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ゆるふわじゃない共創 -コ・デザイン

ヘルシンキに越してから4ヶ月が経ち、修士課程の1/5が過ぎました。今期はDesign for Social Changeという科目がほぼ1週間が埋め尽くしており、冬前の貴重な太陽光を惜しむまもなく冬に突入しました。

Design for Social Changeという科目は僕の所属するCoID; Collaborative and Industrial Designという修士コースの必修科目です。当初は少々キラキラがすぎるこの科目名を、やや冷たい目で見ていましたが、蓋を開けると、非常に愚直な議論を取り扱った科目であり、この点はまさに「🇫🇮アールト大に求めていたもの!」と感じた次第です。

またこの科目は、ヘルシンキのランドマークでもある中央図書館のOodi(オーディ)のデザイン戦略・サービスデザインを担当したSampsa Hyysalo(サンプサ・ヒュウサロ)氏が50%の講義を担当しています。

そこで今回はその科目の中で取り上げられていた、その図書館がオープンするまでにヒュウサロ氏らが行った市民・ユーザーとの「共創; コ・デザイン」を軽く紹介しつつ、日本の行政組織や大企業における参加型デザインについて考えてみます。

ヘルシンキ中央図書館 Oodi

Oodi (オーディ)とはヘルシンキ中央駅の斜め横(?)、そして国会議事堂を正面に眺められるあたりにある非常にアイコニックな公立図書館です。この図書館はフィンランド独立100周年の記念事業として、政府出資30%・ヘルシンキ市出資70%で2018年12月にオープンしました。またこの施設は「世界一の図書館"」「未来の図書館」などとも称され、いわゆるバズった(ている)図書館でもあります。

その中身は、もはや観光名所ということもあり検索をすれば様々な情報が見つけられると思いますが、旧来の書籍の所蔵・貸し出しだけでなく、市民の憩い、クリエーション、学びといったスペースとして設計・利用がされています。(また僕はいまこの記事をそのオーディで書いています)

現在のオーディが建つ敷地は、中央駅の斜め横・国会議事堂の前という区画立地ながらかつては「ダウンタウンの死角」と呼ばれていました。荒廃した空き地を経た後は、フィンランド国鉄VRの貨物基地・倉庫として活用され、2006年に焼失。そんなこともあり、この敷地はかねてより開発の対象としての眼差しを受けていたようです。

オーディの前には”倉庫公園”を意味するMakasiini-puistoがひろがっている
(出典: https://www.kuvio.com/projektit/helsingin-keskustakirjasto-oodi-1)

そしてこの区画における図書館計画は、1989年当時の文化大臣だったクラエス・アンダーソン(Claes Andersson)の起案からスタートします。その後は政治情勢の変化もありながら、長い時間をかけ検討と議論が進み、2012年に骨子が策定。翌年13年に建築設計者を募るコンペが開催されました。

それに並行するように、2014年からはヒュウサロ氏を含むアールト大学等のデザイン研究者らが、この次世代図書館の体験設計におけるデザイン戦略(市民共創やサービスデザイン)の策定に携わり、それらを踏まえた基本計画が2015年に議会承認を得ます。

なお実際のHyysalo氏らによる論文は以下のとおり。
The Work of Democratized Design in Setting-up a Hosted Citizen-Designer Community (S. Hyysalo, V. Hyysalo, & L. Hakkarainen,  2019)
The Mundane and Strategic Work in Collaborative Design.(V. Hyysalo & S. Hyysalo, 2018)
※厳密にそのOodiの体験設計プロセスを知りたい方は参照ください。

Oodiの共創デザインプロセス

以下は関連論文および、授業で得られた情報をベースに、2014~2016年の間にOodiのデザインに関与したデザインリサーチャーが要請されたタスクを再整理したものです。

  1. サービスデザイン
    革新的な図書館コンセプトおよびサービス内容の策定
    図書館職員への利用者中心アプローチの浸透

  2. スペースデザイン(プロダクトデザイン)
    ハード設計におけるハイレベルな仕様の決定(レイアウトやファブ機材選定など)

  3. マーケティング
    公立図書館を取り巻くコミュニティの醸成・強化

そしてこれらのタスクは1億ユーロ(日本円にして150億ほど?)の公金予算プロジェクトという都合上、当然ながら複数のベンダー間合意のみならず「多様な市民の意思」を汲み取りながらデザインすること(コ・デザイン)が求められていました。

またヒュウサロ氏の話を聞くと、デザイナー側では市から与えられた予算・タイムライン内での「実装」を強いプレッシャーとして感じていたそうで、その意味でこのプロジェクトは“市民共創”と耳障りはいいものの、「つくるか死ぬか - Make or die」タイプのものだったと回顧しています。

そんな中で、ヒュウサロ氏らは以下のようなコ・デザイン アクティビティを実行をしています。

こうしたデザインプロセスからもわかるように、オーディのデザインでは「革新的な図書館を、民主的に」というお題を、程よい具合に要素分解し、それぞれを達成するための営みを、適切なチャネルや継続期間を見定めつつ、同時並行で走らせています。

The Work of Democratized Design in Setting-up a Hosted Citizen-Designer Community (S. Hyysalo, V. Hyysalo, & L. Hakkarainen,  2019)および講義内容をベースに作成

ちなみにここで描かれている「参加(共創)レベル」は、International Association of ParticipationのIAP2 Spectrum for Public Participationを参照しているとのことです。

参加ポートフォリオ (Participation Portfolio)

