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【インターセクショナリティとZ世代】ソーシャルエクスプレス vol.15

D&I(ダイバース&インクルージョン)」や「多様性社会」いう言葉が人口に膾炙されるようになって久しい近年。

そこへSDGsに配慮する「エシカル思考」を備えたZ世代が登場。
先端を走る各企業やブランンド、アクティビストのD&I啓発や意思表明のコンテンツを頻繁に目にするようになりました。

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「LGBTQ+」を例に取ると、とりわけSDGs啓発が活発になった時代に教育を受けたZ世代は、ジェンダーやセクシャリティに対し極めて高い寛容度を示しています。
「世界価値観調査(2017-2020)」を見れば国内20代の同性愛への寛容度は10段階の自己評定で平均8.58点と、かなり高水準。
また、アメリカZ世代の場合だと6人のうち1人がストレート以外の性を自認していることが分かっています。

『Z世代、多様性を体現してるな!』

...素直にそう思っても良いのでしょうが、
Z世代である私自身や周囲のZ世代の声、加え以下のような記事から、どうも素直に喜べない節があるんです。

『人それぞれ』で処理する冷たい距離感
  ー 現代ビジネス
『親友はいらない』コスパが悪いから?傷つきたくないから?
  ー ABEMA TIMES

また、高校生のリアルな言葉が紡がれたコチラの記事からも、
以下抜粋箇所のような「亀裂を避けるような淡白な関係」が示唆されています。

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こうした事例から、『LGBTQ+に対するZ世代の高い寛容さって、ほんとは ヨソはよそウチはうち 理論でサラっと片付けられてる』と感じるようになりました。


ヨソはよそウチはうち がなぜ問題なのか?

『サラッと片付ける』と表現したように、”ヨソはよそウチはうち” で考えた場合LGBTQ+のみに関わらず議論が進行しなくなることが最大の問題です。

そしてサラッと片付けてしまい議論が進行しない原因には、無関心知識不足が挙げられます。
一見同じことのように感じますが、知識が備わっていても無関心なこともあるのです。

知識のない無関心

[最下部]
知識がないが故に関心も湧かず、議論ができない状態。

[中部]
知識の獲得に満足し、それ以上の知識獲得に向かわない状態。

[最上部]
知識を十分に備えているのに、精神的な意向から関心を寄せない状態。

既述のようにむしろSDGsを知らない人の方が少ないと思われる昨今、知識がないこと= [最下部] はあまり考えにくいでしょう。
よって、多数が [中部][最上部] に位置していると考えられます。(とりわけ[最上部]のような、行動エネルギーを節約し精神をそちらへ向けないことがタチの悪いところだと思っています…。)

こうした「知識・関心」の主観的なフィルターを通すと、仮に知識もあり議論の準備ができている場合でも主観的な意思で行動を制約してしまうことがあります。
よって、以下で提案したいのがタイトルにも取り上げたインターセクショナリティです。


「インターセクショナリティ」とは?

インターセクショナリティ [Intersectionality|交差性] とは、
個人を「ジェンダー」「人種」「障がい」「性的指向」「宗教」「社会的地位」「経済力」など複合的な視座から見つめるフレームワークです。

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例示した上図では「ジェンダー」「人種」「障がい」「性的指向」の4項目で考えられていますが、このように複数の視座を交えて考えるのが基本です。
楕円が交差しているポイントが全部で11個ありますが、それぞれのポイントの視座で個人を考えることでステレオタイプで見落としがちなマイノリティ的視点までをもカバーして思考することができます。

例えば、フェミニズムが叫ばれていた最中でも南アフリカでは長らくハウスワークに従事する黒人女性は社会保障を得られない立場にありました。
またコロナ禍では派遣社員や1人親家庭での困窮のさまが取り沙汰され、そうした家庭への給付金支給の声が高められていました。一方、同様に勤務が困難となった性風俗店等での従事者へはそうした対応が正当に処置されなかった事実があります。
自身の視野だけで世の中全てのスポットに目をやることは不可能であり、必ず自身の意志や興味関心、置かれている市場によって関心の方向は固定されます。(事実、私もZ世代というスポットに集中した興味関心を持っており、その他の分野へのアンテナの張りようは脆弱...)

しかし、フレームワーク(=考え方)の1つであるインターセクショナリティを念頭に置けば、関心ごとを寄せた事象1つとっても、意図して別視点で目を向けることが可能なのではないでしょうか。


「制約のない思考」が、口を、足を動かしてくれる

既述のように、インターセクショナリティには数多くの視座があります。

ジェンダー・人種・障がい・性的指向・宗教・社会的地位・経済力...

『自分にとってはどれも関係がない』と思っていても、必ず関わる点があるのです。

知識のない無関心

インターセクショナリティの考えに則れば、世の中の出来事と自分との間で関係のないことなんて何1つないことがわかります。
ステレオタイプを孕んだ主観に添い、自身の世界観を育むのも重要でしょう。一方で、世界に対し開かれたフレームワークを持ち、主観を除いた視座を持ってみることも重要なのではと考えています。

とりわけ1996年以降に生まれたZ世代は、UGC(User Generated Content = いわゆる口コミ)やありのまま、つまりは主観に添ったアイデアに関心を持ち、家族や友人などかなりクローズな関係でのコミュニケーションが主になりつつあります。加え、そうした身近な存在からの意見を忠実に受け取る節があるとも言われています。

「自身の主観に似通ったアイデア」を持った他者の主観を上塗りし、まるで自身を安心させるかのような自慰行為が見えるのです。
それこそが、冒頭で述べた「人それぞれで処理する冷たい距離感」だったり、「親友はいらない コスパが悪いから?傷つきたくないから?」などといった意見として表出しているのだと思うのです。

Z世代は、世界最先端のデジタルノウハウを備えた新人類です。
リアルとデジタルを自由に行き来できるがゆえに、開かれた世界へ触れるスピードは他世代と比べ加速度的に増加しているはずです。加え、そのクリエイティビティと果敢さから新市場・新文化を切り開く可能性に満ち溢れた存在なのです。
さらに、Z世代は”世代”という境界を認識しており、国境という物理的距離を感じていません。どこの国であろうと、Z世代であるならば同じ国民であるかのように感じられるのです。

そんな可能性に満ちた世代が、内向的に主観で生き続けていいものでしょうか。いや、もっともっと、自他の想いをぶつけ合い爆発させてほしいと切に願います。
私自身も、1人のZ世代としてそう願います。


おしまい

ちょーっとまとまりがない感じでしたが、『類稀な時代の恩恵を受けたデジタルネイティブ世代の声は、世界へ飛び出るべきだ』というのが一番伝えたいことでした。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

デジタル・リアル両面から覗くZ世代のインサイトをはじめ、ソーシャルメディア情報をお届けしている【ソーシャル・エクスプレス】

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