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ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 9

クイーンズタウン芸人の憂鬱〜前編


雨の日のクイーンズタウン。

この小奇麗で小さなリゾート町は、急峻な山々に覆われたニュージーランド南島の内陸部で、広大な湖のほとりに位置している。

街の中心部から徒歩五分ほどのところ、湖沿いを走る道路を湖と挟む形で居を構えるバックパッカーの食事スペースで、私はコーヒーを片手にこれからの進退について頭を悩ましていた。

思えば、ピクトンを名残惜しくも去り、八時間に渡るバス移動の末たどり着いたクライストチャーチは、知り合いのバスカー達が軒並み口を揃えて「どこにもスポットがない街」というバスキング不毛の地との評価であった。なので、元々次の街への中継地点ぐらいにしか考えていなかった。

それでも、何かしらの形で演奏出来れば良いかと思い、スケジュール上たまたまタイミングの合ったサタデーマーケットにメッセージを送ったのだが、返信が来たのは結局私がクイーンズタウンに到着してからであった。

丸々一日分時間のある土曜日の予定がなくなってしまった。

しかも、雨だ。

滞在していたバックパッカーは長距離バスの停留所から徒歩40分ほどのところで、この街が南島最大の人口を誇ることを示している、どこまでも続いているんじゃないかと思われる住宅地群の真っ只中に位置していた。

とても街の中心部に行く気なんて起こらない。ベッドで何気に、これを持ってると旅先でも「日本人ですよね?」と声を掛けられ、会話が自然発生するという旅行者の出会い系マストアイテム「地球の歩き方」をぱらぱらと開いてみる。

クライストチャーチの項には色々と観光スポットとされるオブジェなり、建造物なりの説明が書いてあった。街のどこかにあるらしい「追憶の橋」なんて、さぞ物悲しい歴史が背景にあるんだろうが、私には漫画「あしたのジョー」に出てくる泪橋が思い起こされてならない。

夢破れ人生を諦めた人々が涙を流しながらドヤ街へ渡っていくこの橋を、ジョーと丹下段平は自分達は逆方向に渡って栄光をこの手に掴もうと誓い合うのだが、その先のジョーの顛末を知っていると哀しみもひとしおである。

そんなことを考えている時間こそが不毛かもしれないと思い、隣接するレストランでコーヒーを片手に文章を書き上げた。

クライストチャーチを発つ日の朝、小雨が降っていた。さすがにバスターミナルまで40分もかけて徒歩で大荷物を運んでいく気にはならなかったので、タクシーを呼んでもらった。

南島の東海岸にあるクライストチャーチからさらに、海岸沿いに南下したところに次の目的地ダニーデンはある。

到着したバスのドライバーが座席下のハッチを開けて、行き先を叫んでいる。

「ダニーデン行きはこっちだ」と荷物を収納するスペースを指示してくれたので、荷物を運びつつ色々街を経由するのかと聞いていると「ターニャ」と聞こえて来た。

そんな人名のついた街があるのかと、まだ寝ぼけた頭でよくよく考えてみる。

思い当たったのが「テアナウ」という街だ。ニュージーランド人の英語の発音はイギリス式と言われているが、特に母音を発音する時の投げやり感はあたかも聞き取らせてたまるかと言わんばかりで、非常に聞き取りづらい。

世界で最も認知度が高い英単語にして、非英語圏でも定着してしまっている「OK」すらも目の前で披露されると、「アオカイ」なんて聞こえてしまうから、すこしばかり緊張して背筋がピンとしてしまうほどだ。そりゃ聞き取れないことが多いわけだ。

荷物を積み込み終わり、ギターとリュックサックを持って車内に乗り込もうとした際、添乗員の女性が「ちょっと待って」と制止した。

そして、ドライバーに「ギターは積み込めるのかしら?」と聞く。

「いや、今日は50人乗るんだ。そんなスペースはない」とドライバー。

結局、ギターは収納スペースに積み込まれてしまった。

長距離バスでギターを預けて、到着後ギターケースを開けてみると、ネックが折れていたなんて話を聞いたことがある。そんな心配もあったが仕方あるまい。ドライバーの方にギターを託し、バスに乗り込んだ。

