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ネット広告嫌いで有名な僕が「運用型広告事業」を立ち上げた理由とその後

こんにちわ、浅井です( https://twitter.com/kska31
明日でも数年後でもGoogle検索連動型広告などを始めようか悩んでいる人に届けばいいなって思って書きました。

就職したらまずは決算書をチェック

2017年4月1日。現在就業中の会社に転職&東京に引っ越しをした。
昨日まで社会的に無職だった自分にとって、また前職も代表取締役社長をしていたため就職というのは新鮮だった。
※無職の3年半をまとめたnoteはこちら( https://note.com/kska31/n/n39f87555e0a3

といっても自分と社長がいるだけの2人っきりの会社。

ECサイトを2つ運営しLPやコーポレートサイトの受注があれば制作するという特に変哲もないIT系企業に該当するかどうかギリギリって程度の企業だ。

就職して最初に行ったのは過去3年分の決算書の内容の確認。その上で社長にヒアリングを行い財務状況や見込み売上などの確認を進めていった。試算表は作っていないとのことだった。把握出来る程度だろうけど、これは経理業務が追いついてない零細企業あるあるだなと少し懐かしさを覚えた。

問題ない、これから改善していけば良い。問題なのは今にも潰れそうな状況を再確認出来たことくらいだ。

ネット広告ってどんなのだったかな?

色々と確認したところでお互いに意見交換をした。自分からは保有しているECサイトの売却譲渡という案。社長からは「リスティング広告運用なんてどうだ?」というアイデアだった。リスティング?

社長からPCやスマホを使って説明された。検索連動型広告やディスプレイ広告など一般的なものを一通り説明して貰った。全然ピンと来なかった。
理由はすぐにわかった。自分は昔からネット広告が大嫌いで徹底的に広告ブロックツールを導入してネット広告を視界に入れないようにしてきた。今回持ち込んだデスクトップPCも対策は完璧。スマホも当然のように徹底。

自分はWEB広告というものに触れずに過ごしてきた。

当時よく利用していたニコニコ動画も広告が嫌いなので当然プレミアム会員だった。社長から広告ブロックツールを解除するように命じられた。自分は了解の意を示したあと、すぐには消さなかったのは内緒だ。

ネット広告なんて最低だ!が持論のネット好きな自分はネット広告を敵対視し続けて生きてきた。こういうネット広告があるからサイト内に関係のない情報があって美観を崩しているのだと昔からプンプンしていた。

社長は自分が提案したECサイトの売却譲渡はあっさりと了承してくれて色々と動いてみるとのことだった。会社のキャッシュフロー状況と広告費の建て替えがすぐにキツくなると思い、AMEXの法人用プラチナの申し込みをお願いした。年会費のカバーはポイントで還元出来ると思っていた。

そこ(六本木)にGoogleがあるから

次の日も社長は自分の家に来て当時Google AdWordsと言われた広告についての説明をしてくれた。社長も詳しくないから大変そうだったけど前日に自分も色々と調べていたので素人2人組の話しは弾んだ。

社長「あれがGoogleだ!」

自分が住んでいる部屋のベランダから社長は言い出した。ベランダから見える丸いような楕円のように見えるビルを指差しそう言った。

自分「あそこにGoogleはいるの?」
社長「メルカリやグノシーやゴールドマンサックスまでいるよ!」
自分「ゴールドマンしか知らないけど凄い会社なんだろうね、もしかしてライブドアもあった?」
社長「当然」
自分「ってことは左に見えるマンションはホリエモンやNIGOが住んでいたマンション?」
社長「最上階にNIGOは牧瀬里穂と住んでいたらしいよ」

こんな近くにGoogleがいたのか。さすが東京だ。社長が用意してくれた築50年の7階建てで入居しているのは自分ひとりというかなり怪しいゴーストマンション物件だったけど、六本木ヒルズの向かいにある事実は変わらない。

丁度社長から今月下旬にGoogle主催のセミナーがGoogle本社内であるとのことで申し込んで貰った。まずは本社に乗り込んでノウハウを吸収してやろうじゃないか。もはや運用型広告の事業を始める気持ちは固まっていた。

タダ(無料)で勉強し放題

運用型広告事業を始めるにも依頼主がいなければ始まらない。クライアントなんていない状況の現在はアポイントを取るしかない。社長はテレアポを開始した。自分はいつも横で見ていた。

