喜怒哀楽

“高野さんを怒らせたい”って知ってますか?
最近お笑いのアンテナを張ってると至る所で話を聞きます。最近だとラヴィットでも紹介されたとか。
マセキ芸能社所属の“きしたかの”のYouTubeチャンネルなんですが、これがめちゃくちゃ面白い。
ただ高野さんを怒らせるだけですが、怒らせ方がめちゃくちゃ凝ってる。また、高野さんが非常に愛らしい。

代表作だと思うんですが、ローマの休日の日本語字幕を全部天気の話にするやつが最高でした。

岸さんが悪戦苦闘しながら高野さんを怒らせるのですが、最後には怒っていない判定に、、、
やっぱり人を怒らせることって非常に大変なんだなと思う動画になってます。


私が怒っているらしい。

最近私の界隈でこんな情報が流れた。
きっかけは大したことがないので割愛するが、実際に私は怒っているわけではない。ただの冗談であった。


おそらく私をよく知っている人であれば、十中八九嘘であることは分かるだろう。

なんていったって私は友達から連絡がないまま、2時間改札と自動販売機しかない駅のホームで遅刻した友達を待ったことがある人間だ。ちょっとやそっとのことでは怒らない。

ただ、やはり情報の伝達は怖い。どんな冗談でも伝わり方は人次第だ。ちょうど先日、友達から共通の知人のSNSの文面的に自分が怒られているのではないかと相談を受けた。おそらく誤解であろう。

私自身、LINEやTwitterなどのSNSで何かを伝えるときは非常に気をつける。特に怒りの感情は気をつけなくては行けない。

怒ってない。

この言葉だけでは、やはり少し無機質だ。実際“。”で終わる文章は本当に怒っている人の文章になりかねない。言ってしまえば、本当に怒っている人が書く文章だ。

なので私は“!”を多用する。私の文面に“!”が出てきた時には、誤解しないでねの意味が含まれていることが多い。覚えていてくれると喜ばしい。


思い返せば昔はよく怒っていた。

小学3年生のころ、楽しみにしていた番組を録画していたのだが、母親のミスで録画できていなかった。当時はもちろん見逃し配信なんて便利なものはなかったので、一度見逃したものはもう二度と見ることはできない。

録画を見る気満々で意気揚々と家に帰ったが、テレビ大好きっ子の僕は当然激怒し、押入に入り、いじけたことをすごく覚えている。さっきまでルンルンだった私のテンションも一瞬で他の底についた。感情の起伏が激しい。

そんな私も先日、見たかった録画を母親に消されていた。見逃し配信期間も過ぎていたのでもう見ることはできなかったが、特に何も思わず、“そっかー”で済ますことができた。
テレビの録画一つだが、こうして私は大人になっていることを実感した。


ただ、録画一つでこんなに感情に起伏をもてる10歳の私の感性も少し羨ましい。
よく、大人になるということは自分の感情をコントロールできるようになるというが、それもそれで非常に哀しい。

どこに私の感情の起伏を置いてきてしまったのだろう。これから先、私の感情は平坦な荒野が続くのだろうか。感情の起伏のある人生が幸せと言うのなら、私の人生の醍醐味はもう終わってしまったのであろうか。


人に迷惑をかけない。この前提を守りながらこれからも喜怒哀楽については意識して過ごしたい。

そんなこと、食中毒に苦しみながら書いてみた。
原因はおそらく、友人が調理してくれて食べた魚介類だろう。


もちろん私は全く怒っていない。

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