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ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 4

バスキング飯!! 


どう見ても日本列島というよりは蝶や蛾とかのサナギや幼虫に似ていないだろうか。ニュージーランドの形状の話だ。

北島の形が角のある頭部に見えてしまう。少なくとも、日本列島と比較するには無理があるだろう。

さもなくば、カニのハサミか。南島が腕の部分に該当して、北島がハサミの部分で、ちょうど切っ先が手前の方に湾曲している。カニが威嚇して、こちらに向かって振り上げたハサミに見えないだろうか。

近くにあるオーストラリアも四国に形状が似ていると良く言われるが、それよりもカニがハサミを振り上げた時に胴体を真正面から見たシルエットに見えなくもないので、ちょうど良いのではないだろうか。

そんなことを考えているとカニ鍋が食べたくなって来た。もう何年も食べていない。日本の冬を回避するのは今回で三度目だが、日本を10月に発つ前に母が「それにしても毎回鍋シーズンに水炊きを食べれないのは不憫やなぁ」と哀れんでいた。

確かに私は日本の寒い冬は嫌いであるが、鍋を食べれないのはさすがに口惜しい。カニ鍋食べたい。

というわけで、大分強引な導入だが食べ物の話だ。

日本人の海外生活で良く挙げられる不便さのうちの一つに「日本食が食べられない」というものがある。

ロシア語同時通訳者の故米原万里氏はその著作の中で和食と中華料理の違いについて言及されていて、これは引用だった気がするが、和食は素材ベースであるのに対して、中華料理は調理法ベースだという記載があったと思う。

なので、日本食は素材調達の難しい外国では困難で、中華料理は何処の土地でも美味しく食べられるという話だ。私は無類の料理音痴だが、この説に対してどことなく腑に落ちてしまった。

かつて欧米諸国を旅した際に食事が口に合わず困ってしまうことが多く、かといって、和食レストランに行ったところで、その多くは中国人や韓国人が日本食ブームにあやかって和食の看板を掲げたお店で、中途半端なエセ和食を掴まされるのがオチだった。

パリの街を訪れた時にとある通りに日本食レストランが乱立しており、その店先のメニュー表が多くの店で共通の物が使用されている光景を見たときはさすがに苦笑せざるを得なかった。実態は良く知らないが、パリでは日本食レストラン認定制度なるものが存在するみたいだが、その認定されたお店に行っても出されたラーメンには満足は出来なかった。

しかし、日本人の経営している讃岐うどんのお店に行ったが、そこのうどんはとても美味しく満足いくものであった。だが、何かしら違和感のようなものを感じた。

それが日本とは全く異なる風景や町並みの広がる異国の地に居ながらも、母国の日常を思い起こさせるほどの完成度の高い和食を口にしているという状況に、非現実さのようなものを感じているからなのか。

それとも良く言われるように、日本の水がミネラル分の少ない軟水であるのに対して、欧米諸国ではミネラル分が多い硬水である違いを感じ取っているのかもしれない。

これらの体験から、何が何でも自分の舌が人並みかそれより少し上ぐらいだと信じたい私は、後者の「水が違う」説の熱狂的な信奉者となり、メルボルンの語学学校に入学する際にはクラス振り分けの面接でこの説を熱弁する始末だ。

そして、米原氏の著作にあった記述に悪い方向に感化され、「日本食は日本以外では成立し得ない」という揺るぎない信念を抱くようになった。

外国で日本食レストランなんてもってのほかで、訪れる時は期待せず、緊急避難的に、もしくは異国の地でどれほどのレベルを実現出来ているかを調べるつもりで訪れる。

通常は、どこの国でも中国人はいるので外国に強い中華料理を食べることにしている。メルボルンでは中国人だけでなく韓国人も多かったので、韓国料理もレベルが高く、両方を良くたしなんでいた。

ところが、ここオークランドでは数多くの日本人が住んでいて、需要に会わせて供給のレベルがつり上がっているからなのか、日本食のレベルがメルボルンより遥かに高く、やはり緊急避難的に、小手調べ的に足を運んだレストランの食事はそこそこ満足度が高かった。

それでもそのレベルは贅沢を言わなければという但し書き付きだが。

バスキングは体力勝負なので、食事の質もさることながら量も必要となってくる。KJ soundのタツさんとロカの3人でクリスマス前日に、2回目の韓国BBQの食べ放題にチャレンジした時、店主にクリスマス休暇について何気なく聞いてみると、翌日のクリスマスから1月中旬まで休みだと言う。

ここオークランドでは少なくない数のレストランがクリスマス前後から1月中旬までの長期休暇により閉店する。私がそれまで足しげく通っていた日本食レストランもこれでやられてしまった。

韓国人の経営する店だからクリスマス休暇でクローズするわけない、とロカが何故か自信満々だったので、私もこれから二、三日に一度はこの韓国BBQにお世話になるなぁと勝手に考えていたのだが。