自社ECサイトへ集客するために予算を確保してくれる案もくれたが費用対効果の面で不安な点があり見送らせて貰った。

何も会社に貢献出来ていない自分がいた。自分の初任給は5月25日に支給だ。それまでに金を作れば何とかなるがどうしたらよいか困った。本当に倒産したら自分の全ノウハウをつぎ込んで社長にパチスロ収入で月50万稼げるようにすると約束した。

現状出来ることが無い自分に社長はミッションをくれた。自社コーポレートサイトのリニューアルだ。明日までにHTMLとCSSを完璧にするのは無理なのでデザイナーを紹介してくれた。自分はディレクターというポジションらしい。

まずは勉強した。ディレクターの役割、サイト制作の手順など。すぐに違和感に気付いた。WEBの分からないことってWEBに解決策が掲載されているんだけど・・・。

これ、タダで勉強し放題じゃね?

こんなチョロいことがあっていいのか。サイト制作のノウハウだけじゃない。WEB広告の運用事例、運用者の考え方。顧客心理まであって調べたらキリがないほどある。どれも最新の情報ばかり。SNSを見るとさらに生の情報が行き交っている。無料セミナーまで至るところで日々開催している。

これ、運用者として失敗するほうが難しいくらいじゃね?

GoogleAdWords認定資格セミナー

会場はGoogle本社ではなくベルサール六本木という場所だった。本社にいけないのは残念だったが仕方ない。数百名が会場に集まっていた。大半はリクルートスーツのような服装の若い男女が座っていた。スーツケースを持った人もちらほらいる。モチベが高そうな人たちで溢れかえっていた。

2日間に渡りGoogle AdWordsの勉強を終え最後にオンライン認定資格受験だ。残念ながら不合格だったが70点くらい取れた(合格は80点から)
落ちても一週間後には受講出来るとのことで次の土日にでもチャレンジしてみようと思った。※現在は試験は毎日受講出来ます

合格するのに3週間を要してしまった。

運用者は管理画面設計よりコンサルが大事?

社長のテレアポは上々の成果が日々生まれていた。WEB広告でなくサイト制作依頼やページ改修などの依頼になってしまっていた案件が多かったけど全然問題ない。自分にとってはどれも未知の世界だった。

入社して3ヶ月が経ち、ECサイトを4サイト同時に設計していた。楽天2件、Yahooストア1件、makeshop1件だ。これはテレアポ業務を商品販売を行っている事業主を中心に行ったからの結果だった。撮影のスタジオ手配から撮影画像のレイアウトの企画、モデルの手配、トップページ&商品ページ(簡易LP)などのワイヤーを40本くらい作って何となくコツが掴めてきた。
全商品のサムネイル画像やテキストも自分で作成した。使える時間限界までリソースを割いたが一向に終わらない。普通はどうやって作るかわからないが、制作に参加して頂いたデザイナーやコーダーさんと手順を確認しながら進めていったはずだがスケジュール管理が甘かったことを猛省した。ChatWorkが便利すぎるというのを発見した。

サイト制作も終盤を迎えたとき、ついにGoogle検索広告の依頼が来た。地元の友人の会社からだった。いつも友人に助けて貰ってばかりなのはもはやご愛嬌。結果でお返しせねば。サイトを隅々まで見て、思いつく限りの質問をした。満足な解答は得られなかったがあとはコチラの腕の見せどころである。

GTMってなんだとすぐに壁にぶつかった?これがないと成果の確認が出来ないのか?手を動かせば動かすだけ新しい疑問や課題が生まれる。しかしググれば解決する。もはやお節介なくらいGTMの初期設定の仕方がネットに掲載されている。とにかく感謝しかない。

なんとか配信開始までこぎつけて運用開始だ。月間予算30万円の案件だ。結果は惨敗。僅かなコンバージョンはあったがクライアントの収益には貢献出来なかった。反省点はいくつもあるが、運用内容は初心者ながら全力に丁寧にやり遂げた気持ちだった。現在の自分が今振り返っても普及点は付けられる内容だった。

では何が悪かったのか。ランディングページが必要だった。なくてもサービスの特徴をわかりやすく強調すべきだった。スマホサイトがとても使いにくかった。決済方法がPayPalしか無かったのもずっと気になっていた。他にも沢山気になる内容がサイトにはあった。

先に伝えるべきだった。

サイトのせいにするのは言い訳がましく言わないべきだと勝手に思い込んでいた。それに自分はコーディングなど出来ないので言ったところで修正出来ない。自分はWEB広告代理業というのは下請けの意識で始めてしまった。

間違いだった。成果の最大化は広告運用者だけで成り立つことではないと痛感した。ビジネスの先を見通して、全体を把握して、何が最善かを見極めなければいけない。そして実行させなければいけない。

