なにものか その2

学生のころ、社会に出る前から、ぼくは「なにものか」にならなくてはいけないと思っていた。でもそれはどうしてなんだろう。

新卒で入った一社目は、ぼくにとって望んだ職場ではなかった。就職氷河期で、希望していた会社でも職種でもなかった。

仕事も上手くいかなくて、趣味である自転車ロードレースにのめり込んだ。

趣味に打ち込んでいる時間は楽しかった。一緒に走る仲間がいるし、練習すればするほど力がついて、緊張感のあるレースを走って、時には結果が出た。でも、心の片隅で「これでいいのか」と思っていた。見なくてはならないものを見ないようにしているだけだ、と何かがこびりついているみたいだった。

結局、ぼくは会社を辞めて、別の会社、別の仕事に就くことになった。そうなったのは、仕事でも充実感を得たかったからだ。

あの時もし、仕事も楽しくできていたならどうだっただろう。仕事もしっかりやって、プライベートでは趣味にいそしむ。それができていたなら、ぼくは満足していただろうか。

たぶんしていないと思う。どうしてかというと、ぼくの不安は「時代が大きく変化している」ということからきているから。たとえ一時期満足のいく仕事につけたとしても、会社がつぶれてしまったり、リストラされる可能性を考えると、一人の仕事人として「食いっぱぐれないなにか」を持たなくてはならない、と思っていた。

学生のころ、ぼくは大都市ではなく、どっか地方都市、そこそこ自然とそこそこ都会な場所で働きたかった。人がたくさんいると疲れるし、無機質なものに囲まれているとどうにも落ち着かないから。

学生のころから「絶対にこの仕事やりたい!」というのはあんまりなかったけれど、「絶対にこうはなりたくない!」というのはあった。

それは「営業職で東京勤務」だ。

営業職は「お客さんの奴隷になって理不尽なことでも頭をさげるもの」であって、つまり自分の思うようにできないものの筆頭だった。

そして、「東京で働く=毎日満員電車にもまれて無機質な街で過ごす」ことだった。

しかしながら何の因果か、結果的にぼくはその「絶対にこうはなりたくない!」像に丸々当てはまった仕事に就くことになり、それからずっと首都圏で営業を中心とした仕事をしている。

キャリアのスタートが営業ということで、そのまま十数年営業の仕事を続けてしまっているけれど、幸い「営業職=誰かの奴隷」ではないと認識を持てたし、人と何かをする能力を磨くことができた。でも、もう片方の「居たくない首都圏での仕事」を選び続けた理由はなんだろう。それは、地方では仕事がなくて、自分の能力を高めることや経験を積める仕事に就く機会が得られない、と思っていたからだ。地方に行けばプライベートは満足するだろうけれど、地方で例えば職場がなくなったりしたときに、また職を見つけることができるのか、満足のいく仕事を得ることができるか、という点が問題だと思っていた。ひるがえして言うと、満足のいく仕事を見つけ続けることができるならば、首都圏ではなくてもよくなる。

ずっと居たくない最悪の環境に居続けて、ぼくが得ることができたのは「時間をかけて場に適応する」ことだ。ぼくはずっと選ばれる仕事人に何はなにか「その人なりのスペシャル」が必要だと思っていて、それは例えば何かの専門性やスキル、実績、といったものだ。つまりそれがないと満足のいく仕事を得ることができないと思っていたのだけれど、最近必ずしもそうではないと思うようになった。

生物で生き残るのは強いものではなく、環境に適応できるもの、それは仕事でも同じではないだろうか。別に特別な能力がないとしても、その場や仕事に適応することができれば結果的に仕事でパフォーマンスを発揮することができることにつながる。必要なものは適応力だ。幸い、それはある程度育てることができている(つもり)。

それに、仕事がなかったら作ればいい。特に今は少子高齢化で、人手が不足している。首都圏から離れれば離れるほどそれは顕著だ。テクノロジーで置き換えることが増えたことは確かだけれど、人手でないと補えないものはまだまだある。幸い、個人だけでもできることもある程度できた。

ということはつまり、ぼくが社会に出る前に思い描いていた「満足が得られる仕事をし続けられる」という点については、そこそこ持っているのではないかと思う。だとしたら、ないものを背伸びして掴むことは、これまでのように必死でやる必要はないのかもしれない。

昔のぼく、きみの思ってる不安はある程度解消されたぞ。だったら、あのとき叶わなかったきみの望みをそろそろ叶えてもいいのかもしれないよね。

皆さまのご厚意が宇宙開発の促進につながることはたぶんないでしょうが、私の記事作成意欲促進に一助をいただけますと幸いでございます。