こうした複層的なコ・デザイン戦略をヒュウサロ氏は、“Participation Portfolio”というワードを使いながら解説をしていました。ここでいうポートフォリオとは、いわゆる経営や金融で用いられる「組合せ」の意味です。この背後には、社会・技術・経済・文化的なアジェンダにおいては、1種類のコ・デザインの営みは、仮に複数回繰り返したとしても、その成果は極めて限定的だという態度があります。

なぜならば共創に参加する非デザイナー(市民など)には以下のような現実的な違いが存在するためです。

  • 差し向けられる労力の違い(どれだけの時間・認知リソースを割けるか)
    ; Light & Quick  - Deep & Influential

  • スキル・ケイパビリティの違い(どれだけの貢献が見込めるか)
    ; Autonomous & Modest Supports - Less Demanding & Proper Supports

  • チャネルの違い(どのような状況での参加を望むか)
    ; Face to Face - Digital - Closed Events - Open Events - etc.

投票しない・できない有権者

悲観的な話にも聞こえますが、現実としてこのオーディのような非常に大きなスケールでのアジェンダでは「みんながみんな能動的にデザインに参与する(できる)わけではない」という態度を前提に、その巻き込み戦略(とそれに紐づく戦術)、すなわち適切なポートフォリオを考える必要があるということです。この点は個人的に非常に腑に落ちる話でした。例えて言うと、選挙で投票しない・できない有権者にもまた言い分があり、それをどう汲み取るかということかもしれません。

無論「デザイナー?クリエーター?ならば、誰もが参加したくなる共創の場をつくれ!」と言われればそれまでですが、その方向を目指す弊害は端的に「時間がかかりすぎる」こと、そしてそうした営みは、計画よりも偶発が重宝されるため、結果的に「大規模な公金を動かすにあたって十分に民主的だたかを判断できなくなる」ことが挙げられます。

その意味で、適切なParticipation Portfolioを策定し、管理していくことは「厳しい時間的な制約の中でのデザイン実装」を担保していくだけでなく、「展開した(民主的な)デザインプロセスに対する批判的視座をもたらすこと」にも役立つわけということです。

この話は、あくまで僕が受講したDesign for Social Changeという科目での中核議論の一部でしかないものの、何よりもそのキラキラネーム科目に対して非常にリアリティのある言説が繰り広げられていたことが、個人的には非常に“フィンランド的”に映ったのでした。

その共創には政治的な図りは備わっているのか?

昨今、共創というワードは様々なところで目にします。「市民共創型」「顧客との共創」「共創デザイン学科」など。またそれらはなぜか「イノベーション; 変革」や「トランスフォメーション; 移行」とセットにされることが多かったり、なにかこう「あたたかくて、和やかな、ゆるふわな雰囲気」がやたら押し出されていたりする印象を持っています。

Tackling real, ongoing design issues helps the host to avoid the common ‘ticking the participation box’ and ‘hoping they come and then magic happens’ orientations and gives citizens a strong sense of actually making a difference with their participation.
ー現実的なデザイン課題へ取り組むことは計画者(デザイナー)によくある「共創というチェックマークを塗りつぶす」「参加者が起こす魔法に期待する」という次元を超え、着実に市民に対して”何かを変えている”という実感を与えることにつながるのです。(筆者意訳)

The Work of Democratized Design in Setting-up a Hosted Citizen-Designer Community
(S. Hyysalo, V. Hyysalo, & L. Hakkarainen,  2019)より

ただオーディのデザインケースを取り扱ったこの論文のとおり、この科目を経て僕は「“社会・技術・経済・文化的な変革・移行”を目指すための共創(コ・デザイン)は、もっと政治的なシリアスさを持って実践されるべき営み」なのだと思わされました。

かくゆう自身も、過去の実務においては、プロジェクト提案書に特段の訳もなく書かれた1回(良くても数回)のワークショップを、それっぽい人選、それっぽいコンテンツで行ったことがあります。ただ現実として、そうした「ゆるふわな」共創は、その場限りの心地の良い想像(?)にはつながったものの、実装に漕ぎ着くまでに息を失ったケースが大半だったような気もします。

(やや脱線しますが)よくある話として、大きなシステムのトランジションのためのコ・デザインには、オーディのようなトップダウンではなく、よりローカルなスケールから社会的なうねりをつくっていくアプローチもあります。こうしたボトムアップな共創のケースでは、寛容な時間制約(なんなら永続的な時間軸)、かつ偶発的な拡大連鎖を狙うという特性、ある種の「ゆるふわさ」が大切なこともあるかもしれません。

とはいえオーディの事例が示すように、行政や大企業といった特に「組織性」もしくは「レジティマシー」の高い主体におけるデザインでは、民主的なデザインプロセスによって十分な世論を得つつ、厳しい時間制約内で確実に約束した成果を生み出すことが求められるため、その共創(コ・デザイン)はヒュウサロ氏が示唆するように”全然ゆるふわではない”様相を示すのではないかと思います。

加えてオーディのデザインに携わった彼が実感したように、仮にお題が極めて身近で社会的なものであったとしても「みんながみんなそのデザイン活動にたいして能動的に参与するわけではない」という現実的な課題感もまた、市民(ユーザー)共創とは”ゆるふわ”では乗り切れない事柄であることを示しています。

そうした意味でこのオーディの事例は、十分に深い政治的な図りを備えた”ゆるふわじゃない”共創(コ・デザイン)のケースとして、日本の行政や大企業での共創活動に関心のある私にとっては非常に示唆深いものでした。

Oodiで過ごす人たち

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