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ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 13

最終話

クィーンズタウンを去る日の朝は小雨がしとしと降っていた。

長距離バスのドライバーの指示に従い、CDがある程度は捌けた分、幾分かは軽くなったに違いない自分の荷物を積み込む。いつものような緊張感はもはやない。

これまでは長距離バスに乗り込むときは毎度のごとく、私の機材バッグが乗客に許された荷物の重量の上限値を明らかに大幅に上回るので、毎度のように「これは特例だ」と渋々許してもらっていたわけで、私はその度に「こんなに重量を超過してしまったのは私の勘違いでした。いやー、なんでこんな間違いしてしまったのか自分でもわからないんですよね。ホントに」という風に、おそらくはバレバレの小芝居を披露していた。

しかし、もはや三文芝居を打つ気力もないのは、私の荷物がCDが多少なりとも売れた分軽くなったからではない。

前日の晩に荷造りをしている際に、無料だけど代わりにチップを要求するという姑息な手段でも売り切ることのできなかったCDをかき集めていたが、これが試合に敗北した甲子園球児のように涙ながらにも生涯の思い出、あるいは自分がチームメイトと死闘を戦い抜いた証として、憧れの甲子園の土をかき集める心境はもっと清々しいものに違いない、なんてことを考えながらも、やはりお金が絡んでしまうとそこまで割り切ることはできなかった。

「一体何が悪かったんだろうか。」

山道を淡々と走る長距離バスに揺られながら、窓の外の景色を呆然と見つめていた。

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遥か遠くに見えるのは折れ線グラフなような切っ先が鋭利な雪化粧の山々。

おそらく観光目的でこの景色に出会っていれば、素直にその雄大さに感嘆し、自分自身のちっぽけさを憂うというお約束の「人間の無力感体験コース」を心の底から堪能できたのかもしれないが、失意にどっぷりと浸っている私にはなんの慰めにもならない。

むしろ、ニュージーランドの神秘的で圧倒的な大自然に「景色ばっかり最高でもしょうがないだろう」と八つ当たりしたい衝動に駆られる始末。その景色を生涯の思い出に、と多くの人が思っているかもしれない中で、唯一心の中で悪態をつき続けている私を乗せたバスが向かう次の目的地はレイクテカポ。

これまた間の悪いことにニュージーランド国内でもその圧倒的で神秘的で雄大な景色で有名な湖である。泣きっ面に蜂という状況をさらに悪化させかねないぐらいに、抜群に最高のロケーションでの滞在を選んだのは勿論自分自身である。

人気の観光地だとわかっていたので早い目に予約を何とか取ったのだが、その時はクィーンズタウンでの成功を信じて疑っていなかったので、神秘の湖でバスキングの達成感に浸りながら優雅にジャンベを叩く姿を想像してニヤついていた。今となっては、「皮算用」の具体例として国語辞典に載せられても文句の言えない状況である。

大きな湖のほとりに広がっている駐車場にバスが到着した。レイクテカポが人気の観光地だということはその駐車場の広さや隣接している施設の大きさからもうかがい知れる。

自分の荷物を降ろし邪魔にならないところまで運んでいく。駐車場から少し広めの草地を超えたところに湖が広がっていることは目視で確認できるが、今すぐにするべきことは予約した宿に向かうことだ。

メルボルンとニュージーランド縦断でずっと活躍してくれたキャリーはタイヤに多くの小石が食い込んでいて、これまでの旅の壮絶さを物語っているようでもあり、ただ単に持ち主の杜撰な性格を表しているようにも見える。

キャリーに自分の荷物をセットして、伸縮性のゴム紐で固定し、ギターを担いで、湖を背に移動を開始する。乗っていたバスが走っていた道路を渡り、緩やかな坂道を「地球の歩き方」の地図に書き込んだ目印の場所を目指して進んでいく。

広い庭を持つその宿に到着した私は、庭でくつろいでる猫をカメラで激写し一通り戯れた後に受付を済ませ、たくさんのベッドが並ぶ部屋に案内された。

指定されたベッドは部屋の奥の一番端に鎮座していて、窓から庭の一角を臨むことができる。ベッドに寝転がって一眠りしたい衝動を抑え、次は食料品の確保のためもう一度湖に向かい、駐車場の近くにあるスーパーマーケットまで足を運んだ。

不思議なもので、どの街でも売られているものがほとんど変わらないため、お馴染みのインスタントラーメンや米、肉や野菜を適当に購入して、宿に戻った私は食材を食堂に設置している共有の冷蔵庫に放り込み、ベッドに横になると泥のように眠った。

