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ニュージーランド・バスキング・デイズ vol. 10

クイーンズタウン芸人の憂鬱 中編

そして、迎えた出発の朝。と言っても昼過ぎの便なので、10時にチェックアウトを済ませるとビリヤード場のソファーに腰掛け時間をつぶした。

時間に余裕を持って、来たときと同じバスの停留所にたどり着き、チェックインを済ませて待っていると、出発予定時刻の15分前にバスが来た。荷物を積み込み、バスに乗り込む。

しかし、待っていても一向に出発する気配がない。何事かと思っていると、どうやらクライストチャーチから来るバスの乗客を待っているようで、そのバスが大幅に遅れているみたいだ。

結局バスは40分遅れで出発した。ダニーデンに至るまでは海沿いの比較的なだらかな道を通って来たが、クイーンズタウンは内陸部にあるため、バスはニュージーランドの雄大な自然を象徴するかのような鋭角の激しい山脈の方へ向かっていった。

道中ドライバーが何かしらガイドをしているのをぼんやり聞きながら、窓外を眺めていると、眼下にダム湖が広がっていた。

白く濁り、岸際には藻群が散在している。あんなところでも魚はいるんであろうか、夏場の調子が悪いときの琵琶湖に似ている、なんてことを考えていると運転手が「あと四、五十分で着くよ」とアナウンスした。

クライストチャーチからのバスが遅れた分よりも、何でさらに15分遅れているんだ。

予約したバッパーの受付が閉まる時間までにギリギリ間に合うかどうかとやきもきしていたが、メールを再度確認してみると「時間外の到着の場合は、外側に鍵を置いておくので勝手に入ってね」との記載があったのでとりあえず安堵した。

到着したバスから降り立った街は、まるでスキーリゾートのような町並みで、観光客があちこち歩き回っていた。そこからバックパッカーへ向けて道路沿いを歩いていくと左手に大きな湖を臨む、芝生に覆われた公園があった。

湖の岸際には遊覧船やモーターボートが並んでいて、その時間は営業してはいなかったが、夕涼みに浸っている観光客が何組もいた。

これは期待出来るんではないか、と思いつつ、さらに進んでいくと華やかな飲食街を抜け、道路沿いには宿泊施設ばかりが並んでいた。道路は湖岸に近接して並走するようになり、歩道から対岸に大きな山が見えた。

山肌は全体的に黄土色で、中腹部は岩だらけで所々えぐれているのか暗くなっている部分があり、虎の縞模様のように見える。

また、一年を通して寒冷なこの地域において夏場だけは葉を広げているのか、草が生い茂って、うっすらと緑色が黄土色の山肌に混じっている。上の方は繊維の細かい布地のような表面で、山頂付近には黒い岩がぽつぽつと散在している。なんとも神々しい景色だ。

くるりと振り返るとそこにお目当てのバッパーがあった。

受付に行くと閉まる直前だったが何とかチェックインを済ませて、部屋に向かうと窓からは先程見た湖と対岸の山々を一望出来る。この景色が毎日拝めるとは贅沢な話だ。

その晩は街へ繰り出し日本食店でラーメンをすするも、値段が高い割りにお腹がふくれなかったので近くのアジアンマーケットでインスタントラーメンを購入し、バッパーで食した。

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次の日は、バスキング初日と意気込んでいたが、またも小雨が降っていた。夕方前に公園でバスキングしてみるも時々突風に煽られて、スピーカーが二回も倒され、ギターケースも飛ばされ中味が全部そこら中にひっくり返されるという惨事に見舞われてしまった。

それでも人々の反応は悪くなかったので、風に飛ばされた15ドル分の紙幣も追いかけることなく、誰かのご飯代になりますようにと願いをたくすほど気持ちに余裕が持てていた。

結局、風に飛ばされた紙幣はたまたま見ていた人が必死に走って取りに行ってくれ、散らばったコインも少年が一緒に拾ってくれた。

何だ親切な人が多過ぎだろ、この街。

バスキング後の晩に、市街に宿泊しているタツさんが中心街に来るとのことで合流した。到着したタツさんが「池のところで待っています」と連絡をくれたが、池なんてあったけかと考えながら街の中心部に向かって歩いていると、遊覧船乗り場の公園にタツさんがいた。

公園から見えるワカティプ湖はこれでも面積291平方キロメートルの広さがあるし、一番深いところでも420mほどの水深がある。

池と表するにはあまりにも広大すぎる、れっきとした湖だ。タツさんも一年に渡るワーホリ生活を終えようとしているので、言い表すことの出来ない心の葛藤が色々あるのかもしれない。そっとしておこう。

タツさんと街中を散策してバスキングスポットを紹介してもらい、その後は湖沿いの遊歩道を散歩した。

話を聞いてみると、年末にオークランドで別れたロカとこの街で再会し、KJ soundとしてまたバスキングしたらしい。

反応はとても良かったそうだが、雨の日が多かったようで三回ほどしかバスキング出来なかったみたいだ。

結局、ロカもしばらくして別の街へ移ってしまったとのこと。

タツさんは「俺たちもう終わったんすよ」と遠い目をして言ったが、それだとカップルが破局したみたいだとは指摘せず、そっとしておこうと黙っておいた。

タツさんとバッパー近くで別れ、その日は翌日からのバスキング生活に備えて早めに就寝した。翌朝、遊覧船前の公園ではサタデーマーケットが催されていた。

マーケットの情報は事前にタツさんから聞いていたので、午前10時頃に公園に到着した。確かに色々な出店が並んでいて人でにぎわっている。さてどこで演奏すれば良いものか、と思いながら店の間の通路を歩いて行き、抜けたところで道が右手に大きくカーブしていた。

その道を辿って行くと右手には湖と道を隔てる石垣が続いていて、左手には店前にも座席を広げている飲食店が並んでいた。そして、その道沿いにはバスカーが二名すでに陣取って演奏していた。

一人はサングラスをかけ、鉄製のUFOみたいな形状の楽器、通称ハンドパンを演奏していたおじさんで、もう一人はそこから少し離れたところに傍らに犬を従えたギターの弾き語りのおじさんだった。

その二人の邪魔にならないところを探しつつ、石垣沿いにさらに歩いたところに店を広げることにした。恐る恐る演奏してみると反応は悪くはなかった。

と言っても、反応が良かったのは最初の30分ほどで、ある程度太陽が昇ってしまうと反応がぱたりとなくなってしまった。とりあえずこれで一旦撤退するかと思い宿に帰った。

再び出撃したのは夕方で、ザ・モールと呼ばれる道路二車線分の幅がある歩道で、両脇には飲食店や売店が軒先を並べている。

その湖側とは反対方向のどんつきでザ・モールを歩いてくる人に向かって音を当てるようにスピーカーをセットして演奏を開始した。反応はやはり悪くはなく、これなら何とかやって行けるかもという手応えが感じられた。

そして、翌日の日曜日昼時、空は快晴、ぽかぽかと暖かく、まぶしいぐらいに日差しが降り注ぐなか、日向ぼっこする人たちがくつろぐ公園で、バスキングするもほぼ誰も演奏に反応しなかった。月曜日の昼もザ・モールでバスキングしても同じ結果だった。

続く。

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