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1997年イギリスへボランティア留学②    ~日常生活と看護師になる決心~

昨日に続き、イギリス1年半弱の留学経験について書いていきます。
地元の高校を卒業してからは神奈川県の児童福祉の短期大学へ進み保育士と社会福祉主事任用資格を取得しました。

東京のわらべうたを推奨していた保育園で勤務中に、外遊びをしていた5歳児の男の子“Gちゃん”がビール瓶のケースを車にみたて遊んでいた時に、ケースが石につまづき、その反動で口の中をケースの端に思いっきりぶつけたGちゃん。前歯4本くらいが折れて血液で真っ赤になっていた。
なのに自分の方が、鼻や口の中が真っ赤になり、止まらない出血におろおろしていた。ところが、Gちゃんはそんな私の様子をみて、泣きもせずに、落ち着いていて
“先生!僕大丈夫だよ、痛くないから”と。

その姿に、はっ!として、Gちゃんを抱っこして保育園の保健室まで連れていきました。

子どもに携わる仕事がしたいと保育士になったけれど、こどもを
総合的に見えるようにと、怪我や病気になっても慌てずに対応できるようになれたいいなあと漠然とした思いが上がってきていた。

その後も保育園を退職してからは、ご縁で小児科のクリニックで看護助手として働き、看護師さんがいないクリニックで直接、先生から教えていただきながら先生のお手伝いを行っていました。この時も医療の仕事は好きだなと患者さんたちと接することもなんだか不思議な感覚を感じた。

ただ、海外に行きたい気持ちはどうしても消えず、早めの若い年齢の時に海外へ行けないだろう、年をとった後は行けなくなってしまう、チャンスは今しかないと感じて、イギリスへ。

そしてボランティア留学のため、Teddingtonという
小さなLondon郊外の町にある、Homemeadという高齢者施設で有償ボランティアで、10時や15時のTea Service時間には、紅茶に牛乳を入れたミルクティーをご高齢の方々へ配ったり、時々トイレ誘導やおむつ交換(本当は日本人スタッフはやってはいけない)を手伝ったり、食事介助、毎週土曜日の朝は日本人スタッフが朝食担当のため、Residentさんたちへ野菜やチーズ、ジャムのSandwich作りでした。シフトは決まっていて、2日連続日勤の後は4日間休み、4日連続日勤の後は2日休みというシフトだった。
1週間に50ポンドのお小遣いがいただけていた。
食料もTESCOで購入し、食料品も安かったし、そのほか食事は一緒に住んでいた3人でシェアしながら過ごしてた。パンやシリアル、果物、ヨーグルト(たくさんの種類があった)を摂取して、健康的な食事だったことを思い出す。いただいていたお金で普通に暮らすことが出来ていた。
ワインも美味しくて、安くていろんな種類のワインもあった。

今思い返すと、Homemeadはホスピスのような施設で、訪問看護師さんが施設に訪れて、ひとりひとりの健康チェックや傷の手当などを行っていた。
その時に訪問で来ていた看護師さんがとても綺麗な方でテキパキ動いて処置したり、ひとりひとりのResidentさん達の相談に乗っていたり、その当時の自分にとってとても憧れだった。その時が少しづつ看護師になりたいとふつふつを沸き上がり、、、

ある日、認知症を患っていたJeanという体の大きな高齢女性の方の食事介助を行っていた。Jeanは昔、看護師で戦争時も戦地へ向かい、傷病者の看護にあたり総指揮を取られていたと、娘さんから話を聴いていたことがあった。何となく食事介助をしながらJeanに話しかけてみた。

“I want to be a nurse. What do you think?
すると普段、全く話をしない、発語も全くないJeanが、動きを止めて、私の顔をじっと見つめて
”You want to be a nurse?!
その後もゴニョゴニョとずっと話をし始めた、何を言っているのか聞き取れずだったけれど、何となく雰囲気から
“看護師になりたいんだって?あなたが?そんな生優しいものじゃないよ!大変な仕事なんだよ、生半可な気持ちじゃなれないね”と言われたように感じた。”You want to be a nurse?!と言った言葉は大きな声で、はっきりと聞こえた。
周りにいたスタッフも、いつも一緒にいる他のResidentさんたちも、普段全く話しをしないJeanが大きな声で話をしたことに、びっくりして驚いていた。
その日、たまたま娘さんも後から面会に来て、Jeanが話をしたことを伝えたところ、その後も娘さんに向かってまたJeanが話をし始めたことにとても感動していた。(Jeanが話をしたのはその日限りだった…)

娘さんからは、Jeanが私に向かって話をした内容はきっと
”看護師なることを応援してるって言ってたと思うよ、だから絶対に看護師になってね。だって、今まで何十年も話さなかった母がいきなり看護師というワードに触れて気持ちが思い出したんだから”と言ってくださった。

昔のJeanは陽気な反面、厳しい人でもあった(その時代の看護師の総指揮官だったこともあり)、よくお話をする人で楽しいことが好きな人だったと教えてくれた。
余談だけどもNightingale(フローレンスナイチンゲール)はJeanの先輩で、とても厳しく怖い人だったと、娘さんはJeanから教えてもらったとのことだった。

そんな私にとって、ミラクルのような出来事から、看護師になることを
強く決心して、そう思い立ったら吉日。すぐにいろいろ調べた。
こどもの専門看護師CNSという資格があること、
イギリスで看護師の資格を取るというのはかなりの難関な道。
まずは英語レベルを上げ、さらに看護学校や大学へ行くには4から6年はかかるのだった・・・・(自分の語学レベルも低かったため相当の年数がかかると感じ、それならば日本で看護師の資格を取ってから、子ども専門病院で経験を積んで、またイギリスにもどってくればいいねと思っていたのだった。

25年前のことを思い出しながら記載しているため、うろ覚えのところもあり、もしかしたら真実とは違う部分もあるかもしれないけれど、覚えている限りのことを記載していこうと思う。

最後まで長い、まとまりのない文章を読んで下さり、ありがとうございました!











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