目が覚めてみると窓から見える景色は赤く染まっていた。「早く湖に向かわないと」と焦った私はベッドから飛び起き、食事も適当にジャンベを担いで、宿を出た。

坂道を下り、幹線道路を渡り、駐車場を抜け、草地の中を歩いていく。

旅人の永遠のバイブル「地球の歩き方」には、レイクテカポに掲載されている観光として、星空の観測所だったり、羊飼いの館とかいう建物だったり、色々な王道パターンを紹介してくれているのだが、有名観光スポットにはしゃぐ気にもなれないので、黙々と岸辺に向かう。

目的はただ一つ太鼓を叩く。ただそれだけ。

岸に近づくにつれ、草も本格的に生い茂ってくるが、同じように岸際に行きたい人が他にもいるのか、獣道がいくつか存在していた。他の道をアジア系のカップルが歩いていくのが見え、それとは違う道を選んで進んでいった。

ようやくたどり着いた岸辺には大小さまざまな石が転がっていて、私は最も座り心地の良い大きな石の上に腰を下ろした。夕陽がほとんど沈み空が暗がり始めていた。

ふと気づいてみると、すでに辺りは真っ暗になっていった。一心不乱にジャンベを叩き続けたせいで何時間経ったのか全く気づかなかった。

太鼓は底知れない魔力を持っている。叩く場所によって鳴る音が違うので、叩く場所と順番を変えるだけで色々なバリエーションを生み出すことができる。また、シンプルなリズムパターンを一定の速さでずっと叩き続けると、あたかも降霊術でもしているようなトランス状態に陥っていく。

そんな太鼓の魅力に魅せられつつも、おそらくは近くで愛を語り合っているかも知れないカップルが聞いているかも知れないと思い、三拍子のリズムで二人の情熱が盛り上がりはしまいかと、あの手この手と打ち続ける。

ようやく満足して、今晩はこれくらいにしておこうと、数時間に渡り太鼓を叩き続けた手が少しヒリヒリするのを感じながら、何気なく見上げると満天の星空が広がっていた。

空の端から端まで隙間なく星で埋め尽くされている空間に、吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えつつ、少しの間呆然とその異国の星空を眺めていた。

宿への帰り道をトボトボと歩きながら「長野で見た星空の方がもっと大盤振る舞いでなかろうか」なんて考える自分は少し心が曇っているのかも知れない。

次の日も、そして次の日も星を見ながら一晩中太鼓を叩き続けた。

レイクテカポジャンベ

そして、レイクテカポを去る日、来る時と同じ駐車場で、クライストチャーチへ向かうバスに荷物を積み込んだ私は、出発までのわずかな時間湖を眺めていた。

湖を取り囲む丘の茶色のクレヨンで描いたのかのような地肌。白みがかった水色の湖。その奥に見えるどっしりと構えた山脈。誰かがそこに描いたわざとらしい絵のようなこの景色をもう一度目に焼き付けようと思ったのか、もう二度とここには来れないかも知れないという予感でもあったのかもしれない。走り出したバスの窓からも、その景色が視界にある間はずっと目を離すことができなかった。

クライストチャーチ発の飛行機に予定通りに飛び乗り、オークランド空港に着いた私は二度目のスカイバスでダウンタウンに向かった。今度はクィーンズストリート沿いのバッパーに宿泊することになったが、もうバスキングはしないと決めていた。

まず約束通り日系ギタリストのケントに、アンプなどのバスキング機材一式を無償で手渡した。本人がとても喜んでくれて、後日談ではあるが感謝の気持ちとしてその機材を使った演奏を動画で送ってくれた。

銀行でこれまで得た硬貨を紙幣に両替してもらい、別の為替レートの良さそうな店で日本円に換金してもらった。そして何故か頻繁に通っていた定食屋の従業員の娘が主催する絵描きの集まりに出ることになり、スターバックスで黙々と絵を描いていた。

そこで知り合ったマオリ族のヒューマンビートボクサーとクェート出身のアニメオタクと何故か仲良くなり、ハンターハンターのアニメのワンシーンについて笑いながら語り合った。ジャンベはその従業員の娘に譲ることにした。せわしなく日々を過ごしていると帰国の日はあっさり来てしまった。

すっかりと荷物が軽くなったせいかも知れないが、不思議と空港に向かうスカイバスでは晴れやかな気持ちだった。窓から見える異常なほどの急勾配な丘もこれでもう見納めかも知れないというちょっとした寂寥感もあるが、次のステージへの思いが向いていっているのかもしれない。空港で手荷物が重すぎるとスタッフに怒られてしまい気分がすっかり萎えてしまうというハプニングもあったが。

いつか性懲りも無く、またあの景色を見たいと思うその日まで。

グッドラック。


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