席に戻って、「ロカ、とても悪いニュースがある」と伝えると、

「何だ、バスキングの話か?」と、ロカがこちらの予想とは異なる真剣なトーンで応じる。

「いや、食事の話なんだけど」。

店がクリスマス休暇でクローズするという話をすると、ロカはその3日後にはオークランドを去るのにもかかわらず、活字にするには憚られる言葉で文句を言っている。

クリスマスやボクシングデイの祝勝会や、自身の送別会が念頭にあったのであろう。それでも、これが最後と名残を惜しむかのように黙々と肉を平らげていく3人。

以前トモミさんを加えた4人編成の時は肉を盛った皿の枚数が3枚程度だったが、今回は5枚。

タツさんも以前とは異なり肉を消費していくテンポが良い。胃袋一般人なのに大丈夫なのか。

今回は出国時に父親にもらった胃薬を持参しているので、胃袋のキャパと心に余裕を感じている。食事も切りの良いところで終え、KJ soundの二人はコーラを注文する。

二人に胃薬を手渡し、二人はコーラで、私は水で胃薬を飲み干したその瞬間、突然気分が悪くなった。タツさんの顔を見ると顔面蒼白だった。ロカは「満腹だけど気持ち悪いなぁ」と一人だけ余裕がある。

その後、しばらく私とタツさんは席から立つことも出来ず、店を後にしてからも、近くの階段で座り込んでしまった。

その様子を見ながらゲラゲラ笑いつつ、我々の悶絶している様を写真に撮るロカ。

何とかして宿にたどり着いた私が胃袋の圧迫感から開放されたのが3時間後であった。

ベッドで悶え苦しんでいる間にインターネットで色々調べていると、胃薬には消化を手助けするものや出過ぎた胃酸で胃を痛めないように中和するものなどがあるみたいで、どうやら私が父親からもらったのは後者のようだった。

恐らくは大量の肉が詰め込まれた胃が頑張って消化活動に励んでいるのを阻害してしまったわけだ。だとすれば、ロカの胃袋はどうなっているんだろうか。ロカは帰宅後さらにパンを何枚か平らげたそうだが、あまり深く考えるのはよそう。

翌々日のボクシングデイで、オークランドでのラストバスキングを成功させたKJ soundの二人と祝勝会及びロカの送別会を兼ねて食事に行くことにした。以前足を運んだラーメン屋「タンポポ」を目指して黙々とRPGのキャラクターのごとく行進する三人。

が、店前でクリスマス休暇に入っていると分かるや否やそのままくるりときびすを返す三人。

シティ中心部へ向けて歩いていく道中、クリスマスの前々日にタツさんと訪れた日本食レストラン「吉沢」はどうかという話になり、全員同意した。

2回目の吉沢では私は味噌カツ丼とカレーライス大盛りを、ロカは味噌カツ丼とカレーうどんとご飯を注文した。

ロカはカレーうどんの麺を平らげた後にご飯を入れて食べるつもりだ。胃袋一般人のタツさんは何かしら定食を頼んでいた。

やはりここの味噌カツ丼は至高の一品だ。他の店では同じ味噌カツでも使っている豚肉があまり日本では口にしない類いのものであったが、この店では違う。

日本でも普通に味噌カツ丼を頼めば、この豚肉がデフォルトではないか。その上美味しい。カレーも甘みがあって味に深みがある。

一般的には2人前の食事量であるが、美味しいと入るのだ。

最初にタツさんとこの店に訪れた際に私は味噌カツの味に惚れ込み、その時点でオークランド滞在予定日数が2週間ほどであったのにも関わらず、私はあと20回は店に来ることを店員さんの前で宣言した。

この2回目でその味のレベルの高さを確信した私はそれからというもの、その宣言通りに吉沢に一人足しげく通うことになったのだ。

店員さんも本当に同じレストランに毎日2回、それも2週間も続けて通う人間がいるとはよもや思わなかったであろう。

しかし、そんなやつは居るのだ、実際。ここに。

昼は大抵ビーフカレー大盛りと豆腐サラダを、夜はどんぶり物と何かを組み合わせて注文していた。

毎日通っていても何を食べるかを考えるのは難しい。

吉沢へ向かう道中も考えているし、メニューを開いていても悩んでしまう。

ある時ふとカウンターへ目をやると「力そば」の文字が。それまでの料理の質を考慮に入れつつ、食べたときの食感や味のシミュレーションをしてみた。

これは行けるだろう、いや行けないはずがない。そう思い、注文した「力そば」の味は、それまでの吉沢ライフで私の中で上がりに上がったハードルを難なく華麗にも飛び越えたのであった。

その日から、夜に力そばは欠かせないメニューとなった。

それにしても日本食のメニューが充実している。サバを使った定食だって、味噌煮、塩焼き、竜田揚げと3種類もある。

胃袋が許すなら、全部注文して「サバ尽くし定食」だって可能だ。ご飯とみそ汁も数が三つになってしまうが。

かくして、私があれ程力説していた「海外では和食不可能説」や「日本と外国の水は違うので味が云云かんぬん説」は音を立てもせず崩れ去り、いつの間にか霧散霧消したのであった。

続く。

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