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昔は俺も悪かった

昔は俺も悪かった、というタグイの屈折した自慢をする人がいる。
本当に悪かった逃亡犯が、最後に本名で死にたいと言ったなんて話ではない。

学生時代パッとしなかった連中が正月に集まり酒を飲んだりすると、「昔は俺も」自慢が始まる。
この連中が定年間近に差し掛かると病気自慢に変じたりする。

憎からず思っている女子の前でこれをやる奴もいるが、拍手喝采されるなんてことはまずない。

しかし、誰でも「昔は俺も」的なことを言ってみたい誘惑に駆られることがあるし、言っている。酒を飲むと特に言う。僕も言う。

口にするかどうかは別にして、そういうエピソードが一つもないというのは、健全かも知れないがあまり面白い人間じゃない感じもする。小さなイタズラ、羽目を外した逸話、若気の至り。まったくないのもどうかなとは思う。

「昔は俺も云々」と言われても、それを証明する手立てはない。せいぜいその場に立ち会っていた親友悪友が相槌を打つ程度だ。相槌を売っているうちにだんだん盛られて、すごいことをしでかしたような話になったりする。

ところが今は、これをYouTubeやTikTokでやらかす。「昔は俺も」じゃなくて「今俺は」だし、ちっぽけな話が大きく語られるのではなく、最初からウケ狙いで大きなことをしでかそうとする。もちろん証拠はバッチリ。

針小棒大、白髪三千丈だと思うからこそ笑って聞けるし、それなら俺もと話す気にもなる。

SNSというのは、便利で面白いものなのではあるのだろうが、僕なんかにはバカを増幅するアンプのような気がしてならない。

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