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ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 5

グッドラック、オークランド芸人 


新年を迎え1週間が経った頃、タカプナマーケットへの3度目のトライアルをイマイチな戦績で終え、クィーンズストリートをとぼとぼ歩いていると、サンタ像が解体され運搬されるところに出くわした。

クリスマスが終わっても、年末のカウントダウンが終わっても、そこに立ち続けたサンタ。その悲痛な姿に、誰か奴に休みをやってくれ、あんまりだ、という私の心の叫びが通じたのか。

オセアニアではサンタに労働基準法が適用されているのかは知らないが、今はどうか安らかに休んで欲しい。オークランドのどこかの倉庫で。お前のことは忘れない。生きていればまたどこかで会うだろう。

オークランドバスキングもボクシングデイがピークであったと思う。それは稼ぎの問題と言うよりは私のやる気の問題であった。

やはりメルボルンで一通りのことを経験してしまっているので、ある程度の期間同じところでバスキングしていると経験的にそれ以上新しいことが起きないと分かってしまい飽きてしまうのだ。

それに加え、バスカー仲間のKJ soundが活動休止し、ロカはすでに南へ旅立ってしまった。タツさんに至ってはただの一般人に成ってしまい、浮遊霊のようにクィーンズストリート周辺をさまよっているのに良く出くわすようになってしまった。ちゃんと成仏して欲しいものだ。

同志がいたからこそモチベーションが保ってきたこともある。もはや消化試合、いや敗戦処理、いや甲子園球場で試合後にグラウンドを整備する係員のような気持ちでバスキングを続けていた。

年末のカウントダウンではシティに人がものすごく増えるのはメルボルンと同じだ。メルボルン時代のバスカー仲間であるチャパ君からの情報と自身のメルボルンでの経験を突き合わせると、大体同じで、夜は人通りがものすごく多く、夜の10時から11時前に人の反応が最も良い。

しかし、11時頃から人々はカウントダウンの花火を見るための位置取りに忙しくなるので、誰も反応しなくなる。そして、カウントダウン終了後に、酔っぱらいが増えてバスキングしやすくなる。

夜10時頃からハーバーで1時間ほど演奏していて、やはり情報通り、読み通りだと思っていたら、突然ギターに取り付けている二つのピックアップのうち片方が壊れてしまった。幸いピックアップは二発着いているので片方壊れても音は出せる。

ただ、翌日の元日は前週空振りに終わったタカプナマーケットリベンジを控えてもいたので、もうお開きにしようかと思い、機材を片付けにかかった。

ちょうどクィーンズストリートへと向かって、歩き始めた時にカウントダウンが始まった。

クィーンズストリートに入った途端に人通りがめっきり減った。皆スカイタワーで打ち上がる花火がよく見えるところへ集まっているのであろう。

ふと向かいのベンチを見やると、クリスマスシーズンを共に戦ったあの物乞いの姿が。

周囲には人が皆無なのに相も変わらず、年越しの花火が打ち上がる音が続く中、コインの入ったコップを振り続けている。その背中は人通りのなさに憤りを隠せないようにも見えた。

恐らくカウントダウン終了後、駅へ向かう人々を狙ってのことだろうが、アイドリングのタイミングが早過ぎじゃないだろうか。御武運を祈ってるぜ。

クィーンズストリートをさらに進んでいくと、人がちらほらと増え、サンタ像付近では人が溢れ返り、完全にホコ天状態になっていた。

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おのれ、田舎のくせに、と端から見たら理不尽な悪態をつきながらも人込みをかき分けて進んでいく。ワンブロック進むのにも一苦労だ。

そう言えば、年末と元日の二日間だけ長らく住んでいたバックパッカーの予約が取れなかったが、多分オークランド近郊から人が集結しているのだろう。おかげで中心部から少し離れたところの宿しか取れなかった。

新年を祝うようにクラクションを鳴らし続ける車、別のところでは誰かが大音量で音楽を鳴らしている。そんな喧噪から何とか離脱し、やっとの思いで宿にたどり着き就寝した。

翌早朝タカプナマーケットへ向かうバスに乗るためシティ中心部に出るが、6時間前には身動き取れないほど人が居たのが嘘のように閑散としている。

やはり定刻から少し遅れたバスに乗ってマーケットへ到着する。前回誰もいなかった駐車場にテントがいくつも張られていた。

それほど大きくないマーケットではあるが、とりあえず歩き回ってみてバスキングスポットを探した。

時間が早過ぎるのか他のバスカーも見当たらないので、腹ごしらえにバナナを購入した。食べてみると信じられないくらい甘みがあって、とても美味しい。ベトナム料理の屋台も出ていてフォーを食べたが、これまた美味しい。

