そんなのありました? 確認しておきます」
「うんうん ところで会社の同期から副業の話を聞いたのだけど」
「入社2年目で副業とかするんですか?」
「ドル活の公演はしごもお金かかるしね。どうかなと思って」
「へー どんなことするんですか?」
「なんかネット関連の仕事だって言ってたかな SUNADAシステムだって」
「聞いたことないですね」
「でしょ? 押田君っていうのだけど、興味あって調べているって。」
「なるほど その人の調査待ちなんですね」
「そういうこと また連絡するねー」
「はーい」
アヤちゃんのお勧めリップのことが気になった。すぐにアヤちゃんのSNS投稿を遡るとうるおいリップが超カワイイと激推しされていた。これは買うしかない。
そのリップを販売するウェブサイトにアクセスした瞬間に、Qギャルのアヤちゃんも使っている話題のリップが今だけ500円、というキャッチコピーが大きく表示された。これはもう運命だ。買わなくてどうする。
 ただ、ちょっとだけ自分に合わなかったらイヤだなという思いはあったが、価格が500円なら失敗しても惜しくはない。しかも、今だけ500円ということは、通常価格はもっと高いのであろう。これを買うのは運命なんだ。
 ウェブサイトの表示は、他には特に条件は書かれていなかった。これなら問題ないだろうと思い、勢いよく注文ボタンをタップした。すると、あなたにお勧め情報ということで、リップの定期購入コースの案内が表示された。売れ筋5色を毎月届けてくれるそうだ。使ってみないことには気に入るかどうかはわからないので、この定期購入はいらない。すぐにお勧め情報の画面を閉じて、申込フォームに配達先住所やクレジットカード情報を入力した。
 その後、注文確認の画面が表示され、そこには商品価格が初回500円と記載されているのを視認した。注文確定ボタンの下方に細かいな文字で10行くらいの注意書きがあったが、読むのが億劫になり速攻でボタンをタップした。
「注文完了。明日には届くかな。」
そう呟いて、すぐに動画サイトでアイドルのコンテンツを探し始めた。そうしていつものように夜は更けていく。
 
 コンビニのアルバイトを終え、唯が帰宅したのは午後8時過ぎだった。母の秀美が待ち構えていたかのように声をかけてきた。
「唯ちゃん、おかえり。」
「ただいま。」
「今日ね、SUNADAの健康食品が届いたの。ダイエットサプリとかいっぱいあるけど、唯の友達で欲しい人いない?」
「そんな子いないよ。お母さんの友達に売ればいいんじゃない。」
「そうなんだけどね。あっ、そういえば唯にも何か届いていたよ。」
「それはお待ちかねのヤツかも。」
「リビングのテーブルに置いておいたから。」
「ありがとう。」
テーブルの上にあったスマホくらいの大きさの茶封筒を部屋に持っていって開封すると、昨夜に画面で見たリップが入っていた。テンションがあがる。
 ただ、リップと一緒に入っていた書類に目を通すと、予想外のことに少し血の気が引いた。
「何これ?」
その書類には初回は500円で、2回目以降は定期購入になって売れ筋5色が5,000円と書いてあった。しかも、6ヶ月間コースと記載されている。販売業者名は“うるおいコスメ合同会社”というらしい。
「え、ちょっと。定期購入なんて注文していないけど。5,000円の6ヶ月って3万円になるじゃない。ありえない!」
これはおかしいと思って、すぐに販売サイトの問合せフォームに定期購入の申し込みはしていないから、2回目以降の注文分は取消してほしいと書いて送信した。何かの間違いであってほしい。3万円あればアイドルイベントに3回は行ける。もう、ありえない。
 
 翌日の午前の講義が終わったタイミングで“うるおいコスメ合同会社”からの返信メールが届いた。講義棟から学食に移動しながらスマホでメールを開くと、次のような文面が表示された。
 
秋川唯 様
 この度は弊社のうるおいリップをご注文頂きまして、ありがとうございます。
 この商品の初回注文分は500円ですが、それは定期購入契約の申し込みが条件になっております。この定期購入は売れ筋5色をセットにした5,000円の商品を毎月お届けする6ヶ月間のコースになっています。
 当社のウェブサイトには、定期購入が前提であって初回分は500円ということを明確に表示しており、申込ボタンをタップ頂くことでこの契約が成立しています。また、本契約は通信販売であるため、特定商取引法のクーリングオフ制度の対象外になっています。
 よって、6ヶ月分のクレジットカード決済の取り消しはできません。商品は毎月20日付近にお届け致します。
 なお、本契約の中途解約を希望される場合は、ウェブサイトの利用規約に表示しているとおり、2万円の違約金が発生します。違約金のお支払いをして解約をする場合は、違約金支払いのフォームに必要事項を記入して送信してください。(それ以外の解約手続きの方法はございません)。
 当社としては、本契約を継続され、売れ筋5色のうるおいリップをお楽しみ頂きたいと思います。継続の場合は特段の手続は不要です。
うるおいコスメ合同会社
 
