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台北・バスキング・デイズ vol. 9

最終回

「これでなんとか35kgに納まりそうだ。」

受付で借りた手のひらサイズの電子計量器で、最後の荷物の重量測定を終え、私は安堵感に胸をなでおろした。

荷造りの真っ只中であるが最も気を使うのが預ける荷物の重さである。毎度お世話になっているジェットスターでは預ける荷物の重量によって料金プランが変わってくる上に、予約の段階であらかじめ重さを指定しておく必要がある。なので宿で軽量ができるのはとてもありがたかった。

売れ残ってしまったCDの山は、帰国の一週間前には送られてきた段ボールに元どおりに詰めなおし、西門町の東側から道路を挟んだ区画にある郵便局にて、本国に送り返してしまった。当初はこの台湾で全ての在庫をさばき切ろうと息巻いていたが、そんな想いも虚しく台湾の風を感じただけなんて、製作者本人としてもあまりにも不憫で仕方がない。まぁ、風といっても私の居住スペースに無理やり頭突っ込んでいるエアコンの風でしかなかったわけだが。日本に帰国したら台湾の大地を踏んだCDです、と銘打って特別価格で売ろうなんてことを考えつつ、手荷物と預ける荷物の重量に間違いがないかを確認していく。

最後の西門町バスキングはあっけなく終わってしまった。最後だからという理由でいつもより一時間多く演奏を頑張った分、CDが売れてチップが入っただけで、他の日と時間単位あたりの収益は遜色なかった。たとえ最後に大当たりなんてことがあったとしても、そんなまぐれ当たりにこれまでの失意を払拭できるほどの精神的な効果はなかったであろう。結局、自分のスタイルがうまく行く方法を見つけ、なおかつそれに再現性がなければバスカーって生き物は安心できないのかもしれない。

タチが悪いのは、そんな方法が見つかったところでそれを繰り返すうちに当の本人が飽きてしまうって問題があるってことだ。本当にプロであれば、いくつもアイデアを練って、いろいろなシチュエーションに備えて然るべきなのではないのか。趣味バスカーだからそこまでの気構えがないのか。

いや、そもそも台湾に来さえすれば、CDが完売してしまったがために台湾から追加発注せざるを得なくなっただとか、人だかりができすぎて警察に何度も止められたとか、両替するときに飛行機に持ち込めないほどの大金を手にしてしまったせいでプチ豪遊せざるを得なくなった、なんて後世に是非とも語り継ぎたい伝説として人に自慢している自分の姿を脳内で何度も妄想して浮かれていたことが一番の問題ではなかろうか。他のバスカーの成功談を鵜呑みにして、さも自分も再現できると思ってしまった自分の浅薄さが恨めしい。

なんてことを考えながら荷造りを続けているわけだが、原因究明したところで覆水にボンが何ちゃらだし、もはやこの失敗を次に活かしてリベンジする気力なんて残ってない。粛々と帰国準備を続けるのみである。

一番処分に困るのはバッテリーだったが、テゥさんに聞けば、「買ったところに持っていけば中古でも売れる」とのことだったので、西のはずれの電気街に行くも店の若い姉妹に「この通りではそんなシステムはない」と諭されてしまった。テゥさん。私が滞在していた一ヶ月間ずっとオープンスペースで見かけるもんだから、自分にだけ見えるバッパーの妖精とかそんな存在と思い始めていたが、教えてくれる情報の正確さだけはピカイチの村人キャラではなかったのか。結局、バッテリーはテゥさんにあげることにした。

何も言わずに去るのも水臭いかもしれないと思い、台北牛乳大王に足を運んだわけだが、いつも通りに店員さんは注文を先読みしてくれるし、パパイヤミルクは相も変わらず美味しかった。私の帰国を告げると残念そうにしてくれたが、そんな人懐っこい反応が見られなくなることを思えば、次に来れるのはいつだろうかと考えてしまう。

帰国する前日に立ち寄った156飯包ではいつも通りにフライドチキン定食を注文した。馴染みの店といっても過言ではないぐらいに通い詰めた店での最後の食事を堪能した私は、店先で隣の店主と思しき男性と談笑している親父さんに帰国を告げる。勿論英語が通じるわけではないので、笑顔のまま何やら中国語で返答してくれている。「今日もありがとな、コノヤロー」「また明日も来いよ、コノヤロー」と言っているのに違いない。

いや、ここはちゃんと伝えねばと思い、いつも盛り付けをしてくれている女性店員に英語で今日が最後の日だと伝えると、「本当なの?」と残念がってくれた。その時、私と店員のやりとりにいつもと違う雰囲気を感じたのか、「おいおい、一体何だってんだ、コノヤロー」と店員に尋ねる店主。店員の返答に事態を察したのかこちらに向き直った。毎日のように見てきた笑顔のまま、片方の拳をそっともう片方の手で包んだ。

おぉ、これは拱手というやつか。

親父さんは最後の挨拶をしてくれようとしているのか。

そのとき、私にはピンとくるものがあった。

私がいくら中国語音痴とはいえ、別れの挨拶ぐらい知っている。これまで親父さんとの意思疎通が身振り手振りのみだったが、とうとう最後にして親父さんの言葉が理解できる瞬間が来るのか。

そして、私が固唾を飲んで見守る中、親父さんが言葉を発した。

「バイバイ。」

手を振り続けてくれていた親父さんに手を振り返しながら帰路に着いた私は、道中何故「再見」と言ってくれなかったんだろうと釈然としない思いもあったが、万国共通の表現だし、気持ちは伝わったし、十分に満足だった。

帰国の朝。空港に向けて昼前に出発する高速バスに乗るために台北駅に到着した。重量の計算のみならず、キャリーでの運搬効率も考えた荷造りは完璧だし、朝に弱い私でも余裕を持って出立できるように夕方発の飛行機を予約しているし、いろいろなことに余裕があってとてもスムーズだ。予定通りの時間に空港に到着した私はチェックインまで時間が十二分にあることを確認してから、最後の作業のためコンビニに立ち寄った。

台湾でも公共機関を利用するのに「悠遊カード」なるICカードが推奨されていて、私も空港に到着した際まさにこのコンビニで真っ先に購入したわけだが、もっぱらバスキングで稼いだコインをチャージするのに使っていた。かさばるコインを持ち歩くのはめんどくさいので、ICカードに溜め込んでおいて、空港で一気に換金してしまおうという算段であった。

そして、コンビニの店員さんに悠遊カードを差し出し、

「換金してください」

と伝えたところ、

「ここでは無理です」

との返答が。

カードを購入したコンビニなら当然換金もできると思っていた私は、

「じゃあ、この空港のどこで換金できますか」

と尋ねると、

「台北じゃないと無理よ」。

飛行機出発まで時間に余裕があるとはいえ、台北に戻っている時間は全くない。
もう今回は諦めるしかないか。

これはひょっとするとまた来いというメッセージかも。いやその解釈は無理があるか。

何にせよ、そう遠くない未来に戻ってくる理由ができたわけだ。
次回こそは決して金銭欲に溺れることなく、精神的に安心安全の観光をし尽くしたい。

その日まで待ってろよ、台湾とICカード換金システム。

再見。


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