五時間ほどで到着したダニーデンは雨だった。

重いから荷物は自分でおろせとドライバーに言われた私は、他の降りた乗客の荷物が全部おろされるまで雨の中待たされ、ようやく自分の荷物をおろせたころには、他の人たちはもう既にどこかへと歩き去っていた。

地球の歩き方で見てみると、今いるところは街の中心部とは線路を挟んで反対側らしく、すこしばかり歩く必要がある。そして、雨だ。

外国ではいつも持ち歩いている、私が釣具店で見つけたリバリーというメーカーのウィンドブレーカー兼レインコートが頼もしい。

雨の中をとぼとぼと歩いていくと線路を横断出来る道として地図に記してあったのが、まさかの陸橋であった。なんと無慈悲な。

迂回するにも距離があるし、悩んでいる暇が惜しいと思い、小分けにした荷物を、階段を上っては下り運んでいった。少しばかりの距離しかない陸橋を進み、また荷物を小分けにして、階段の昇降を繰り返した。

そして、引き続き雨の中を突き進んでいく。少し進んで振り返って見た駅舎は、なんともはや立派でおしゃれなヨーロッパ建築の建物で、地球の歩き方によればスコティッシュ建築だそうだが、なるほど街のシンボルと謳っていても説得力がある存在感だ。さらに街の中心部へ進むと、そこにはオクタゴンと呼ばれるその名の通りの八角形型の区画があり、内側には道路が円を描くようにぐるりと走っていてその周囲には飲食店や売店だけでなく、教会やタウンホールが並んでいる。

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その道路の内側はベンチのあるの半円形の広場が二つと街中を南北に走るジョージストリートが貫通していて、そこにバス停が並んでいる。道路沿いの歩道を歩いていき、タウンホールの側を抜け、オクタゴンの外周を走る道路に面している四泊宿泊予定のバッパーに到着した。

「オントップバックパッカー」と言う名のバッパーの受付はビリヤード場の中にあった。併設して両方経営しているんであろう、儲けていますなぁ、などと思いつつ、チェックインを済ませ、受付のスタッフに言われた通りに一度建物を出て、左手の扉に向かった。

そして渡されたカードキーでドアを開けた先には、またしても階段が。そんなご無体な。

こんな形でこのバッパーの名前の由来を思い知ることになることになるとは。

総重量がおそらく50kgは超えているであろう荷物をまた小分けにして運んでいく。やっぱり形の格好良さだけでスピーカー選んだのが不味かったか。

およそ90枚ほどのCDも負荷になっているはずだ。やはりクリアケースではなく次回からは紙ジャケにしようと固く心に誓いつつ、部屋に向かった。

翌日にはオクタゴンのタウンホール隣の建物内にある市議会、と言っても旅行代理店のようなたたずまいの一室を訪れ、バスキングライセンスを申請した。

五分とかからずに取得出来たライセンスを片手に、市内を散策してみる。

ダニーデンはこれまで訪れたニュージーランド内の街の中で最もヨーロッパ色の強い街かもしれない、と思わずにはいられない町並みだった。

少し歩けば、明治維新の頃に設立された歴史あるオタゴ大学があるらしく、その建物もスコティッシュ建築でそれは荘厳な見栄えだそうだ。

しかし、いないんだ、人があまりにも。

街の雰囲気は個人的にはとても好きだが、これはまた外してしまったか。やはり、やる気を失ってしまった私が滞在中にしていたことは文章を書き続けたことくらいで、他の戦果と言えば、中国人に米の炊き方を褒められたことぐらいだ。

もうクイーンズタウンに託すしかないか。先に乗り込んでいるタツさんが「とても雰囲気がいいですよ」と連絡をくれていたので、そこに賭けるしかない。

続く。

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