自分が学んでいたWEBサイトに書いていなかったことだった。そして気付いた。そこに「差」が生まれるのかと。
どの会社も運用手数料というのは同じようなものだった。知識やノウハウは現代社会ではかなり並列化されているので秘伝のタレみたいなものは全ての会社にあるわけではない。
では「差」はどこに生まれるのか。パソコンの管理画面外の世界にあるのだと痛感した。WEB広告運用者は小手先の知識や運用テクニックだけで成り立つ職業ではないかもしれない。

解決策がやや難儀なイメージが湧きちょっと怖じ気づくが、仕方ない。2人しかいない以上は個人のマンパワーでやるしかない。2人というのもメリットがある。意識の共有などは一瞬だ。今しか出来ないかもしれない2人だけのミニマル戦術で戦おうと思った。

相手がNOと言ってもYESにすべきことは行動する

2件目の広告運用案件を受任した。今回は社長のテレアポからだ。社長のテレアポのモチベを保つための自分のアメとムチもこなれたものだった。ECサイトへの集客そして購入が目標だ。前回の友人の案件とは違い上手く喋れるか緊張した。成約するまでに何度か打ち合わせしたが課題がいくつかあった。大きなヤマはこの2つだ。

社長がワンマンだから意見は通らないらしい
サイトのサンクスページまで9ページの遷移が必要

やるしかないと決断したばかりだ。社長とお話し出来ないか相談した。担当者は社長にそのことを伝える行為がかなり嫌そうだった。説得に説得を重ねて、弊社の社長とクライアントの社長で話すことになった。詳しい内容は省かせていただくが色々と良い方向へ向けそうな反応だったみたいだ。そもそもクライアントの社長は体外的にはとてもフランクな対応らしい。社内コミュニケーションに色々と問題があるのは社内のデスクの配置から何から最初から感じるものはあった。

余談だがこの会社のECサイト改修がその後決まり、改修期間に1年半、制作費1500万円の大掛かりな工事が起きた。弊社は毎週ミーティングに呼ばれるという形でちょっとしたアドバイスをするポジションだった。お金は貰わなかった。言えなかった。当時はそういった状況でした。

今回もバタバタしてしまったが無事に配信を開始して、順調に目標を超える結果が出てスムーズに予算の拡大もして頂いた。実はこの案件のスタートする直前に違う案件の依頼が来てそちらのほうを先にスタートすることになってしまい、このECサイトの案件は3件目の広告配信だった。

ここからは止まらなかった。4月から開始した社長のテレアポ、メール営業が数ヶ月の時を経て立て続けに仕事の受任となってきた。新たに事務所を借り雇用を行いオフィス用品を揃え直した。出来ることが更に広がり、色々な広告媒体の経験もした。リプレイス案件にも怯まず対応した。

沢山の知らないことが毎回壁になった。1つ1つ解決していった。

いまを生きる

現在、2020年5月。入社して3年と1ヶ月が経過した。まだ3年しか経過していないかもしれないが3年もまた生きられたと自分は感じている。オフィスは更に大きくなりビルのワンフロアになった。内装もバシっとした。まだまだアーロンチェアは揃える勇気は出なかったけど。

この3年の間に、転職前に決心していた色々な精算を少しずつ完了していた。

3年の間にGoogle AdWordsはGoogle広告に変わった。オリンピックは延期になった。バシっとした内装のオフィスには今は誰も行っていない。
社会は変わるし計画なんてただの願望だ。

ギャンブルが嫌いな自分はパチンコ屋へ行くようになった。
ネット広告が嫌いな自分は運用型広告事業を立ち上げた。

過去は変わらないが過去は精算出来るかもしれない。未来は自分だけで作れることでもない。

だから、いまを生きる。

あとがき

ここまで読んでいただいてありがとうございます。大半のかたは既にWEBマーケッター業界に所属する経験者ばかりだと思います。

今回の記事は今後出会う転職に迷いのあるかたや、新たに事業を開始するか悩んでいる人がいたらこんな人いたよって紹介してくれたら本望です。

こんな人にはなるなって反面教師みたいに使うのもアリかもしれません。

今現在noteの投稿した記事は2つでどちらも今回のような日記みたいなものです。
今後はWEB広告についてやビジネス全般について、また検証したい測定のための試験的なnoteも発信したいと思います。

Twitterもやっておりますので、ぜひぜひ浅井( https://twitter.com/kska31 )をフォローしてやってください。

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