 学食の手前で、つい立ち止まってこのメールを読んだところ、スマホを握った手が震えだした。驚愕、後悔、諦め、様々な感情が駆け巡った。ウェブサイトの申込ボタンの周辺に確かに小さな文字で注意書きがあったことは覚えている。どうせ大したことは書いていないだろうと思って読まずに申込ボタンをタップしてしまった。その小さな文字の中に定期購入のことが書いてあったというのか。それなら私の失態もある。
 すぐにスマホ画面でウェブサイトを表示し直してみた。そして申込ボタン周辺にあった【注意事項】という小さな文字列を確認した。
 
【注意事項】
 初回注文分の500円については、定期購入コースの契約の申し込みをすることが前提条件になります。定期購入コースは売れ筋5色リップを毎月1回お届けするもので契約期間は6ヶ月間になります。定期購入コースの1回分の価格は5,000円(税込み)となります。申込ボタンをタップすることで定期購入コースの申込に同意されたものとみなされます。なお、定期コースを中途解約する場合には、違約金が必要になります。違約金については利用規約に記載しております。
 
 確かに【注意事項】には定期購入コースについての説明がされていた。これは私の見落としだ。でも、定期購入について書いてあるのはここだけだ。初回500円というのは大きな文字で何回も表示されているのに、定期コースの具体的な説明は小さな文字で表示されているこの部分だけだ。何か納得できない。
 念のために利用規約のページも確認してみた。そこには中途解約の場合は違約金として2万円の支払いが必要になると書いてあった。今すぐ解約の手続きをしても2万円を支払わなくてはならず、その場合は商品を受け取ることはできない。それなら毎月5,000円を払ってうるおいリップを受け取ったほうがマシなのかもしれない。
 とにかく納得できない。とりあえず【注意事項】周辺の画面と利用規約をスクリーンショット撮影した。消費生活センターで相談してみよう。
 
 市役所の中にある消費生活センターでは、数名の職員が電話対応をしていた。カウンター越しに目が合ったのはアラフォーくらいの女性職員だった。その職員に案内されて相談室に入った。
「消費生活相談員の林明美と申します。今日はどうされましたか?」
林の大きな目に圧倒されつつ話を始めた。
「スマホで初回500円のリップを注文したら、定期購入で5,000円の請求をされて納得できないのです。」
「そうですね。注文するときに定期購入契約とは気づきませんでしたか?」
「500円というところしか見ていなかったというか。注文ボタンの下に注意事項が書いてあったのですが、面倒で読み飛ばしてしまいました。」
「なるほど。その注意事項に何の説明がされていたのかが問題ですね。」
「はい。」
そう言ってスマホを差出し、スクリーンショットで撮った注意事項を提示した。林は大きな目を更に見張り注意事項をフンフンと読んだ。
「これを見ると月々5,000円の定期購入契約だということは書いてありますね。文字の大きさも、見落とすほど小さくはないし。500円という強調表示との対比では定期購入の告知は小さいかなという印象ですが。でも、だまし討ちと言えるかというと微妙なところですね。」
「ええ。でも、これだと500円と思ってしまわないですか?」
「そうですね。そう受け取るのもわかります。」
それから林は利用規約のスクリーンショットも確認した。
「利用規約を見ると定期購入契約の中途解約には違約金が2万円必要になることも買いてありますね。これだと2万円払って解約するか、6ヶ月分の契約を続けて商品を受け取るかの選択になるということか。悩みますよね。」
「そうなんです。クーリングオフはできないのですか?」
「これはインターネット通販での買い物なのでクーリングオフ制度の適用はないのですよ。残念ながら。しかも定期購入契約であることは書いてあるし。」
「あきらめないといけないですかね。」
「厳しいことは確かですが。ちなみに注文前の最終確認画面のスクリーンショットは撮ってありますか?」
「いえ。注文時にはこんなことになるとは思ってなかったので撮ってありません。」
「そうですよね。今、このスマホでその画面を表示できますか? 注文の直前の画面です。あっ、でも実際に注文しちゃうとダメですよ。」
「わかりました。やってみます。」
そうしてスマホで注文操作を繰り返し、最終確認画面を表示した。林にその画面をスクリーンショット撮影するように言われて指示通りにした。
「最終確認画面には定期購入の場合は定期購入契約だということを表示する義務があるのですよ。それがちゃんと書いてあるかをチェックしますね。」
しばらく画面を眺めていた林がニコリとした。
「秋川さん、最終確認画面には定期購入であることが書かれていないですね。これは特定商取引法の表示義務違反になるので、それを理由に契約の取消権を主張することはできますね。」
「え、そうなんですか? どうすればいいのですか?」
「最終確認画面のスクリーンショットを印刷して、表示義務事項の不備を指摘する経緯書を書いて郵送する必要があります。書き方は助言しますが、ちょっと面倒な文章を書かなくてはなりません。やってみますか?」
「難しそうですが、このまま払うのも嫌だしやってみます。」
 
