メルボルン・バスキング・デイ vol.6

バスキング飯 !!〜後編

 学生時代、京都での10年間にも渡る一人暮らし生活に関わらず、私には料理のレパートリーがほとんどない。下宿生活を始めた時には炊飯器の使い方が分からず当時高校生の弟に教えを乞うたぐらい料理音痴だった。料理が下手というのはまだ自ら取り組んでいこうとする姿勢がある分マシかもしれない。私には美味しい料理を作ろうとか、色々な料理にチャレンジしようとか、料理に対する積極性が大きく欠落しているのである。

 魚釣りに興味ない人が湖や海を見て、魚釣りしたら楽しいだろうなんて発想には決して至らないのと同じことであろう。釣り好きの人間は道路に並走している小川の曲がり具合を車窓から眺めて「あそこにはどんな魚が潜んでいるのであろうか」と軽い興奮のなか、戦略を無意識のうちに練ってしまうものだ。

 しかし、私が住んでいた京都の一乗寺付近は有名なラーメン店が多いこともあいまって、自炊して自分の料理の腕を磨くなんて気は全く起こらなかった。研究室が忙しくなってからは大学近くの定食屋に一週間に10回は通い詰めていた。いつも日替わり定食を頼み、店の本棚に陳列していた「ガラスの仮面」を嬉々として読んでいる姿を見た定食屋のおばちゃんに「あなたにはまず公務員は無理よね〜」と将来を心配されていた日々が懐かしい。(注1)

 そんな人間が異国の地に暮らして料理に励んだところで、そもそもの土台がないのだから料理の技術が劇的に進歩するなんてことはなかった。せいぜい出来損ないのミートパスタや、渾身の鍋調理の米と肉と野菜の盛り合わせや、インスタントラーメン「今麦郎」に鶏肉とにんにくと何らかの葉っぱの詰め合わせを投入した「今麦郎スペシャル」ぐらいのレパートリーで、とても短いサイクルで繰り返される品性の欠片もない日々の食事にどうしても飽きてしまう。

 勿論、新しいオリジナルレパートリーに挑戦しないわけではない。醤油とみりんとしょうがで味つけすれば、何でも和食テイストになるんじゃないかという安易な思いつきで、マーケットで売られている馬鹿でかい茄子と牛肉ミンチをベースにして、これまたでかいパプリカやセロリを投入して、さらに味にパンチが欲しいとフラット(シェアハウス)の前の住人が残していったコチュジャンを加えた料理を試みた。

 しかし、これは何と言う料理なのかと気になってFacebookに投稿したところ、「麻婆茄子では?」との回答があった。麻婆茄子なのか?パプリカやセロリもその存在感を十二分にアピール出来るくらいには入っているのだが。

 ある時、この得体の知れない料理を調理中に同居人のヒデ君が通りかかったので尋ねてみると「麻婆茄子ですね」と言う。麻婆茄子なんだろう。食べれないことはないし、原材料だけ見たらそこそこ健康に良さそうではあるが、それぞれの食材が呉越同舟していると言おうか、お互いの持ち味をきっちりつぶしあっているこの奇跡の料理を、しばらくして作ることがなくなってしまったのは仕方がないことなのかもしれない。

 自炊には限界がある。これはどうしたものかと考えあぐねていると、当時知り合って間もなかったバスカー仲間のチャパ君がご飯に誘ってくれた。連れて行ってくれたのはバスで20分ほどのメルボルン郊外はアボッツフォードで教会の敷地内に居を構えていた「Lentil as anything」というレストランであった。

 レストランと言っても普通のレストランではない。何と無料なのである。いや、正確にはドネーション(寄付金)で運営されていて、食事をしたお客さんが自分で値段を決めて寄付をするスタイルだ。ドネーションで成り立っていようとも料理のレベルが決して低いなんてことはない。全て肉類、魚介類を含まないビーガン(菜食主義者)向けの料理であり、インド料理風のスパイスで調理された麺類や米、スープがビュッフェスタイルで提供されており、デザートまで用意されていて、どれもとても美味しいのだ。そして食べたい分だけ皿に盛れる。さらにそれらに加えて驚きなのが、カフェ文化の盛んなメルボルンだからこそとも言うべきか、コーヒーやラテ、カプチーノと飲料メニューがやたらと豊富でレベルがとても高い。

 元々メルボルンは街中をふらっと歩けばこじゃれたカフェがそこら中にあるカフェ激戦区であり、バリスタの専門学校もあって世界中から学生が集まってくるほどだ。元々のカフェ分野のレベルが総じて高く、それにボランティアで働いているスタッフもバリスタの学校からの研修生だと言う話もある。寄付で運営されているレストランと言えどあなどるなかれだ。

 当時はお金があまりなかったので何度かこの店に通ったものだったが、寄付制なのを良いことに私は毎回50セント硬貨しか寄付箱に入れていなかった。結局バス代がかさばるとの結論にいたり、すぐに通わなくなってしまったが。後日バスキングが軌道に乗ってからは贖罪のつもりで自分から志願して演奏の仕事を引き受けたことを追記しておく。

 次に通い始めたのはメルボルンCBDエリア内にある「サルベーションアーミー」であった。これも寄付によって賄われている食事処なのだが、比較的ローカルの人も多かったLentil as anythingの客層とは異なりホームレスやルンペンのような人や、自国との物価の差に苦しんでいると思しき南米系の留学生が多かった。