食事を満足に終えて、ここだというスポットにセットアップしようか迷っていると、人があまりにも少ないのに気づいた。

近くの野菜売りのおばちゃんに聞いてみると、新年のマーケットは訪れる人は少なく仕事は忙しくないとのことで、バスキングに関しては「No one busk」だそうだ。

何だ、またやってしまったのか。

次のマーケットは大丈夫だよと教えてくれて、バナナとフォーが美味しかったからそれで良しとするかと思い、バスに乗ってシティへ戻った。

それから二、三日は天気が悪くバスキングどころではなかったが、その間に近くの楽器店、Rock shopにギターの修理を頼みにいった。

こちらの拙い英語にも関わらず、とても親切な店員さんで「とりあえず一、二時間後に来てくれ。もし俺が見て無理そうだったらすぐ近くに店構えている凄腕リペアマンを紹介するぜ」と至れり尽くせりだ。

マニュアルには表記しきれない親切な対応ぶりに田舎の素晴らしさを実感せずにはいられなかったが、よく考えると田舎はあんまり関係ないか。

ギターを預けて3時間後ぐらいに電話があったので店に戻ると、こちらの心配とは裏腹にピックアップは完全に直っていた。しかも、修理費は10ドル。

それから仕事始め、及びピックアップの調子を見るためにバスキングへ出る。

年明けはやはり人通りが年末と比べ半減していて、演奏に対するリアクションは悪くないが、如何せん数が少ないので稼ぎは減る。

メルボルンでも年明けは酷かったので、大方予想通りだ。これからはしばらくは悪くなる一方だろう。

そう言えば、バスキング中に声をかけられてクィーンズストリート近辺のMezze barにて演奏の仕事をもらったので、ピックアップ修理後の晩に演奏しに行った。

二時間で40ドルという破格の安さで引き受けてしまった仕事だが、バスキングとは異なる緊張感の中で演奏出来たので良いリフレッシュになった。

その演奏をこれまたバスキング中に知り合った地元のソロギタリストのケントが見に来てくれたのだが、以前私がオークランドを去った後、ロトルアで湖を眺めながら太鼓を叩きたいという話を聞いて、自分のジャンベをくれた。

それもかなり本格的なやつだ。良いやつで、ギター上手くて、男前って、色々不公平じゃあないかと思いつつ、感謝の念に堪えない。

私がニュージーランドを去る頃には私の機材はほぼ全て彼に無償で提供するつもりだ。三度目のタカプナマーケットは行きのバスで良く街中で見かけるバスカーが二人も同乗したのでひとまず安心した。

彼らはバスが止まるや否や、颯爽とバスを降り、マーケット内へ乗り込んでいく。彼らが真っ先にセットアップした場所は先週私がここが一番良いスポットだと目星を付けた場所で、自分の読みが正しかったことが嬉しくて、それだけでもう満足であった。

マーケットをぐるりと歩き回って、ここだろうと場所を見つけバスキングすること二時間半。良くもなく悪くもない結果で、これ以上続けても無駄であろうと判断しバスキングを終了した。

バッパーに戻り、バッテリーの充電をして吉沢で食事をとり、少し仮眠をとった後、完全に敗戦処理的なバスキングをTopShop前で開始しようとしたとき、日本に六年住んでいたこともある日本語堪能なダニエルさんが目の前に立っていた。人の良さそうな日本人女性と一緒だった。

「やぁ、もうそろそろオークランド発つの?」

二日後にはロトルアへ向かうことを告げると、

「へぇ〜、いいじゃない」とダニエルさん。

少しばかり演奏を聴いてくれ、拍手の後にドネーションをギターケースに入れてくれて、去っていってしまった。

そう言えば、バグパイプ吹きのおっちゃんは自転車で良く街中走り回っているが、いつも会うたびに少年のような純真無垢な笑みで挨拶してくれる。

去ることを伝えれなかったのが残念だ。

オークランドに移動する二日前にメルボルンで会ったアンドレは私の楽曲をとても気に入ってくれて、オークランドでも何回か出会い、その曲をリクエストしてくれた。

しかし、私の手が不調でそのリクエストに毎回答えることが出来ず、とても申し訳なかった。

年明けには何とか調子を取り戻して彼がリクエストしてくれるのを待っていたがついぞそれは実現しなかった。

人がとても気さくで、すぐに顔見知りになってしまう。狭くてコンパクトな街だから仲良くなった人が回遊魚のように歩き回っているのに良く出くわして、自然と挨拶を交わす関係になってしまう。そんなオークランドはやっぱり、田舎だ。

続く

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