 林の助言を受けて、その場で1時間くらいかかったが経緯書を手書きして郵送したところ、うるおいコスメ合同会社から契約解除に応じるという返信が届いた。初回500円の契約は有効と判断して、その分のクレジット払いは実施したが、以降の決済は無事に取り消しとなった。余計な支払いはしなくて済んだので、その分でアイドルグッズを買うことにしよう。
 
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【解説】
 
 インターネット取引等の通信販売では、消費者が自主的に購買行動をするものであり不意打ち性は低いとされ、クーリングオフ制度は適用除外とされています。
 それでも通信販売という特性から消費者が商品を手に取って判断できないことがあるため、商品到着後8日以内であれば、消費者は返品に関わる費用(送料など)を消費者自身が負担することで売買契約の解除をすることが可能とされています。(送料などの返品費用が消費者負担とされており、契約解除の通知の効力発生時期も事業者に通知が到達した時点とされており、これらがクーリングオフによる契約解除とは異なります。契約解除通知が8日以内に事業者に届かなければ契約解除は有効となりません。)
ただし、通販事業者が返品の条件を予め明示していた場合は、その条件が優先されます。つまり、サイトに「該当商品については、不良品以外は返品ができません」と見易く表示していれば、返品対応を不可と定めることが可能になっています。
 
 このような通販事業者が優位の表示ルールを逆手にとって、定期購入契約であることをわかりにくくして支払いを請求するトラブルが多発しました。
 そこで、2022年6月1日施行の特定商取引法の改正により、通信販売などのウェブサイトの申込フォームの最終確認画面には6つの事項を表示する義務が追加されました。
この6つの事項の表示義務に不備があると、消費者に契約の取消権が認められます。
 
 この改正では、書面もしくはウェブサイトの最終確認画面への表示義務事項として「商品分量・価格・支払時期と方法・引き渡し時期、提供時期・解約条件・申込期間」の6つ事項が指定されています。(同法第16条の6)
つまり最終確認画面に、この6つの事項のいずれかに不備があった場合には、消費者に取消権が認められます。(同法第15条の4)
「ウェブサイトの最終確認画面に6つの事項が表示されていなかったこと」についての事実証明は消費者側が行わなくてはなりません。具体的には、ウェブサイトの価格強調がされている画面と最終確認画面についてスクリーンショット撮影をして、その画像を印刷したものを経緯書に同封します。
 
 このように通信販売の表示ルールも厳格化しており、事業者側は適正な情報を明確に表示すること、消費者側は表示された情報をしっかりと読むことの努力が必要です。
 
 なお、通信販売における契約事項の表示義務については、特定商取引法第11条と同法の省令第8条にて規定されており、その内容は以下のとおりです。
 
<特定商取引法第11条>
1.商品・サービス・権利販売の対価(販売価格と送料の表示)
2.対価の支払い時期
3.商品の引渡し時期 権利の移転時期 サービスの提供時期
4.契約の撤回や解除についての事項
5.その他の省令で定める事項
 
<同法省令第8条>
1. 販売業者又は役務提供事業者の氏名又は名称、住所及び電話番号
2. 販売業者又は役務提供事業者が法人であって、電子情報処理組織を使用する方法により広告をする場合には、当該販売業者又は役務提供事業者の代表者又は通信販売に関する業務の責任者の氏名
3. 申込みの有効期限があるときは、その期限
4.販売価格以外に購入者又は役務の提供を受ける者の負担すべき金銭があるときは、その内容及びその額
5.商品に隠れた瑕疵がある場合の販売業者責任についての定めがあるときはその内容
6.プログラム・データを記録した物を販売する場合にはその動作環境
7.商品の売買契約を2回以上継続して締結する必要があるときは、その旨及び金額、契約期間その他の販売条件(いわゆる定期購入契約)
8.商品の販売数量の制限その他の特別の商品若しくは特定権利の販売条件又は役務の提供条件があるときは、その内容
9.広告の表示事項の一部を表示しない場合であって、カタログを有料負担させる場合はその金額
10.通信販売電子メール広告をするときは、販売業者又は役務提供事業者の電子メールアドレス


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詳細は以下のテキストリンク先のページをご覧ください。

「インターネット取引と消費者法」(PDF)

 

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