 ここのメニューは日替わりで、やはりデザートもついて来て、言うまでもなく飲料メニューが充実しているのである。チャパ君と通い始めた時にちょうどCBDエリア内でのトラム運賃の無料化が実施されたので、いつもの待ち合わせ場所であるロンズデールストリートとスワンストンストリートの交差点からバークストリートまで歩き、そこのトラムストップから二駅のところにある店に通っていた。料理は劇的に美味しいと言うわけではないが、一般的なレストランには良くある、時には辟易してしまいがちなクセの強い味ではないし、何と言っても原産の肉や野菜が異常なほど美味しいオーストラリアである。頻繁に通っても飽きないし、おかげさまで毎日の食事にうんざりすることもなく、なおかつ食費がより少なく済んだので財政的に大助かりであった。

 年が明けて、一月から私がメルボルンを去る四月上旬まで開店している平日昼に毎日、皆勤賞をもらえるんじゃないかと思うほど通い詰めた。しかし、足を運んでいる客層は普通の飲食店とは大きく異なるので、店内にちょっとした緊張感が漂っていたのも事実である。日本人学生がちょっと目を離した隙にiPhoneを盗まれたなんて話も聞くぐらいだ。かなり治安の良い街として知られているメルボルンでも店内は少しばかり様子が違うのである。

 ある日、私とチャパ君がサルベーションアーミーに定刻通りに出勤し、まだ誰も座っていなかった六人がけのテーブルに腰を下ろした。いつも通りにチャパ君が率先して二人分の注文を、本人はオーストラリア訛りだと言い張ったが、その場にいたネイティブに即刻否定されたという曰く付きの独特の訛りで済ませた。

 ここでもスタッフはボランティアで、バリスタ学校からの研修生らしく、毎日メンバーが異なる。そのため我々常連客の方が注文のプロセスを良く理解していることも多い。その時に応対してくれたスタッフは初めてなのか、チャパ君の注文を聞いた際、他の客の注文との混同を避けるために注文した人の名前を聞くということを忘れて厨房に去ってしまった。

 料理が運ばれて来てから、自分のだと申告すれば良いかとその時は思っていたのだが、そうこうしているうちにテーブルの残りの席が埋まっていった。端に座っている私の横にチャパ君、その隣に白髭のじいさん。私の向かいに小汚い格好の、恐らくはカップルなのであろう若い男女が座り、私から見て対角線上のはす向かい、白髭じいさんの向かいに色々荷物を抱えた肌が浅黒く、髪の毛がチリチリのおばさんが座った。

 始めに二人分の料理が来て、向かいのカップルが手を挙げてスタッフに合図した。しかし、スタッフが名前を聞かなかったことを思い出したので、私が「それはちゃんと注文したのか」と男性に確認のつもりで尋ねると「別の席で注文したよ」と答えた。少ししてから、また二人分の料理が運ばれて来て、次は白髭のじいさんに手渡されようとしていた。じいさんは目の前に並べられようとしている皿に「やれやれ待ちわびた食事の時間だぜ」と両手をこすりあわせていた。しかし、そこでチャパ君が「あんた注文したのか?」と聞くと、ごにょごにょ言い出した。さらにチャパ君が追求すると、じいさんは突如として「お〜け〜」と言い放ちながら、両手両足を投げ出して天を仰ぐ、投げやりのポーズをとった。

 じいさんは注文もしていないのに我々の料理を奪おうとしたわけだ。食事を始めた我々の隣でじいさんはずっとごにょごにょ「オージーファースト(オーストラリア人が優先されるべき)」などと言って、それにチャパ君が「あんたレイシストか」と応酬している。

 ほどなくしてチャパ君が「ほんとむかつくよね」と言ってじいさんを無視することにして食事を開始した。元々訪れる客の喧噪が騒がしい店なので周囲を気にせず食事に専念していたのだが、サラダをほおばりながら何気にふと顔を上げると、私とチャパ君を除いた同席の人間同士で何故か口論が勃発していた。じいさんとカップルがタッグを組んでおばさんと対峙しているようで、議題は恐らく我々のことであろう。

 小汚い格好の男性がこちらをちらりと見て「such people」とか言っていたし、おばさんがしきりにこちらに向かって「あなたたちは悪くないのよ」とかなだめてくる。勝手に口論が激化していたが、こちらとしてはもうどうでも良かったのでデザートに手をつけて、黙々と食事を続けた。そのうちじいさんが「やってられない」と別の席に移動していった。

 諸悪の根源が去った今、この不毛な口論も終結するであろうと安心しかけたのも束の間、元々関係なかったカップルとおばさんの喧嘩が益々ヒートアップしていった。私たちがコーヒーを飲んでいる最中、おばさんが木製のテーブルにフォークを突き立ててカップルを威嚇し、それに対抗してカップルはサラダのキュウリをおばさんに投げつける始末。そうこうしているうちに怒り心頭のカップルが立ち去り、テーブルには我々とおばさんが残った。

 食事を終えた我々が帰ろうとしたところにスタッフが駆け寄って来て、「不愉快な思いをさせて本当にすまないね」と何故かトラブルを謝罪してくれた。「そんなことないよ。気にしないで」と答えていた我々の横で、おばさんはテーブルの上に残されたいくつかの皿から自前の袋にサラダを黙々と移していた。

 メルボルンを二回目に訪れたときは、サルベーションアーミーも客層が変わってしまい、南米系の学生だけではなく、日本人や韓国人も随分増えた。その代わり、ホームレスやルンペンの人たちが少なくなってしまい、あのどこかピリピリとした雰囲気がなくなってしまったのは少し残念だ。

続く

(注1) 残念ながら、このお店はご主人の体力の限界により閉店してしまった。久しぶりに挨拶しに行き、当時のように漫画を読んで、定食を堪能したわけだが、帰り道に不覚にも落涙してしまった。青春の思い出だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?