全てを自分の成長に向けようとしたら苦しくなった
私は27歳、会社員。
地方の大学院を卒業して東京の職場に就職しました。
私はずっと誰かに負けている、そう思いながら生きていました。
学生時代から勉強はそこそこ、運動はからきし駄目。
そんな自分が嫌で、社会人になってからは常に仕事に関する勉強をしたり、今後の自分のためになるような本を読んだりしていました。
私にはキャリアプランというものがありません。
ただ、20代の若いうちはなんでも積極的に学んでいき、30代以降に活かせるものを可能な限り増やすことは重要だと思っていました。
だから、常に体験したこと、ふと思ったこと、WEBで見るコンテンツなど、全てに可能な限りの学びや課題意識を持とうとしました。
そんなことをなぜ考えるのかというと、キャリアに活かせるというのもありますが、常にそうし続けないと不安になるからでした。
何か有意義な時間を過ごせたな、と思えることをしていないと不安になる。
ずっとそうし続けていれば、きっと自分のためになると思っていました。
事実、仕事でも一定の成果を出せたり、それによって周囲からの期待もありがたいことにいただいていました。
そうなると、余計にこの状態を維持しようと焦燥感は膨らみました。
これは行きすぎて、いつしか周りの人に対して不快感を持つようになりました。
友人に自分の知らないものを見せられたり話されたりすると負けていると感じて、もっと色々なことに目を向けないと..と考えたり、
職場でも周囲の人の発言に敏感になり、自分が低く見られていると感じられる発言があると嫌悪感を抱いて自分はこんなんじゃない..と考えたり。
常に人が知っているものは自分も知っている。
常に自分は試されていて、それにクリアし続けている。
そんな実感が常に得られていないとネガティブな感情に囚われてしまう。
本当は、どんな人とでも楽しく過ごせたらいいと思っているのに、勝ち負けで判断してしまっている。
私の考えた、20代のうちは触れる情報に対して課題意識を持ったり学びの機会にするというものは、一定の成果を出せたりするものの、いつの間にか成果や能力に囚われて自分や他人をジャッジする習慣を醸成させていました。
このままだと、自分の非を認められずに人と関わることがどんどん億劫になる気がする。
いったん落ち着こう。
焦燥感に従わず、何となく日々を過ごしてみることとします。
そうなったとき、どんなふうに感じるんだろう。
それを見てみたい。
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